昭和17年帝国病院怪奇事件
| 名称 | 昭和17年帝国病院怪奇事件 |
|---|---|
| 発生日時 | 1942年11月3日未明 |
| 発生場所 | 東京府麹町区の帝国病院 |
| 被害 | 負傷者12名、診療停止2日、点滴瓶31本破損 |
| 原因 | 蒸気配管の逆流、蓄音器室の誤作動、当直医の疲労 |
| 関係機関 | 帝国病院、厚生省医務局、警視庁保安課 |
| 通称 | 白衣が増える夜 |
| 後年の扱い | 都市伝説、病院怪談、戦時医療史の逸話 |
昭和17年帝国病院怪奇事件(しょうわ17ねんていこくびょういんかいきじけん)は、17年()に内ので発生したとされる、病院全体が一夜にして「検温器の鳴き声」に支配されたという怪事件である[1]。のちにの内部文書や医学部の回収資料を通じて、戦時下の医療現場における集団錯視と設備暴走の複合事故として語られるようになった[2]。
概要[編集]
昭和17年帝国病院怪奇事件は、の総合病院であるにおいて、深夜の病棟巡回中に看護婦が「空の廊下を歩く軍靴の音」を聴取したことを端緒とする一連の異常現象である。事件は、病院の蒸気配管、給水塔、蓄音器式院内放送、ならびに戦時下の夜勤体制が連鎖的に干渉した結果、通常では説明しにくい挙動を示したものとされている[1]。
一方で、事件そのものは戦後になってから整理された証言集によって有名となり、の記録では「設備事故」、の回想録では「見えざる看護長」、地元の聞き書きでは「白衣が階段で増殖した夜」と表現が割れている。なお、病院地下の旧検体室からは、なぜか昭和18年製の部品が見つかったとされ、後年の研究者をさらに混乱させた[2]。
発生の背景[編集]
事件の背景には、戦時下における医療資材の逼迫があったとされる。17年当時、帝国病院では一床あたりの夜間配員が平時の7割に縮小され、薬品棚の整理番号も3回改訂されていた。さらに、病棟内の自動消毒装置が国産化された初期型で、蒸気圧の変動により金属音を吸着しやすい構造であったことが、のちの「呻く廊下」現象に結びついたという説が有力である[3]。
また、院長であった博士は、病院の士気維持のために夜間の無線慰問放送を試験導入していたが、配線図が不完全だったため、放送音声が手術室の心電計と混線した記録が残る。これにより、午後11時台になると「遠くで誰かが朗読する声」と「心拍に似た拍動」が同時に発生し、職員の間で怪談化が進んだとされる[4]。
事件の経過[編集]
第一夜の騒動[編集]
1942年11月3日午前1時14分、第一内科病棟の巡回記録に「廊下の白衣が1着多い」と記されたことが事態の発端である。当直看護婦は、洗濯済みの白衣が吊るされたまま揺れているのを確認したが、その数が巡回のたびに12着から13着、さらに15着へと増えて見えたため、備品係が保管庫を点検した。実際には壁面の鏡が油膜で曇っており、反射によって奥行きが二重化していた可能性があるが、当時の証言では「白衣が自己増殖した」と断じられている[5]。
検温器の鳴き声[編集]
午前2時すぎ、婦長室の温度計と検温器が同時に高音を発し、病院全体に「子どもの泣き声のような金属音」が響いた。これは、地下のボイラー室で逆流した蒸気が、輸送用の空缶を連結していた配管に共鳴したためとみられているが、院内では長く「検温器が泣いた」と呼ばれた。なお、後年の再現実験では、同型の検温器34本を一定間隔で吊るすと、約6.2秒ごとに不規則な音階が生じることが確認され、音響学の小さな話題となった[6]。
地下検体室の封印[編集]
最も有名な局面は、旧結核検体室の扉が内側から鍵をかけられたように見えたことである。翌朝、扉には手のひら大の煤が8か所付着し、床には靴跡が1列だけ、途中でなぜか点滴瓶棚の方向に曲がっていた。病院では当初、避難訓練のいたずらとして処理しようとしたが、扉の向こうから「本日分のカルテがまだ届かない」という声が聞こえたという報告があり、以後この部屋は昭和29年まで封印された[7]。
関係者[編集]
事件に直接関わった人物として最もよく知られるのは、院長の、婦長の、夜警のの3名である。賀川は合理主義者として知られていたが、停電時の院内巡回にだけ妙に強い関心を示し、懐中時計を5分おきに3回鳴らす独自の指令法を採用していた。
森下はのちに「白衣の数は正しかったが、並び方が毎回違った」と回想しており、この証言が事件を単なる設備不良から怪奇譚へ押し上げた。小泉は事件当夜、地下通路で「軍医らしき人物に背中を押された」と述べたが、足跡が途中で消えていたため、警視庁保安課では証言の一部のみ採用された[8]。
調査と再解釈[編集]
事件の正式調査は、戦後の医務局整理班と医学部衛生学教室によって進められた。1951年に作成された『帝国病院夜間異常記録整理票』では、主因を「蒸気配管・心理的疲労・照明のちらつき」の3項に分解しているが、備考欄には「ただし、白衣数の増減説明は未了」とある[9]。
1970年代以降になると、事件は病院怪談として再流通し、テレビの再現番組では必ず検温器の音が強調された。さらに1998年、旧帝国病院跡地の再開発時に、地下ピットから院内放送用のホーンスピーカーが26台発見され、うち1台だけがなぜか当時存在しないはずの20年代規格であったことから、陰謀論的再解釈も生まれた[10]。
社会的影響[編集]
この事件は、戦時下の病院における夜勤環境の過酷さを象徴する逸話として語られる一方、病院怪談の定型を形づくった点でも重要である。特に「白衣」「検温器」「地下室」の3要素は、以後の日本の怪談雑誌における病院記事の必須装備となり、1950年代後半には地方病院の慰霊祭でさえ似た演出が見られたという[11]。
また、医療機器メーカー各社が「異音の少ない検温器」を売り文句に製品を改良したため、結果として家庭用体温計の静音化が進んだともいわれる。もっとも、この因果関係については当時の販促資料が過剰に物語化されているとの指摘もあり、現在でも要出典のまま残っている[12]。
批判と論争[編集]
事件記録の真正性については、早くから疑義が出されていた。特に、初出文書の一部にではなくの日付が混在している点、また「地下検体室で発見されたラジオ部品」が実際には病棟娯楽用の蓄音機の部材であった可能性が高い点が問題視されている。
ただし、地元の研究会『麹町医療民俗研究会』は、設備事故であっても、戦時下の極度の緊張が怪談として定着した事実自体に価値があるとして、事件の呼称を存置する立場である。反対に、OBの回想では「おおむね配管と寝不足」と断じられており、現在も解釈は割れている[13]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 賀川源一郎『帝国病院夜間巡回覚書』帝国医療文化社, 1954, pp. 41-68.
- ^ 森下キヨ『白衣の数が合わない夜』麹町出版, 1961, pp. 12-39.
- ^ 東京帝国大学医学部衛生学教室『昭和十七年帝国病院怪異記録の再整理』医学研究通信 第12巻第4号, 1952, pp. 201-219.
- ^ Henry T. Bell, "Auditory Misperception in Wartime Wards," Journal of Applied Hospital History, Vol. 8, No. 2, 1978, pp. 55-74.
- ^ 小泉義雄『夜警手帳とその周辺』中央看護協会資料室, 1967, pp. 88-113.
- ^ 厚生省医務局整理班『帝国病院夜間異常記録整理票』内部資料第7号, 1951, pp. 3-17.
- ^ Margaret A. Thornton, "Steam Pipes and Collective Panic," The East Asian Medical Review, Vol. 14, No. 1, 1989, pp. 11-29.
- ^ 麹町医療民俗研究会編『病院怪談の成立と白衣の象徴性』民俗と医療 第3巻第2号, 1976, pp. 77-96.
- ^ 佐伯俊介『戦時下都市の夜勤文化』青陵書房, 2002, pp. 145-173.
- ^ 田島美奈子『音の出る温度計——昭和怪異機器史』関東技術史叢書, 1999, pp. 5-28.
外部リンク
- 麹町医療民俗アーカイブ
- 帝国病院跡地資料室
- 昭和怪異機器研究会
- 戦時医療証言デジタル館
- 白衣増殖事件オーラルヒストリー集