最後の餃子か
| 名称 | 最後の餃子か |
|---|---|
| 別名 | 終餃子、ラスト・ダンプリング問答 |
| 分類 | 外食文化、席上作法、民俗遊戯 |
| 起源 | 1968年ごろから1974年ごろ |
| 主な地域 | 東京都、神奈川県、埼玉県の一部町中華 |
| 中心人物 | 木村繁雄、李秋芳、三浦政市 |
| 関連施設 | 飯田橋の中華酒場、川崎の団地食堂連絡会 |
| 記録数 | 1978年時点で34店、1991年時点で112店 |
| 性格 | 儀礼化した冗談 |
| 特徴 | 最後の1個を譲るか取るかで運勢を読む |
最後の餃子か(さいごのぎょうざか)は、系の小麦料理であるの包餡作法において、最後に残った一個の処遇をめぐるおよび競技的作法の総称である。主に後期のの町中華文化の中で整えられたとされる[1]。
概要[編集]
最後の餃子かは、卓上に最後の一個だけ残ったを、誰がどのような発話で引き取るかをめぐる一連の作法である。単なる遠慮の言い回しではなく、配分、公平、面子、そして会計前の沈黙を同時に処理する社会技術として理解されている[2]。
この習俗は、のからにかけての町中華で発達したという説が有力であり、深夜営業の店舗で常連客が「最後の一個」をめぐって譲り合ううちに、独特の定型句と身振りが整えられたとされる。なお、の『都内中華料理店聞き取り調査』には、すでに「か」の語尾を上げて問う常連客の記述がある[3]。
成立史[編集]
神田型の初期形[編集]
神田型では、最後の一個を皿の中央に戻し、箸先で一度だけ指し示してから「最後の餃子か」と問うのが基本とされた。これは食べる意思の確認というより、相手に配慮しているふうを演出する儀式であり、実際には発話者自身が最も食べたい場合に用いられることが多かった。
開店の『中華料理 三徳楼』では、当時の店主・が、常連の員たちの口論を防ぐため、最後の一個だけは注文者全員の「共同財」とみなす口上を考案したと伝えられる。木村は「餃子の最後は胃袋ではなく空気で決まる」と述べたというが、出典は店内掲示の写しのみである。
団地への拡散[編集]
前半になると、の団地食堂や南部の駅前中華に広がり、家庭でもホットプレート焼き餃子の場面に転用された。特にの冬、沿いの自治会懇親会で「最後の餃子か」をめぐる押し問答が20分続き、結局4人が半分ずつ食べることで決着した事例が有名である。
この時期には、餃子の最後の一個を誰が取るかでその日の人間関係を測る「関係性計量法」が半ば冗談として広まった。町中華の店員が客の気まずさを察して先に皿を下げる「回収介入」も現れ、後年の礼儀作法マニュアルに影響したとされる。
標準化と反発[編集]
に入ると、一部の飲食評論家がこの作法を「餃子における和議の形式」として紹介し、雑誌『』7月号が「最後の餃子か特集」を組んだ。これにより、単なる内輪の冗談だったものが、若者向けの席上ゲームとしても知られるようになった。
一方で、の一部店舗では「餃子は皿から消えるものであって、裁定を受けるものではない」として導入を拒否した。また、とされるが、にはの中華料理店で「最後の餃子か禁止」の貼り紙が出され、かえって客の関心を集めたという。
作法[編集]
作法は大きく「問う」「譲る」「奪うふりをする」の三段階に分けられる。まず一人が箸を半ば伸ばしながら「最後の餃子か」と発し、次に相手が一拍置いて「いや、どうぞ」と返す。このとき視線を皿に落とさず、あえて湯飲みを見る所作が礼儀とされた。
最も高度な形式では、最後の一個を二つに割り、片方を相手に勧める「折半流」がある。ただし、の老舗では、割った瞬間に肉汁の量で優劣が生じるため「むしろ争いを増やす」として、店側が六角形の小皿を導入した。これがのちの「小皿六分法」の原型であるとされる。
地域差[編集]
関東では問答の間合いが短く、では逆に、三度断ったあとでようやく受け取る「三顧型」が好まれるとされる。関西型では「ほんまに最後なんか」という確認が重要で、これは餃子そのものよりも、席上の空気を読む能力の試験として機能していた。
また、北西部では最後の一個を「船」と呼び、誰が乗るかを決める比喩が用いられた。対しての港湾労働者の間では「最後の餃子か」よりも「最後の焼き目か」が重視され、焼き面の濃い方を取った者がその日の交渉役を担うという奇妙な慣習があった。
社会的影響[編集]
最後の餃子かは、家庭内の食事配分だけでなく、会議後の懇親会や忘年会の沈黙を埋める話法として普及した。特にやの宴席では、最後の一個をめぐるやり取りが上司と部下の距離感を示す指標になったとされる。
にが行った調査では、都内の20〜50代のうち17.4%が「最後の餃子かを言ったことがある」と回答し、そのうち約6割が「本当は最後の一個を食べたかった」と認めた。この結果は、譲り合いがしばしば欲望の偽装であることを示すものとして引用される。
批判と論争[編集]
批判の中心は、最後の一個をめぐる問いが、かえって相手に心理的負担を与える点にあった。とりわけの立場からは、餃子の最後の一個に過剰な象徴性を付与することは食行動を不自然にするとの指摘がなされた。
また、の『月刊食堂』掲載記事では、ある評論家が「最後の餃子かは、実質的には最後の天ぷらか、最後の唐揚げかの先駆けである」と論じ、これに対して餃子文化研究者のが「餃子にのみ宿る沈黙の緊張がある」と反論した。なお、三浦の反論論文は題名に「沈黙する肉汁」という語を含み、当時の編集部で軽く笑いが起きたという。
後世への影響[編集]
以降、この作法は飲食店よりもむしろ家庭用フライパン文化の中で再解釈され、冷凍食品のパッケージにも「最後の一個の行方にご注意ください」といった文言が試験的に掲載されたことがある。さらに、オンライン掲示板では、最後の餃子かを巡る発言が「遠慮の様式美」として定型化し、スタンプ文化にも影響した。
には、のゼミが「最後の餃子かにおける発話権の分配」をテーマに模擬観察を行い、教室内で実際に餃子を焼いて検証した。結果として、最終局面では9割以上の被験者が「どうぞ」と言いながら自分の箸を止めることが確認されたが、これが自発的配慮か演技かは最後まで判定できなかった。
脚注[編集]
[1] もっとも初期の用例は東京都立中央図書館蔵の町中華ノートとされるが、所蔵番号の記載が不安定である。
[2] 最後の一個をめぐる発話を文化技術として扱う研究は、1980年代後半に散見される。
[3] 『都内中華料理店聞き取り調査』は、実際には配布部数12部の内部資料であったともいう。
[4] の調査は、対象地域に偏りがあるとの批判がある。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 木村繁雄『町中華における終盤作法の研究』三徳出版, 1975.
- ^ 三浦政市『沈黙する肉汁――餃子問答の民俗誌』飯田橋文庫, 1988.
- ^ 山本里奈『食卓の譲渡儀礼』東京生活史研究会, 1992.
- ^ A. C. Morton, “Late-Dumpling Negotiation in East Asian Informal Dining”, Journal of Urban Foodways, Vol. 14, No. 2, 1996, pp. 41-68.
- ^ 李秋芳『関東町中華の会話と配分』華北文化研究社, 1979.
- ^ 佐伯修一『餃子と面子――最後の一個をめぐる心理』新潮食学選書, 2001.
- ^ Margaret H. Doyle, “The Six-Plate Method and Its Social Consequences”, Food Ritual Studies Quarterly, Vol. 8, No. 4, 2004, pp. 112-139.
- ^ 関東外食史編纂委員会『昭和後期飲食店聞き取り資料集 第3巻』関東資料センター, 1986.
- ^ 中野友紀『最後の餃子か禁止令の考察』月刊食堂別冊, 1995.
- ^ Noboru Saito, “Silence, Steam, and the Final Gyoza”, Proceedings of the Tokyo Symposium on Everyday Etiquette, Vol. 2, 2011, pp. 7-19.
外部リンク
- 町中華文化アーカイブ
- 餃子作法研究所
- 食卓民俗データベース
- 都内口承文化年報
- 終餃子保存会