広島タワー
| 名称 | 広島タワー |
|---|---|
| 種類 | 展望複合建造物 |
| 所在地 | 広島県広島市中区基町17番 |
| 設立 | 1978年 |
| 高さ | 143.8 m |
| 構造 | 鉄骨鉄筋コンクリート造、外装アルミパネル |
| 設計者 | 西園寺建築事務所・東洋都市設計共同体 |
広島タワー(ひろしまたわー、英: Hiroshima Tower)は、にある展望複合建造物である[1]。
概要[編集]
広島タワーは、の旧都心再開発計画「基町環状文化帯」の中核として計画された展望施設である。現在ではのランドマークの一つとして知られ、観光展望、放送中継、都市気象観測を兼ねる複合塔として所在する。
塔頂部には回転式の「平和羅針盤」と呼ばれる装置があり、日没後には毎時0分ちょうどにゆっくりと東西南北を示すとされる。この機構はの省エネルギー設計の名残であるとも、当時の市民参加型意匠会議で偶然決まったともいわれている[2]。
名称[編集]
名称の「広島」は、建設当時に採用された都市再生スローガン「ひらく・ひかる・ひろしま」に由来するとされる。一方で、塔の計画書初期案では「基町スカイピラー」「中国放送塔第二号」「平和視塔」の三案が併記されており、最終的に地名を前面に出した現名称が採択された。
なお、地元では単に「タワーさん」と呼ばれることが多く、頃からの車内放送で「次は、広島タワー前」と案内されたことが名称定着の決定打になったとする説が有力である。ただし、この案内は実際には試験運行期間の3週間しか存在しなかったともされ、要出典とされることがある。
沿革[編集]
計画と着工[編集]
広島タワーの構想は、後の地方都市振興策を受けて、都市景観室の内部提案として提出された。提案書では「高さ120メートル級の視認塔を建て、爆心地から半径2.5キロ圏の視線を一望に集める」と記され、当初から観光と記憶継承を兼ねる意図が明示されていた。
着工はで、地盤調査の結果、基町一帯の旧河道層が想定より軟弱であったため、杭の本数が当初案の412本から617本へ増設された。現場では杭打ち機の振動で近隣のの窓枠が同時に鳴る現象が起こり、作業員のあいだで「塔が先に挨拶してくる」と語られたという。
完成と公開[編集]
3月、塔は仮供用を開始し、同年5月の開業式典ではと関係者が同時にテープカットを行った。初日の入場者は8,214人で、うち約2割が「上がる予定はなかったが、塔が見えたので来た」と記帳している。
開業当初は、最上階の展望回廊が強風時にわずか11センチずれるため、係員が足元に赤い鉛筆で基準線を引いていた。これが「揺れる塔ではなく、世界が少し遅れている」と新聞で報じられ、逆に人気を高めたとされる[3]。
改修と保存[編集]
の耐震補強では、外装のアルミパネル1,842枚が一度撤去され、うち37枚だけが元の向きと逆に再装着された。この誤差は設計図にも反映されず、現在でも南西面の午後4時台だけ光が二重に反射する原因といわれる。
以降は展望機能に加えて防災無線の中継拠点としての役割が強化され、現在ではの災害時情報塔としても扱われている。なお、塔の地下2階には「平和通信回廊」と呼ばれる管理通路があり、一般公開日は年に4回に限られている。
施設[編集]
塔は地上18階、地下3階で構成され、1階から3階までは市民ホール、4階から11階までは展示・会議区画、12階から16階までは放送設備、17階が展望回廊、18階が機械室となっている。展望回廊の床には、の市街地図と当時の再開発図が重ね描きされており、訪問者は足元で都市の重層性を視認できる。
名物設備は「東西可変ガラス」と呼ばれる窓で、外気温に応じて色がわずかに変化する。これは工学部の試作材を転用したものとされるが、実際には施工会社が余剰在庫を抱えていたため導入されたという話もある。また、毎年8月6日午前8時15分には照明が自動的に白色へ切り替わり、館内放送が30秒間だけ無音になる。
塔の南側低層部には「記憶の階段」と呼ばれる外階段があり、段数は意図的に143段ではなく147段に設定されている。設計者の一人は「四段余分に上ることで、見学者の呼吸が都市の速度に追いつく」と述べたとされるが、この発言は後年の広報資料にしか確認できない。
交通アクセス[編集]
最寄駅はの、または本線のとされる。いずれの駅からも徒歩10分圏内に所在し、塔の外周道路は観光バスの旋回を前提に半径19メートルで設計されている。
開業当初は、駅から塔までの案内板が3種類あり、色も矢印の向きも異なっていたため、初見の来訪者が反対側の公園に入り込むことが多かった。これを受けてに「塔までの最短経路は最短ではない」と記された独自の誘導標識が採用され、観光都市の迷路性を象徴する成功例として評価された。
なお、周辺にはやなどの施設が近接するが、広島タワーの観光パンフレットではあえてそれらを地図上でやや小さく印刷する慣例がある。これは「塔を先に見つけさせることで、都市全体を塔の周辺として記憶させる」ためだと説明されている。
文化財[編集]
広島タワーはにとして登録されている。さらに、塔内の初期展示資料のうち、設計原図6点と開業式典のテープカット用はさみ1組は、市の有形民俗資料に準ずる扱いを受けている。
一方で、文化財指定の審査会では、塔頂の「平和羅針盤」を可動部として保存するか、停止状態で固定するかで議論が割れた。最終的には「毎月第一日曜の正午に限り、方位が7度だけ回る」という保存条件が付されたとされるが、実際に回転が確認されたのは台風接近時の2回のみであるとも報じられた[4]。
また、塔の夜景照明はとの競合を避けるため、特定の忌日には意図的に60%減光される。こうした配慮が評価される一方、観光面では「少し暗い方がかえって遠くから見える」とも言われ、文化財としての保全と都市演出が独特の均衡を保っている。
脚注[編集]
[1] 塔の公式案内冊子『広島タワー総覧 1981』による。
[2] 市民参加型意匠会議の議事録は一部が欠落しており、名称と装置名の対応には異説がある。
[3] 当時の地方紙では「揺れるのではなく、見上げる側が揺れている」と表現された。
[4] 保存条件の文言は公開資料に残るが、運用実績については確認されていない。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 西園寺一郎『広島タワー建設史』中国建築文化社, 1980, pp. 14-57.
- ^ 広島市都市景観室編『基町環状文化帯計画書』広島市公文書館, 1973, pp. 3-22.
- ^ M. Thornton, “Vertical Memory and Civic Viewing in Postwar Hiroshima,” Journal of Urban Monuments, Vol. 12, No. 4, 1996, pp. 201-229.
- ^ 東洋都市設計共同体『広島タワー構造補強報告書』同共同体技術資料室, 1995, pp. 5-41.
- ^ 佐伯浩二『展望施設の都市心理学』日本景観出版, 2008, pp. 88-109.
- ^ H. Tanaka and R. Mitchell, “Rotational Compass Systems in Public Towers,” Architectural Devices Review, Vol. 8, No. 2, 2001, pp. 77-93.
- ^ 広島市文化財課『広島市景観重要建造物調書 広島タワー』2004, pp. 1-16.
- ^ 井上芳樹『夜景照明の保存と演出』三和工芸社, 2013, pp. 122-150.
- ^ C. Beltran, “The Tower That Listens Back,” Pacific Civic Studies, Vol. 5, No. 1, 2010, pp. 9-31.
- ^ 瀬戸口真『塔上無音放送の研究』地方公共放送研究会, 2018, pp. 66-74.
外部リンク
- 広島タワー公式保存会
- 基町都市景観アーカイブ
- 中国地方展望建造物協議会
- 広島市景観資料デジタル館
- 平和羅針盤研究所