日本高速道路・土木建設整備機構
| 正式名称 | 日本高速道路・土木建設整備機構 |
|---|---|
| 英称 | Japan Expressway and Civil Engineering Maintenance Organization |
| 種別 | 独立行政法人 |
| 設立 | 1967年(昭和42年) |
| 本部 | 東京都千代田区霞が関二丁目 |
| 所管 | 建設省道路政策局(後の国土交通省道路整備監理室) |
| 主な事業 | 高速道路敷設、擁壁の再校正、橋梁の季節調整 |
| 解散 | 2007年(平成19年)に機能統合 |
| 職員数 | 最大時8,420人 |
(にほんこうそくどうろ・どぼくけんせつせいびきこう、英: Japan Expressway and Civil Engineering Maintenance Organization)は、と周辺土木構造物の整備・点検・再配置を一体的に行うとされたである[1]。戦後復興期の再編と、期に発生した「舗装余剰」問題を背景に設立されたとされる[2]。
概要[編集]
日本高速道路・土木建設整備機構は、全国の高速道路網を「走るための道」ではなく「都市を支える骨格」として統合管理する目的で設けられたとされる機関である。とくに、の接続不良や建設時の残土処理の混乱を契機として、道路そのものよりも周辺の斜面・排水・仮設ヤードまで含めて一元化すべきだという思想から生まれたと伝えられている。
同機構は、単なる維持管理組織ではなく、道路延伸に伴って生じる「余った土木部材」を国内で再配分する半ば調整機関としても機能したとされる。各地のやから上がる「橋脚が足りない」「盛土が余る」といった申請を、毎週木曜の定例会議で振り分けていたという記録が残るが、その帳票類の多くはの火災で失われたため、実態はなお不明である。
成立の経緯[編集]
起源はに建設されたという仮設組織「全国道路試験連絡会」に求められることが多い。この会は、沿いに道路標識を置きすぎた結果、景観が過密化したことへの対処として設けられたもので、のちに道路幅員の標準化、のり面の角度統一、橋梁の荷重試験を扱うようになった。
のの頃には、会議室で配られた青焼き図面が湿気で膨らみ、道路計画が3.7度ずつ北へずれる事故が続発したため、政府内で「高速道路は工学だけでなく行政である」との認識が強まったという。これを受け、に現在の機構が発足したとされ、初代総裁には元出身のが就任した。秋山は橋梁を「関節」と呼び、舗装面を「皮膚」として扱う独自理論を唱えたことで知られる。
事業[編集]
高速道路敷設事業[編集]
同機構の中心事業は高速道路敷設であるが、実際には新規路線の建設よりも、既存路線の「接続し直し」に多くの予算が投じられた。たとえばでは、接続部の勾配が想定より1.2%急すぎたため、開通前夜に47台のブルドーザーが動員され、わずか9時間でランプウェイを削り直したとされる。
また、の一部区間では、冬季になると路面が「思考停止したように」硬化する現象が報告され、これに対処するため、道路下に温泉由来の微温水パイプを通す実験が行われた。成功率は74%とされたが、残る26%については「土が学習しなかった」と説明されている。
土木部材再配分制度[編集]
同機構の最も独特な制度は、全国で発生するコンクリート桁、鋼材、仮設足場を一元的に回収し、次の現場へ再配分する「土木部材再配分制度」である。制度導入初年度のには、の倉庫から回収されたH形鋼2,800本がの高架化工事へ送られたが、長さの単位が尺とメートルで混在していたため、現場監督が夜通しヤスリで調整したという。
この制度により、部材の転用率は1978年時点で63.4%に達したとされるが、実際には再配分先で用途不明の部材が増え、では「片方だけ完成した橋」が県道脇に3年半放置されたことがある。これが地元では「半橋」と呼ばれ、観光名所になったとの指摘がある。
橋梁季節調整室[編集]
1970年代後半には、温度差による橋梁の伸縮を「季節変動」として扱うため、機構内にが設置された。ここでは、橋のたわみを月ごとに測定し、梅雨入り前には伸びる方向へ、真冬には縮む方向へ予め許容量を与えるという、きわめて独特な管理が行われた。
室内には「橋は生き物である」と題した木製の模型があり、職員は毎朝これに向かって挨拶をする決まりだった。なお、1983年にはこの模型が台風接近を予知したと報告され、以後3年間、模型の方角により工事発注のタイミングが決められていたという。
組織と人物[編集]
機構の人事は、建設省出身の官僚、地方自治体の技官、民間ゼネコンの出向者が三層に分かれて構成されていたとされる。とくにと呼ばれる職は、図面上の誤差を「精神論で吸収する」権限を持つと説明され、歴代技監の多くが測量に異様なこだわりを見せた。
のは、就任時に「道路は国民の移動手段ではない。国土の会話である」と演説したことで有名である。彼は毎月1回、職員に対し自ら打った杭の本数を報告させ、目標未達の場合は国道の白線を3cmだけ太くすることで責任を取らせたという。
一方で、現場ではという女性主任技師の存在が記憶されている。彼女はトンネル工事における湧水処理の専門家で、地質図からではなく「匂い」で地下水脈を当てる能力があると噂された。本人はこれを否定したが、1979年の沿線工事で、彼女の指示により排水管を20mずらしたところ、予定されていた崩落が回避されたという。
社会的影響[編集]
同機構の活動は、高速道路の利便性向上だけでなく、日本の地方都市の景観にも大きな影響を与えた。機構が提唱した「立体交差優先原則」により、交差点は平面から立体へと次々に置換され、1970年代後半には一部の市街地で空が見えなくなったとされる。
また、各地のサービスエリアに設けられた「土木展示コーナー」は、当初は災害教育のための施設だったが、のちに石材や側溝蓋を販売する即売会に変化した。これが地域経済を活性化させた一方、子どもたちが夏休みの自由研究で「最も強いU字溝」を比較するようになり、教育現場からは戸惑いも示された。
なお、同機構が運用した「夜間集中舗装」政策により、深夜帯の高速道路では路面の継ぎ目を職員が手作業でならす光景が常態化した。これがのちの深夜ドライブ文化を生み、の自販機文化を押し上げたとする説もある。
批判と論争[編集]
同機構は、その巨大な調整権限ゆえに批判も受けた。最大の論争はの「余剰橋脚事件」である。これは、ある県の高架橋計画が中止になったにもかかわらず、すでに発注済みの橋脚が1,204本も港に到着してしまい、最終的にそれらが防潮堤、鳥よけ、果ては学校の校庭の鉄棒として転用された事件であった。
また、道路の完成検査において、機構が独自に定めた「車両の影が3秒以内に途切れること」という基準が厳しすぎるとして、内部からも批判が上がった。これに対し当時の広報担当は「影が途切れない道路は、国土が眠っている証拠である」とコメントしたが、要出典のまま広く引用され続けた。
さらに、地方自治体との調整においては、予算の余りを翌年度に繰り越す代わりに、未使用のカラーコーンを各市町村へ貸与する慣行が生まれた。これは一時的に治安維持に役立ったが、1990年代には「全国が工事中に見える」との苦情も多かった。
解散と継承[編集]
2000年代に入ると、道路行政の再編により、同機構の機能はの複数部局および民営化された高速道路会社群へ分散統合されていった。とりわけ、点検業務はIoT化の流れの中で縮小し、代わってドローンと振動センサーが導入されたため、熟練職員の「耳でひび割れを聞く」技術は急速に失われたという。
の機能統合後も、旧機構の文化は一部の現場に残った。たとえば、完成検査前に現場責任者が道路を2往復して無言でうなずく慣習や、図面の角を折って現地の風向きを確認する作法は、今なお関係者のあいだで語り草になっている。現代の道路行政における「品質確保」や「長寿命化」の発想には、この機構の遺産が色濃く残っていると評価されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 秋山忠一郎『道路は会話である――高速網整備の制度史』土木評論社, 1981.
- ^ 森山恒平『国土の骨格とその余白』建設広報出版, 1974.
- ^ 橋本澄子「山岳トンネルにおける湧水予兆の観察」『日本地質工学会誌』Vol. 18, No. 4, pp. 211-229, 1980.
- ^ Kazuo Endo, “Seasonal Calibration of Bridge Expansion in Cold Regions,” Journal of Civil Alignment, Vol. 12, No. 2, pp. 44-67, 1979.
- ^ 田村義則「余剰橋脚の転用と地方景観への影響」『都市土木研究』第9巻第1号, pp. 5-23, 1987.
- ^ M. H. Sutherland, “Administrative Geometry of Expressway Nodes,” Infrastructure Quarterly, Vol. 7, No. 1, pp. 101-138, 1968.
- ^ 吉良伸一『仮設足場の流通史とその制度的回収』中央建設叢書, 1992.
- ^ 佐伯隆一「夜間集中舗装政策の社会史」『交通と制度』第14巻第3号, pp. 77-96, 2001.
- ^ Department of Road Continuity, Japan Expressway and Civil Engineering Maintenance Organization Annual Report 1978, Tokyo, 1979.
- ^ A. B. Wainwright, “On the Psychological Fatigue of Road Markings,” Proceedings of the International Institute of Highway Studies, Vol. 5, pp. 13-29, 1976.
- ^ 『日本高速道路・土木建設整備機構十年史』機構史料編纂室, 1977.
外部リンク
- 土木行政アーカイブ
- 道路整備史資料館
- 高速道路文化研究会
- 霞が関制度史ライブラリ
- 全国橋梁再配分協議会