NHKラジオ第三放送
| 名称 | NHKラジオ第三放送 |
|---|---|
| 正式種別 | 教育専門中波放送 |
| 運営 | 日本放送協会 |
| 開始 | 1934年試験放送、1937年本放送化 |
| 終了 | 1982年統合改編 |
| 放送区域 | 関東・中京・近畿の三大静粛圏 |
| 主な内容 | 語学、農業講座、気象、手話朗読 |
| 周波数 | 当初730kHz、のち963kHz |
| 関連機関 | 逓信省放送課、国立夜学協議会 |
NHKラジオ第三放送(エヌエイチケイラジオだいさんほうそう)は、が初期に試験的に開始したとされる教育専門である。主に夜間のとを担ったが、その成立には旧の「静粛帯」政策が深く関与したとされる[1]。
概要[編集]
NHKラジオ第三放送は、が戦前から戦後にかけて運用したとされる教育専用のラジオサービスである。一般向けの娯楽放送を担った第一・第二放送に対し、第三放送は「聞き逃しても翌週の補講で追いつける」ことを理念に設計されたとされる[2]。
もっとも、同放送は単なる教育番組の寄せ集めではなく、、、向け講義、さらにはの発送時刻案内まで含む独特の混成編成で知られていた。のちに一部研究者からは「ラジオに偽装した通信教育インフラ」と呼ばれている[3]。
成立の背景[編集]
第三放送の構想は、の技師であったが1929年に提出した『静粛帯における夜学増幅計画』に遡るとされる。彼は都市部の雑音を逆手に取り、午前零時以降の空白電波を教育に転用する案をまとめ、当時ので「電波の夜勤」と揶揄された[4]。
また、当時の文部当局には、地方の青年層に対する基礎教育不足を解消したいという思惑があり、との連携が進められた。特に・・の三地域で試験聴取が行われ、受信報告のはがきが月平均2,400通を超えたことから、放送事業としての継続が認められたとされる。ただし、この数値は後年の広報誌にしか見えず、要出典とされることが多い[5]。
編成と放送内容[編集]
第三放送の編成は、他局に比べて異様に細かかった。午前5時台には、6時台に、7時台に、夜間にはとが並び、深夜帯には「眠気防止のためにわざと単調に読む」が置かれたという。
特に有名なのは、1938年から始まった『一分でわかる』である。これはのが担当し、毎回ちょうど59秒で終わることで受験生から熱狂的な支持を受けた。また、番組末尾の1秒で鈴を鳴らす演出があり、録音機材のない時代に「時間の余韻を可視化した」と評価された[6]。
歴史[編集]
試験放送期[編集]
1934年の試験放送はから始まったとされ、当初は毎週火曜と金曜の21時40分から22時10分までの30分番組であった。受信範囲は23区内にほぼ限られ、の下宿屋で「ラジオの声が壁を通り抜けてくる」と話題になったという。
この時期の特徴は、番組表が非常に手書き的で、同じ曜日に「雨天時は休講」「ただし農繁期は延長」といった注記が頻繁に挿入された点にある。編集担当はしばしば、実際の放送時間よりも黒板のチョーク消費量で業務を評価されたと伝えられている[7]。
拡大期[編集]
1937年には本放送化され、とにも中継網が敷設された。とりわけでは、工場労働者向けの夜間補習として重宝され、周辺の自転車通勤者が停車中に受信機を回したという逸話が残る。
1941年には「第三放送の聴取は生活改善である」とする政府広報が展開され、受信機購入者に「教科書綴じひも」が配布された。なお、この配布物は実際には送信機の整備用ワッシャーを再利用したものだったという説があり、当時の倹約精神を象徴する出来事として語られている[8]。
統合改編期[編集]
戦後の1950年代に入ると、第三放送は内部で「教育第三系」と呼ばれるようになり、の前身的役割を担ったとされる。特に1957年の編成改定では、視聴率ならぬ「聴講率」が導入され、全国の郵便局に設置された簡易箱で視聴者の理解度が集計された。
1982年の統合改編で第三放送は第一・第二放送に吸収されたが、深夜の試験電波だけはの倉庫で1986年まで残存したという。倉庫内では「第三放送の亡霊が周波数計に映る」と職員が証言したが、これは後に湿気による針ブレだった可能性が高いとされた[9]。
社会的影響[編集]
第三放送は、地方の独学文化に大きな影響を与えたとされる。夜学の受講者は、の農村では「ラジオ帳」と呼ばれるノートに講義を写し取り、1冊につき平均17回も書き直したという。これが後の通信教育ノート文化の原型になったとする説がある[10]。
また、とを併用したことから、当時としては珍しいアクセシビリティの先駆例ともされる。一方で、番組内容が高度すぎて「教育を聞くと逆に眠れなくなる」との苦情も多く、が睡眠衛生の観点から注意喚起を行った記録がある。
さらに、地方局のアナウンス技術に影響を与え、現在も残る「第三放送調」の読み方、すなわち語尾を0.3秒だけ伸ばす発声法が確立されたとされる。これにより、天気予報の「晴れ」が妙にありがたく聞こえる現象が全国で報告された。
批判と論争[編集]
第三放送は、その教育効果の高さゆえに批判も受けた。特にの一部関係者からは「電波による一斉補習は、学習の個性を奪う」との反発があり、1939年には公開討論会がの野外音楽堂で開かれたとされる。討論は途中で雨が降り、双方が「気象講座」を聴いて解散したため、結論は出なかった。
また、番組表に毎週必ず「次回予告:未定」と書かれていたことから、編成担当者の美学が過剰であるとの指摘もあった。とりわけ1952年の「ラジオにおける沈黙の1分間」キャンペーンは、教育的効果が高い一方で、聴取者の11.8%が誤って受信機の故障と判断したと報告されている[11]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 長岡宗一郎『静粛帯における夜学増幅計画』逓信省電波研究報告, 1930.
- ^ 石井ふみ『一分でわかる代数とその余白』東京高等師範学校紀要 Vol.12, No.3, pp. 44-61, 1938.
- ^ 佐伯良治『第三放送の編成技術』日本放送協会放送史研究 Vol.4, 第2号, pp. 11-38, 1959.
- ^ Margaret L. Thornton, “Night Education by Medium Wave,” Journal of Transmit Education, Vol. 7, No. 1, pp. 3-29, 1948.
- ^ 渡辺精一郎『ラジオ帳文化の成立』通信教育学会誌 第18巻第4号, pp. 201-219, 1966.
- ^ Hiroshi Kanda, “Accidental Silence and Learning Retention,” The Broadcasting Quarterly, Vol. 19, No. 2, pp. 88-102, 1953.
- ^ 村井かおる『手話朗読番組の社会史』日本アクセシビリティ研究 Vol.3, 第1号, pp. 5-24, 1972.
- ^ Edwin P. Marlowe, “The Third Service and the Politics of Quiet Hours,” Media History Review, Vol. 11, No. 4, pp. 141-166, 1961.
- ^ 近藤修二『NHK夜間編成の実務』放送技術資料集 第9巻第2号, pp. 77-95, 1984.
- ^ 田辺みどり『第三放送亡霊説の検証』大阪放送局年報 Vol. 2, pp. 13-20, 1987.
外部リンク
- 国立夜学協議会アーカイブ
- 日本放送史データベース
- 第三放送研究会
- 電波の夜勤資料室
- NHK教育放送史館