昭和34年戦時ラジオ放送怪事件
| 発生時期 | 1959年6月 - 1959年11月 |
|---|---|
| 発生場所 | 東京都、名古屋市、広島市、福岡市ほか |
| 原因 | 記録媒体の逆流、短波回折、心理影響説 |
| 関係機関 | 郵政省、日本放送協会、防衛庁技術研究本部 |
| 主な証言者 | ラジオ修理工、深夜勤務の警備員、局アナウンサー |
| 通称 | 34怪、戦時帯混信事件 |
| 影響 | 深夜放送の検波規制、録音機器の封印運用 |
| 関連技術 | 中波、戦時回線、磁気テープ再生 |
| 初報 | 『週刊電波と生活』1959年12月号 |
昭和34年戦時ラジオ放送怪事件(しょうわさんじゅうよねんせんじらじおほうそうかいじけん)は、に日本各地で断続的に発生したとされる、戦時中の軍用放送が通常の帯に混入した怪異現象である。のちにとの合同調査により「記録媒体の逆流」と総称されたが、その正体については今なお諸説があるとされる[1]。
概要[編集]
昭和34年戦時ラジオ放送怪事件は、夏から秋にかけて、停波中の帯から旧軍の命令放送や臨時ニュースが聞こえたとする一連の怪異譚である。とくにの修理工場、の受信実験室、の民家で同種の記録が残され、当時の新聞は「電波の亡霊」とまで書き立てた[2]。
事件の特徴は、内容が単なる雑音ではなく、放送局名、号令、暗号風の数列、そして「昭和十九年九月、第三警戒班へ」などの具体的な文言を含んでいた点にある。しかも複数の証言が、同じ時刻に同じ言い回しを聞いたと一致しており、技術部の記録では「模倣の可能性は低い」と結論づけられている[要出典]。
発生の経緯[編集]
最初の報告は6月17日、の深夜喫茶店で使用されていた据置型受信機から、戦時中の告知らしき声が流れたというものであった。店主は当初、近隣の局が特別番組を流したと考えたが、確認するとその時間帯に該当する番組は存在せず、受信機を交換しても同一の声が再現された。
その後、8月から10月にかけて、、、でも似た事例が報告され、いずれも雨天後の湿度上昇時に集中していた。郵政省電波監理局は、の試験送信所で生じた高調波が海上反射を経て戻った可能性を検討したが、周波数記録は説明に合致せず、調査班の一人である技官は「これは回線ではなく、記憶そのものが漏れている」と述べたと伝えられる。
なお、後年のまとめでは、事件の本格化の前日にの倉庫で大量の旧式真空管が搬入されていたことが判明している。この倉庫は戦後に解体された旧軍通信部材の保管場所を転用したもので、古い搬送箱の内部から、配線図とともに焼け焦げた録音片が見つかったという。
背景[編集]
戦時放送技術の残響[編集]
戦時中、日本の軍用放送は、一般放送とは別の符号体系を用いて運用されていたとされる。終戦後、それらの機材は各地の倉庫や放送局に分散保管されたが、整流器の劣化や磁気テープの反転現象により、特定条件下で旧音声が再生されることがあった、という説がある。
の非公式調査班は、からにかけて回収された受信機37台を分解し、うち4台に「異時代混線」と呼ばれる不可解な残留波形を確認した。波形は人間の発声に似ていたが、音素配列が18年式の号令書に近いとされ、研究者の間で小さな騒ぎとなった。
放送行政の穴[編集]
当時のは、深夜の中波帯における空白時間を厳密に監視していなかった。さらに、地方局の中には検査表をで管理するところも多く、怪事件が発生した時刻の前後に局舎の停電が重なると、記録が二重に抜け落ちることがあった。
このため、事件は「本当に起きたのか、記録が消えたのかも分からない」と評された。もっとも、の元職員・は回想録の中で「夜勤の誰もが、あれだけは受信機の故障ではないと分かっていた」と書いており、関係者の実感だけは非常に強かったという。
調査と証言[編集]
合同調査班は、9月から2月にかけて延べ84件の受信報告を整理し、うち29件について現地確認を行った。現地で録音された磁気テープは、再生速度を0.7倍、1.2倍、反転の三通りで検証されたが、どの条件でも「最後の5秒だけが戦時放送に置き換わる」現象が確認されたとされる。
証言の中で最も有名なのは、のナイトクラブで当直していた照明係・の記録である。彼は午前2時14分、客席の天井裏から「第七号、送電停止」と聞こえ、同時に店のラジオが自動的に風の調子へ切り替わったと述べた。警察署に提出されたメモには、曲名欄の余白に「軍靴」とだけ書かれており、後年の研究者を困惑させた。
一方で、の電気工学研究室では、同時刻に複数地点で採集したノイズを比較した結果、各地点の音声に「発音の癖」が存在することを発見した。これにより、怪現象は単一送信ではなく、受信機側の心理補完が関与していた可能性が浮上したが、調査報告書の末尾には「なお、補完だけでは説明できない一致が3件ある」と付記されている[3]。
事件の拡大[編集]
10月以降、事件は単なる都市伝説ではなく、放送設備の点検項目にまで影響を与えた。深夜の、、では、点検員が一斉に受信機のボリュームを下げる慣行が生まれ、これを揶揄して「怪事件リミッター」と呼ぶ者もいた。
さらに、の古書店で、戦時中の局内台本を模した偽造メモ帳が大量に売られ、若い学生や記者がそれを事件の証拠として持ち込む騒ぎが発生した。のちにこれは、文具会社が「特殊需要」を狙って製造した宣伝品であることが判明したが、売上は4か月で1万8,600冊に達したという。
事件は地方紙にも波及し、からに至るまで「うちでも聞こえた」という投書が相次いだ。もっとも、調査班はその多くが同一のラジオ演芸番組を戦時放送と誤認したケースだとしている。ただし、の1件だけは、停電した教会の鐘楼で録音された奇妙な復唱が含まれていたため、今も完全には説明されていない。
解釈と影響[編集]
記憶残像説[編集]
最も広く受け入れられたのは、戦時の強烈な音声記憶が、特定の周波数条件で受信機に投影されるという記憶残像説である。これは当時のの研究にも接続され、同研究所は「人間の恐怖記憶は金属筐体に残留しうる」とする報告を出した。
この説は、のちのカセットテープ文化や心霊録音趣味にまで影響を与え、前半には「古い受信機に耳を当てると祖父母の時代が聞こえる」といった宣伝文句まで登場した。
放送倫理への波及[編集]
事件後、と民放各社は深夜帯の無音処理を厳格化し、放送終了後のキャリア波維持時間を短縮した。これにより、同年代のAMラジオでは終了アナウンス後にわずか3秒の純音を流す方式が一般化したとされる。
また、各局は台本保管庫の温湿度を毎時記録し、古い録音物を新しい磁気テープへ複写する際に「逆流防止印」を押す慣行を始めた。もっとも、この印が本当に技術的効能を持っていたかは不明である。
批判と論争[編集]
事件の真正性については、当初から懐疑論も根強かった。とくにの心理学者は、証言の多くが戦後世代の戦争イメージを反映した集団暗示であると批判し、調査班の報告は「ラジオ版の百物語」と評した。
これに対して事件肯定派は、同一地域で録音された波形の一致率が87.4%に達すること、ならびに報告書の一部がの閲覧制限文書に指定されていることを挙げて反論した。ただし、後者については、単に機材名の再利用が秘密扱いになっただけではないかとの指摘もある。
なお、1962年の再調査では、事件に関与したとされる旧式受信機の1台から、当時流行していた歌謡番組のカットアップ片が発見され、怪現象の少なくとも一部がいたずらであった可能性が示された。しかし、その受信機が存在したの店舗はすでに解体されており、決定的証拠にはならなかった。
後世の文化[編集]
昭和34年戦時ラジオ放送怪事件は、オカルト雑誌や深夜ラジオの常連題材となり、1970年代には「戦時帯」という架空の周波数帯を探す趣味が流行した。中古ラジオ愛好家の間では、真空管を交換すると戦時アナウンスが薄くなるという俗説が生まれ、実際に古物市で受信機の値段が2倍近く跳ね上がった事例もある。
にはの小劇場でこの事件を題材にした朗読劇『最後の5秒』が上演され、客席の一部で本当に雑音が聞こえたとして話題になった。もっとも、これは舞台照明のトランスが発した高周波音であった可能性が高い。
現代では、古いラジオに耳を澄ます行為そのものを象徴する事件として知られており、レトロ文化の中でも特に「真顔でふざけた空気」を持つ資料として扱われている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯みつ『夜勤台帳に残る声』東都出版、1961年、pp. 41-68.
- ^ 木村栄一郎「戦時放送残響と受信機挙動」『電波技術研究』Vol. 12, 第4号, 1960年, pp. 201-219.
- ^ 黒川修司『集団暗示と深夜ラジオ』新潮社、1963年、pp. 55-103.
- ^ Harold P. Wetherby, "Residual Audio and Wartime Memory," Journal of Broadcast Anomalies, Vol. 7, No. 2, 1964, pp. 88-114.
- ^ 中村久美子「中波帯における異時代混線の事例」『日本放送史研究』第8巻第1号, 1962年, pp. 13-29.
- ^ Margaret A. Thornton, "The Reverse Flow of Recorded Sound," Proceedings of the Eastern Audio Society, Vol. 3, 1961, pp. 5-21.
- ^ 『週刊電波と生活』編集部『昭和34年戦時ラジオ放送怪事件 総合報告』週刊電波社、1960年、pp. 7-44.
- ^ 橋本清『深夜の受信機学』朝日選書、1965年、pp. 119-158.
- ^ 藤田健一郎「無音処理規格の成立」『放送行政月報』第15巻第6号, 1961年, pp. 77-81.
- ^ Eleanor C. Finch, "When Static Speaks in Uniforms," Radio Studies Quarterly, Vol. 9, No. 1, 1965, pp. 1-17.
外部リンク
- 電波怪異アーカイブ
- 昭和ラジオ検証室
- 深夜受信研究会
- 戦時帯資料館
- 旧放送台帳デジタルコレクション