松本ひろき現象
| 名称 | 松本ひろき現象 |
|---|---|
| 別名 | ひろき収束、MHP |
| 初出 | 1987年ごろ |
| 発生地 | 東京都渋谷区・新宿区周辺 |
| 分類 | 社会心理学、都市伝説、情報拡散 |
| 観測対象 | 会話、掲示板、社内回覧、深夜ラジオ |
| 提唱者 | 北川順一郎ほか |
| 影響 | 命名慣行、宣伝文案、匿名掲示板文化 |
松本ひろき現象(まつもとひろきげんしょう、英: Matsumoto Hiroki Phenomenon)は、後半の日本の都市生活圏で観測された、発話の主語が徐々にへ収束していくとされる社会心理的・情報伝播的現象である。のちに内のやので取り上げられ、現在では半ば伝説的な集団認知の例として知られている[1]。
概要[編集]
松本ひろき現象とは、ある集団内で話題の中心人物が実在の個人であるか否かにかかわらず、やがて「松本ひろき」という名で仮置きされ、説明・責任・逸話の受け皿になっていく傾向を指すとされる。とりわけ末から初頭にかけて、の私鉄沿線、専門学校、コールセンター、深夜番組の視聴者コミュニティなどで多発したと記録されている[2]。
この現象の特徴は、単なる流行名ではなく、当事者の実名が不明な案件であっても、会話の中で「とりあえず松本ひろきで」という合意が成立しやすい点にある。また、言い換えれば「松本ひろき」という名前が、未整理な情報を一時的に固定するメモリスロットのように機能したのである。なお、の旧情報文化調査班が1989年に行った聞き取りでは、回答者の実に37.4%が「松本ひろきは二人いる気がする」と述べたとされ、ここに現象の核があるとされている[3]。
歴史[編集]
起源[編集]
最初期の記録は、の印刷所で回覧された社内メモに見られる。そこでは、納期遅延の責任所在が曖昧な案件を指して「ひろき案件」と記されており、後年、これを見た研究者のが、当時の現場監督であった松本姓の担当者に由来すると解釈したのである[4]。
一方で、の深夜喫茶に集う編集者たちの間では、別の起源譚が語られていた。すなわち、当時のフリーペーパーに毎号匿名投稿していた人物が、署名の代わりに「松本ひろき」と書いたことから、誰が書いても松本ひろきに見える文章様式が生まれたという説である。この説は文献的裏付けに乏しいが、当時の空気感をよく伝えるとして、後に社会情報学研究室のゼミ資料でも紹介された[5]。
拡散[編集]
拡散期はからにかけてであり、の広告業界、学生サークル、駅前のカラオケボックスを経由して急速に広まった。特に沿線の喫茶店では、会話が途中で迷走すると、店員まで含めて「それ、松本ひろきさんの話ですよね」と補助線を引く習慣があったという。
この時期には、の深夜番組でハガキ職人が「松本ひろき」という架空の常連リスナーを登場させたことで、現象が半ば公共財化した。番組の送出記録によれば、同名のハガキは3か月で148通に達し、うち92通が文末で自発的に「松本ひろきなら仕方ない」と締めくくられていたとされる[6]。
制度化[編集]
には、内の中堅広告会社が内部マニュアルに「不確定情報の仮名は松本ひろきに統一」と明記し、これが業界標準のように扱われた。実際には当該文言は新入社員研修の講師が冗談半分で追記したものであるが、マニュアル改訂会議で削除されず、そのまま配布されたことが知られている。
さらに、の年次大会で「都市名を帯びない固有名が社会に与える収束効果」と題する発表が行われ、松本ひろき現象は初めて準学術的に定義された。発表者は、名前の語感が親しみやすく、かつ特定の階層・職業・地域に過度に結びつかないため、媒介語として優秀であったと説明している[7]。
特徴[編集]
松本ひろき現象には、少なくとも三つの再現性があるとされる。第一に、匿名の人物像が「松本ひろき」で上書きされること、第二に、その人物が妙に有能か妙に不運な設定を同時に持つこと、第三に、説明の途中で別の固有名詞に置換しても最終的に松本ひろきへ戻ることである。
また、会話上の機能としては、断定を避けたい場面で便利である一方、責任の所在を曖昧化する危険があった。実際、の某出版社では、校正ミスの説明として何度も松本ひろきの名が使われ、ついには本当に同姓同名の営業担当が存在すると誤認される騒動が起きた。なお、社内調査報告書には「松本ひろきは人名である以前に状態である」との謎めいた一文が残されている[8]。
社会的影響[編集]
社会的影響としてまず挙げられるのは、の企業研修における仮名文化の発展である。名簿未確定の取引先、匿名の苦情、出所不明のアイデアに「松本ひろき」を充てることで、議論が前進したとする報告が複数ある。
第二に、放送文化への影響がある。バラエティ番組や深夜ラジオでは、視聴者投稿の典型人物として松本ひろきがしばしば引用され、やがて「松本ひろき枠」という編集用語が一部の制作会社で流通した。もっとも、系列の番組制作メモに現れるのは1回だけであり、実際には一部の下請けスタッフの手書きメモが独り歩きした可能性が高いとされる[9]。
第三に、初期の匿名掲示板文化への影響である。固定ハンドルを嫌う投稿者が、責任回避と親しみの両立を図るため松本ひろきを仮名に選ぶ例が増え、2001年頃には検索結果の約12%が「別人の松本ひろき」で占められたという不可解な統計も残る。これは後年、検索エンジンの重複判定不具合と説明されたが、当時の利用者にはむしろ現象の神秘性を補強する材料となった。
批判と論争[編集]
松本ひろき現象に対しては、当初から「実在の個人を抽象化しすぎている」との批判があった。特にの社会学講師・久保田玲子は、1998年の論文で「松本ひろきは都市の便利な仮面にすぎず、実名を持つ労働者の不可視化を助長する」と指摘している[10]。
一方で、支持者側は、むしろ現象が実名主義の硬直を緩和し、会話に冗長な余白を与えたと反論した。ただし、この議論の過程で「本当の松本ひろきは何人いたのか」という問いが毎回持ち出され、結局どの会議でも3人以上の松本ひろきが同時に議事録へ現れるため、論点が収束しないという問題があった。なお、のシンポジウムでは、登壇者全員が松本ひろきの名札をつけて参加したため、記録写真の識別が不能となったとされる。
研究[編集]
計量的研究[編集]
計量研究では、からにかけての共同研究班が、新聞見出し・社内文書・掲示板ログの3媒体を比較した。結果、松本ひろきという名が出現する文脈の41%は「誰かを説明するとき」、29%は「責任をぼかすとき」、18%は「おもしろがるとき」、残り12%は「本人がたまたまそこにいるとき」であった[11]。
ただし、同研究班のデータセットには、なぜかの文房具店で売られていた「松本ひろきシール」1,200枚が含まれており、後に分析対象の一部が販促物であったことが判明した。この混入がむしろ結果をより現象的にしたとして、査読者の間では妙な評価を受けた。
文化人類学的解釈[編集]
文化人類学の分野では、松本ひろき現象は「共同体が未確定の事象に人物形を与える儀礼」と解釈されている。とりわけの下宿文化やの同人誌文化との比較研究が盛んで、名の置換が親密さを生む過程が論じられた。
にで行われた公開講座では、参加者の半数以上が「松本ひろきは人間ではなく、編集上の余白ではないか」と回答したが、アンケート回収箱の封筒に最初から「松本ひろき」と印字されていたため、調査自体が現象に取り込まれていた可能性があると報告されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北川順一郎『都市会話における固有名収束の研究』東洋出版, 1998.
- ^ 久保田玲子「松本ひろき現象と実名の不可視化」『社会情報学評論』Vol. 12, No. 3, 1998, pp. 44-61.
- ^ 佐伯義彦『仮名の政治学――昭和末期の会話技法』新潮社, 2001.
- ^ M. T. Horner, “Name-Attraction Loops in Urban Conversational Drift,” Journal of Applied Folklore, Vol. 8, No. 2, 2002, pp. 113-129.
- ^ 井上真紀子「掲示板初期文化における仮名の反復」『情報社会研究』第7巻第1号, 2005, pp. 5-22.
- ^ 高見沢徹『深夜放送と匿名人格の生成』NHK出版, 2007.
- ^ Katsuro Endo, “The Hiroki Convergence Effect in Corporate Memo Systems,” Media & Society Quarterly, Vol. 15, No. 4, 2011, pp. 201-219.
- ^ 前田歩『名前が先に歩く――日本の都市伝説と編集実務』筑摩書房, 2014.
- ^ R. Sutherland, “Matsumoto Hiroki as a Placeholder Identity,” Inter-Asia Communication Review, Vol. 9, No. 1, 2017, pp. 77-96.
- ^ 渡辺紗英「松本ひろき現象の量的検討」『国立情報学研究所紀要』第23巻第2号, 2019, pp. 88-104.
- ^ 斎藤啓介『ひろきは誰か――匿名共同体の戦後史』平凡社, 2020.
外部リンク
- 日本社会現象アーカイブ
- 都市伝説資料室
- 仮名文化研究フォーラム
- 深夜放送史データベース
- 名前と共同体研究所