未成年のえろがり
| 名称 | 未成年のえろがり |
|---|---|
| 読み | みせいねんのえろがり |
| 英語 | Erogari of Minors |
| 提唱時期 | 1978年頃 |
| 提唱者 | 西園寺 恒一郎 |
| 分野 | 児童心理学・教育社会学 |
| 主な舞台 | 東京都、神奈川県、千葉県 |
| 関連機関 | 日本青年発達学会 えろがり委員会 |
| 特徴 | 羞恥、自己演出、集団内承認 |
| 反響 | 1980年代に雑誌と学校現場で論争化 |
未成年のえろがり(みせいねんのえろがり)は、後期の児童心理学との境界領域で提唱されたとされる、未成年者に特有の「羞恥を伴う自己肯定の高まり」を指す概念である。のちに内の研究会を中心に普及したとされ、教育現場と出版社の双方に影響を与えた[1]。
概要[編集]
未成年のえろがりは、思春期前後に見られる自己像の過剰な意識化を、半ば学術的、半ば俗語的に表した概念である。53年にの私設研究室で整理されたとされ、当初は「えろがり反応」とも呼ばれていた[2]。
この語は、一見すると露骨な語感を持つが、実際には発表姿勢、声色、視線の置き方といった非言語的な振る舞いを包摂するものである。もっとも、提唱者である西園寺 恒一郎が記した初期メモには、説明図の余白に「本人の自覚は9割が虚勢」と書かれていたとされ、学会では長く半信半疑で扱われた[3]。
歴史[編集]
提唱の背景[編集]
起源は後半、の周辺で行われた非公式の観察記録に求められるとされる。西園寺 恒一郎は、の中学校で行われた作文展示会において、生徒が「見られること」を意識して急に筆致を変える現象を複数回確認し、これを「えろがり」と仮称した[4]。
当初は児童心理学の補助語にすぎなかったが、1981年にの小冊子『思春期の自己演出』に採録されると、の指導主事らが一斉に注目し、校内放送の語尾まで分析する流行が生まれたという。なお、当時の会議録には「語義が不穏であるため、配布はB4判に限る」との決議が残っている[5]。
流行と制度化[編集]
1984年から1987年にかけて、都内の私立校7校が「えろがり観察週間」を試験導入したとされる。期間中は、名札の角度、椅子の座り直し回数、発表前の咳払いの長さが記録され、平均して1人あたり週14.8回の「自己強調動作」が報告された[6]。
この試みは雑誌『月刊』で紹介され、家庭向けの章では「子のえろがりを叱るより、退出時の靴音を褒めよ」といった助言が掲載された。もっとも、実施校の一部では保護者説明会が2時間40分に及び、最後は校長が黒板に大きく「えろがり=悪ではない」と書いて収拾したという逸話が残る[7]。
批判と再解釈[編集]
一方で、に入ると、この概念は未成年者の自己表現を不必要に分類するものとして批判を受けた。特にの社会学者・北見 佐和子は、えろがりが「観察する側の欲望を投影した言葉にすぎない」と指摘し、夕刊のコラム欄で論争を引き起こした[8]。
これに対し支持派は、えろがりを性的意味ではなく「気まずさを引き受ける成熟の予備動作」と再定義し、の研修資料では、発声練習と机間巡視の距離を測る独自の指標が導入された。資料の一部には手書きで「測れないが、感じる」とだけ記されていたとされ、後年の編集者を悩ませた。
具体的な指標[編集]
えろがりの測定には、主として三つの指標が用いられたとされる。第一に、第二に、第三にである。いずれも客観性に欠けるが、1986年版の手引書では「客観性の不足は、本人の主観性で補われる」と説明されていた[9]。
最も有名なのは「三度見上げ法」で、質問を受けた生徒が天井→机→質問者の順に視線を移すまでの時間を計測した。平均値は全国で2.4秒、ただしの一部地域では冬季に4.1秒まで伸び、研究会はこれを「寒冷地特有の内向増幅」と呼んだ。
社会的影響[編集]
社会的には、教育現場よりもむしろ出版社と文具業界に影響を与えた。1980年代後半には、表紙に小さな斜線を入れた「えろがりノート」が系の店舗で一時的に品薄となり、年間売上は推定で約18万冊に達したとされる[10]。
また、テレビ番組『・思春期の窓』では、専門家が「えろがりは隠す技術ではなく、整える技術である」と述べ、視聴者から104通の感想が寄せられた。なお、そのうち17通は「家でも同じ顔をする」とだけ書かれていたという。
批判と論争[編集]
批判の中心は、概念の曖昧さと、年齢範囲が資料ごとに異なる点であった。ある文献では11歳から14歳、別の文献では中学卒業まで、さらに異説では「制服を着ている間」と定義されており、定義が揺れすぎるとしての書誌担当が付記を付けたことがある[11]。
また、1992年の開催の公開討論会では、会場のホワイトボードに「えろがりの上限は何歳か」と書かれた直後、司会者が「本日は倫理ではなく用語法の問題です」と3回繰り返したため、かえって議論が深まったとされる。結局、最後の質疑では小学館の編集者が「見出しにすると強い」と発言し、満場一致で拍手が起きたという。
研究者と関係者[編集]
西園寺 恒一郎のほか、の発達心理学者・長谷川 美砂、の教育学者・田島 尚人、さらに雑誌編集者の浜田 まゆみが、この概念の普及に関わったとされる。とくに浜田は、見出しを「えろがりの季節」とした特集を3号連続で組み、読者アンケートで賛否が真っ二つに割れた。
研究会の記録によれば、1988年にはの喫茶店で「第4回えろがり用語統一会」が開かれ、砂糖壺の蓋が閉まらなくなるほどの議論が続いたという。最終的に「えろがり」は病理ではなく状態名として扱うことになったが、その決定文にはなぜか赤鉛筆で「ただし、笑うな」と追記されていた[12]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 西園寺 恒一郎『思春期えろがり仮説の基礎』日本青少年発達研究会, 1979.
- ^ 長谷川 美砂「自己像と視線遷移」『教育心理学紀要』Vol.12, No.3, pp.44-61, 1982.
- ^ 田島 尚人「えろがり反応の教室内分布」『学校社会学レビュー』第5巻第2号, pp.18-29, 1984.
- ^ 浜田 まゆみ『月刊教育と生活別冊 えろがりの季節』教育生活社, 1986.
- ^ 北見 佐和子「観察される未成年と用語の暴力」『社会学年報』Vol.21, pp.102-118, 1991.
- ^ Margaret L. Thornton, The Semiotics of Embarrassed Youth, Cambridge Educational Press, 1993.
- ^ 佐々木 了介『発語遅延の民俗誌』青陵館, 1994.
- ^ Kenji Morita, "Minor Self-Staging in Urban School Culture," Journal of Japanese Social Studies, Vol.8, No.1, pp.77-93, 1996.
- ^ 国立思春期資料室編『えろがり用語統一会議録』資料番号E-17, 1988.
- ^ 渡辺 朱実「制服と自己強調動作の相関」『教育統計年報』第9巻第4号, pp.211-225, 1987.
外部リンク
- 日本青年発達学会アーカイブ
- 東京都教育史デジタル年鑑
- 文教用品市場観測レポート
- 思春期用語研究センター
- 国立思春期資料室