東筑
| 名称 | 東筑 |
|---|---|
| 種類 | 展望複合施設 |
| 所在地 | 福岡県北九州市小倉南区東筑台 |
| 設立 | (31年) |
| 高さ | 47.8メートル |
| 構造 | 石造基壇・鉄骨上屋・木造回廊 |
| 設計者 | 渡辺 精一郎、E. H. C. モートン |
東筑(とうちく、英: Tōchiku)は、小倉南区にある[1]。現在では地域のランドマークとして知られ、古いの基壇と近代的なが併存することで知られている[1]。
概要[編集]
東筑は、小倉南区東筑台に所在する展望複合施設である。もともとは期の測量実験塔として建立されたが、のちに地域集会所、気象観測室、展望台を兼ねる施設へと転用されたとされている。
現在では、旧東部の象徴的建造物として観光案内にも掲載されているほか、年に一度の「東筑灯明会」では、塔全体に製の灯籠が据え付けられ、最大で約1,420個が同時に点灯する。なお、この灯籠の数は「塔の階段の段数に合わせた」と説明されることが多いが、実際には後年の保存会が語りやすさを優先して整えた数字であるとの指摘がある[2]。
名称[編集]
「東筑」の名は、旧来の地名であるに由来するとされる。もっとも、地元では「東の筑」「筑の東側」など複数の俗説が併存しており、の調査では、の新聞広告に初めて「東筑楼」という表記が確認されている[3]。
名称の定着には、建設を主導したが用いた測量図面の略記号「T. Chiku」が影響したという説が有力である。一方で、英語名のは人技師のE. H. C. モートンが、当地の風向観測資料を整理する際に便宜上つけたローマ字表記に由来するともされる。なお、現在の施設案内板では「東筑」を「東の方角を測る塔」と説明しており、やや後付けの感がある。
沿革[編集]
建設計画と初期利用[編集]
東筑の建設は、に発生した沿岸測量の不一致を受け、営の臨時測量委員会が提案したことに始まる。委員会記録によれば、当初は高さ30メートル級の木造櫓として計画されたが、地盤の岩盤が予想以上に硬く、掘削作業に9か月を要したため、石造基壇に変更されたという。
竣工はとされるが、完成直後は展望用途よりも、方面からの霧の発生を記録する観測施設としての利用が中心であった。特に冬季には、塔頂部の風見板が1日平均17回も鳴ったと記されており、当時の来訪者の日記には「まるで船の甲板のようであった」との記述が残る[4]。
改修と保存運動[編集]
初期には、塔の西側に木造の回廊が増築され、地域の演芸会や商工会の集会場としても利用された。の改修では、内部階段が急すぎるとして踏面が2センチ拡幅され、これにより登攀時間が平均で6分短縮されたという[要出典]。
戦後は一時荒廃したが、に地元商店街との前身自治体が共同で保存方針を決定し、外観を維持したまま耐震補強が行われた。保存運動の中心人物であったは、毎朝5時に塔周辺の清掃を続けたことで知られ、のちに「東筑の母」と呼ばれるようになった。
現在の利用[編集]
現在では、東筑は展望施設、地域資料室、観光案内所、そして小規模な催事場として複合利用されている。特に3階相当の展望回廊からは方面が一望でき、空気が澄む日には側の灯台の光まで確認できると案内される。
また、以降は、毎月第2土曜日に「塔内手回し風車実演」が行われている。これは元来、塔頂の換気装置の整備点検として始まったものだが、来場者の人気が高くなり、現在では所要時間12分の定例公開として定着している。
施設[編集]
東筑は地上3層・地下1層の構成を取り、各層ごとに用途が異なる。地下層は積みの貯水室と記録保管庫、1階は受付と模型展示、2階は気象観測機器の復元展示、3階は講演室および展望回廊として整備されている。
塔頂の八角形の望楼には、真鍮製の風向計と、直径1.2メートルの方位盤が設置されている。方位盤にはの各港と並んで、なぜか「旧・東筑停車場」が刻まれており、これが改修時の設計ミスなのか意図的な記念刻印なのかについては、いまだに意見が分かれている。
また、1階ホールの床下には音響反響を利用した「声返し穴」があり、来訪者が短く挨拶すると約0.8秒遅れて反響が返る。保存会はこれを「明治期の簡易オーディオ装置」と説明しているが、実際には風の抜けを良くするための通気孔だった可能性が高い。
交通アクセス[編集]
東筑へはの沿線から路線バスで接続しており、最寄り停留所は「東筑台入口」である。停留所から施設までは徒歩約11分だが、坂道が連続するため、案内地図では所要15分とやや多めに表示されている。
また、かつては方面からの観光遊覧馬車が運行されていたが、を最後に廃止された。現在は、春季と秋季に限り、東筑保存会が臨時のシャトル車を1日4往復運行しており、乗車率は休日で約73パーセント前後とされる。
自動車利用の場合は、施設南側の「東筑臨時駐車場」を利用する。駐車枠は38台分であるが、週末には周辺の旧水路跡に沿って臨時区画が13台分増設される。これについては、安全基準上の位置づけが曖昧であるとして、の担当課に照会が入ったことがある。
文化財[編集]
東筑はにに指定され、翌には塔内部の測量関連資料27点が附属資料として登録されている。石造基壇の積み方は、地方に残る近代初期の洋風建築としては比較的珍しい「斜交積み」に近く、建築史上も注目されている。
一方で、文化財指定の審査報告書には、最上階の梁に「夜間、微弱な振動音がある」との記述が含まれている。保存会はこれを風鳴りと説明しているが、観測記録では無風時にも周期的な音が報告されており、地元では「東筑が潮の満ち引きを数えている」とする俗信が根強い。
このような逸話の多さから、東筑は学術的価値と民間伝承の双方を併せ持つ事例として扱われている。特に建築史研究室の報告書では、「保存対象であると同時に、地域が自らの近代化を語るための装置でもある」と評されている。
脚注[編集]
[1] 北九州市観光文化局『東筑保存調査報告書』第3版、2019年、pp. 4-7。
[2] 田中 霧彦「東筑灯明会における灯籠数の変遷」『筑後民俗研究』Vol. 12, No. 2, 2021年, pp. 33-41。
[3] 北九州工科史料研究会『東筑楼初出資料集』、2020年、pp. 18-19。
[4] 橘 由真『明治北九州観測日誌抄』海鳴社、1988年、pp. 102-105。
[5] Margaret A. Thornton, “A Note on Tōchiku Wind Records,” Journal of East Asian Vernacular Structures, Vol. 8, No. 1, 1997, pp. 11-29。
[6] 松永キヨ記念保存会『毎朝五時の掃除と塔の記憶』、2006年、pp. 56-60。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北九州市観光文化局『東筑保存調査報告書』第3版、2019年、pp. 4-7.
- ^ 田中 霧彦「東筑灯明会における灯籠数の変遷」『筑後民俗研究』Vol. 12, No. 2, 2021年, pp. 33-41.
- ^ 北九州工科史料研究会『東筑楼初出資料集』、2020年、pp. 18-19.
- ^ 橘 由真『明治北九州観測日誌抄』海鳴社、1988年、pp. 102-105.
- ^ Margaret A. Thornton, “A Note on Tōchiku Wind Records,” Journal of East Asian Vernacular Structures, Vol. 8, No. 1, 1997, pp. 11-29.
- ^ 松永キヨ記念保存会『毎朝五時の掃除と塔の記憶』、2006年、pp. 56-60.
- ^ E. H. C. Morton, “Surveying a Tower Called Tōchiku,” Transactions of the Kyushu Historical Engineering Society, Vol. 3, No. 4, 1905, pp. 201-214.
- ^ 福岡県教育委員会『県指定文化財台帳 近代建築篇』、2004年、pp. 88-91.
- ^ 佐伯 恒一「塔内声返し穴の音響特性」『日本建築雑誌』第118巻第1462号、2015年、pp. 77-83.
- ^ 『東筑と東筑前のあいだ』九州地方史刊行会、1991年、pp. 12-16.
外部リンク
- 東筑保存会
- 北九州市文化財データベース
- 筑前近代建築アーカイブ
- 九州観測史研究所
- 東筑灯明会公式記録