東京科学技術工業大学
| 所在地 | (本校) |
|---|---|
| 設立 | (前身機関の再編を含む) |
| 大学種別 | 国立系(法的には特殊法人とされる) |
| 学部 | 工学・情報・材料・社会技術の4系統 |
| 学生数 | 約9,840人(在籍ベース、時点) |
| 特徴 | 学部横断の「都市実装ラボ」 |
| 通称 | 科工大(かこうだい) |
| 学術ブランド | TISTIE(Tokyo Integrated Socio-Technical Implementation Education) |
(とうきょうかがくぎじゅつこうぎょうだいがく)は、のに置かれる工学系の総合大学である。学部横断型の「技術社会統合」教育で知られているが、その起源は戦後直後の少人数実験室に遡るとされる[1]。
概要[編集]
は、理工系の基礎研究に加えて、技術の社会実装を主題化した教育体系を中核に据える大学である。公式には「産業と都市の結節点で学ぶ」ことが理念として掲げられており、学内施設も実験だけでなく運用訓練を想定して設計されたと説明されている[2]。
また、学内では「工業倫理」「都市計測」「材料の安全設計」を同一カリキュラム上で扱う運用がとられており、工学部生が法学系のゼミを履修する例も珍しくない。こうした横断性は、後述する創設期の技術官僚たちが“大学を研究所の延長にしない”という方針を徹底したことに起因するとされる[3]。
設立と前史[編集]
「5分で回る試作工場」計画[編集]
同大学の前身は、にの内部報告書としてまとめられた「5分で回る試作工場」計画にあるとされる。報告書では、試作の滞留を防ぐために工程表を“毎朝5分だけ口頭で更新する”方式が提案され、これが「技術運用を学生に教える」発想へ接続したと解釈されている[4]。
計画を主導したのは、当時の工業系官僚であるであるとされる。渡辺は、紙の設計図ではなく「床に引いた2.5cm幅の白線」で工程を可視化する方式を採用し、工学系学生が現場の判断をその場で学ぶべきだと主張したと伝えられている[5]。
芝浦“模型条例”と寄宿舎の発明[編集]
翌、東京都内で試験的に運用されたとされる「芝浦模型条例」により、教育用の装置が一定の安全基準(稼働音が平均で67dBを超えないこと、粉塵が捕集率92%を下回らないこと等)を満たす必要が生じた。ここで捕集率の測定は、近隣の地区にある旧式ガス灯メーカーの測定器が転用されたとも語られている[6]。
この条例対応のため、寄宿舎には“静音式の階段”が導入された。階段は普通のコンクリートではなく、学生が自分で交換可能な「弾性踏板」を備えており、歩幅を誤ると床が0.9mmだけ沈む仕組みになっていたという。安全よりも“失敗を教える”発想が先にあったとする証言もあり、結果として大学の学風が「失敗前提の工学」に寄っていったと説明される[7]。
教育・研究の特色[編集]
教育面では、の最大の看板として「都市実装ラボ」が挙げられる。これはキャンパス内に“実際の街区と同じ配管曲率”を再現した訓練区画を設け、学生が配管・センサー・安全弁を組み替えながら、実運用の判断を学ぶというものである[8]。
研究面では、材料系の研究が社会技術と結びつけられている。たとえば、材料研究室では「摩耗粉の環境負荷」を講義内で即時に評価するため、摩耗試験機が講義室の直下に設置されている。この構造は騒音や振動の問題を生む一方、学生が“データの匂い”まで含めて理解するという教育効果を狙ったとされる[9]。
さらに、情報系の学生には「倫理ファースト・プロトコル」が課されるとされる。プロトコルでは、機械学習の精度を示す前に、誤判定が誰にどの程度の損害を与えるかを先に記述することが求められ、これが教授会の議事録様式にまで波及したという指摘がある[10]。
学内組織と人材[編集]
学部横断委員会「TIE評議会」[編集]
同大学では、各学部のカリキュラムを半自動的に“再調整”する機関として「TIE評議会」が置かれている。TIE評議会は法務・心理・工学を同列に扱う規約を持ち、議題は「技術の誤用が起きる順番」を基準に並び替えられるとされる[11]。
評議会の意思決定は、点数化された“学生行動モデル”により行われる。具体的には、演習中の質問回数が月間で平均3.4回を下回ると、課題の難度が0.2段階ずつ自動調整されるという運用があったと記録されている[12]。この制度は学習成果に寄与した一方で、学生の質問回数が増えすぎて研究が停滞した時期もあったとされる[13]。
寄付講座の“都市音響科”[編集]
には、音響技術メーカーの寄付により「都市音響科」が設置された。都市音響科の目的は、交通騒音を抑える装置を作ることではなく、“不快の発生源を特定して教育に転用する”ことだと説明されている[14]。
都市音響科では、学生が街の特定交差点(内の架空ではなく実在の交差点名としての一部が挙げられることもある)で測定を行い、音のスペクトルから人の注意の逸れを推定する課題が出たという。もっとも、当時の資料では交差点の緯度経度が桁まで記されているのに、肝心の測定日が“未記入”だったとされ、後年に編集者が「出典が薄い」と注記したとも語られている[15]。
社会的影響と受容[編集]
同大学は、技術者養成にとどまらず行政・企業の運用改善に波及したとされる。たとえば、や周辺自治体の工事計画では、「学生が現場で作成した安全手順書」が採用されることがあった。これは大学が“手順を読ませる”のではなく“手順で動く装置”を先に作ったためだと説明されている[16]。
企業側の受容も早かった。製造業の現場では、失敗の記録を責任追及に使わない「暫定ログ制度」が広がり、大学の卒業生が研修講師として呼ばれたとされる。もっとも、制度の普及には成功と失敗が混在していた。ある大手では暫定ログが“免責の抜け道”として扱われ、結果として現場の改善速度が一時的に落ちたという記録が残る[17]。
また、大学の都市実装ラボが生んだ周辺産業も存在する。キャンパス周辺には、センサー校正の下請けが増え、内の小規模計測業者の売上が数年で伸びたとする推計がある。推計では年間平均成長率がとされ、時期によるブレも含めたグラフが講義資料に転載されたという[18]。
批判と論争[編集]
批判としてまず挙げられるのは、「技術社会統合」の名の下に教育が広がりすぎ、基礎理論の深化が遅れたのではないかという指摘である。とくに解析系の講義では、都市実装ラボの準備に時間を取られ、定期試験の平均点が学年内で極端にばらついた年があるとされる(当時の学内掲示では平均点がだったとも報じられた)[19]。
一方で、装置の“静音化”や“失敗の学習化”が過剰に設計され、現場感覚が逆に薄れるのではないかという議論もあった。過度な安全設計が、実際のトラブル対応能力を損ねる可能性が指摘されたとされる[20]。
さらに、の点数化モデルについては、学生の行動を数値で管理することの倫理が問題視された。教授会議事録には「質問回数の不足は能力不足ではなく不安の可能性」という文言が残る一方、制度改定は“数値基準の緩和”としてのみ行われ、カウンセリング体制の増強は翌年度に回されたという経緯があるとされる[21]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『工学教育の現場化:5分更新の試作工場』工業研修社, 1953年.
- ^ 田中真琴『静音式階段の設計史(暫定版)』技術行政論叢, 1960年.
- ^ Margaret A. Thornton『Socio-Technical Implementation in Postwar Universities』Journal of Applied Urban Engineering, Vol.12 No.3, 1972.
- ^ 山田涼介『都市音響科の教育効果測定』音響教育研究会, 第4巻第1号, 1978年.
- ^ 佐藤晶子『TIE評議会とカリキュラム再調整アルゴリズム』大学改革資料集, pp.41-58, 1984年.
- ^ Hiroshi Matsuda『Failure-Learning Design and Student Autonomy』International Review of Engineering Pedagogy, Vol.7, pp.99-120, 1991.
- ^ 【編集注】『東京科学技術工業大学十年史』東京工科出版社, 1962年.
- ^ Nora Bennett『Noise, Ethics, and Accountability in Engineering Training』Proceedings of the Symposium on Technical Morality, pp.15-27, 2003.
- ^ 鈴木健太郎『暫定ログ制度の現場導入:免責の境界』産業安全研究, 第22巻第2号, 2012年.
外部リンク
- 科工大アーカイブス
- TIE評議会資料庫
- 都市実装ラボ公開講義録
- 港区工事手順書コレクション
- 都市音響科フィールドノート