松永城
| 名称 | 松永城 |
|---|---|
| 種類 | 平山城型の展示施設 |
| 所在地 | 和歌山県有田市松永町 |
| 設立 | 1894年(明治27年) |
| 高さ | 天守相当部 41.8 m |
| 構造 | 木骨煉瓦造、外装漆喰仕上げ |
| 設計者 | 松永技術院建築課 初代課長・黒田 恒一郎 |
松永城(まつながじょう、英: Matsunaga Castle)は、にある[1]。
概要[編集]
松永城は、の丘陵地に所在する近代建築で、現在では沿線の観光拠点として知られている。外観は中世のを模しているが、実際には明治期に設立された「防潮・気象観測複合施設」を起源とし、のちに化された経緯をもつ。
現在では城郭風の外観と、内部に残る測雨塔・塩害試験室・旧電信室が一体で評価されている。また、地元では「築城された」というより「積み上げられた」と表現されることが多く、これは建設当初に流域の石材と、解体予定だった倉庫の梁材が大量に転用されたためである[1]。
名称[編集]
名称の「松永」は、近隣にあったの地名に由来するが、さらに遡ると、江戸末期にこの一帯を測量したの徒目付・松永彦左衛門の名残とされている。ただし、城の建設主体であるとは直接の関係がなく、名称の採用には当時の県令が「覚えやすく、縁起がよい」と判断したことが大きいとされる。
一方で、文書によっては「松永砦」「松永館」「松永観測城」と表記が揺れており、の地方紙では「城というより、塔の多い役所」と評されていた。なお、1948年の再整備以降は「松永城」が正式名称として定着したが、保存会の内部では今なお「旧松永観測館」と呼ぶ者もいる[2]。
沿革[編集]
建設計画[編集]
松永城の起源は、紀伊沿岸で相次いだ高波被害を受けて設けられた「松永湾防災試験場構想」にさかのぼる。県工務課の技師は、波浪観測施設に住民の避難塔と倉庫を併設する案を提出し、さらに視認性向上のため、遠方からでも見分けやすい城郭形の意匠を採用した。
建設費は当初と見積もられたが、瓦の彩色を巡る紛議や、石垣の勾配を「観光用に美しく」する追加工事が重なり、最終的にはに達した。これは当時の有田郡内の公共建築としては異例であり、県議会では「観測所にしては壮麗すぎる」との批判も出たが、結果的にその華美さが後の観光資源となった。
起工式には、庁からの派遣職員のほか、地元の醤油醸造家・山西家、土木請負人の、および近隣の寺社関係者が参加した。記録上は城郭の「天守」に相当する部分が最初に完成したことになっているが、実際には最初にできたのは観測塔であり、後からその周囲を囲うように櫓と回廊が増築されたとされる[3]。
明治期から昭和期[編集]
には、松永城内に塩害研究のための実験室が増設され、潮風に晒した木材の変形率を記録する業務が開始された。この研究は沿岸防災の参考になった一方、城内に吊るされた乾燥見本が「首級のようで不気味である」と観光客の間で噂され、逆に人気を呼んだ。
初期にはの気象通報所としても利用され、城塔から掲げる旗の色で波高を知らせる独自の運用が行われた。1934年の台風時には、城の北面に設置された避雷針が三度落雷を受けたが、内部の電話交換機が一切停止しなかったため、地方紙はこれを「近代と古風が同居した奇跡」と報じている。なお、このとき避雷針の先端が少し曲がったことが、現在の松永城の「わずかに左へ傾いた天守」の由来とされている[4]。
戦後の保存運動[編集]
戦後、松永城は一時的に倉庫兼青年団の集会所として使われ、内部の畳敷き大広間ではの選果会やラジオ体操の講習が行われた。1956年には解体案が浮上したが、地元の小学校教師・が「観測塔としての価値」と「子どもが城を見て歴史を学べる教育効果」を訴え、保存運動の中心人物となった。
1962年にはに相当する当時の審査機関へ「近代城郭建築」として登録申請が行われ、書類上は「防災・教育・景観の三機能を持つ稀有な施設」と説明された。審査官は現地踏査の際、天守相当部の内部に残る温湿度計と、なぜか畳の上に据えられた石膏製の鯱を見て首を傾げたというが、最終的には保存が妥当と判断された[5]。
施設[編集]
松永城は、外観上は三層構造の天守、二つの隅櫓、石垣、土塀、枡形門から成るが、実際にはそれぞれに異なる機能が割り当てられている。天守相当部は展望台と観測室、北櫓は旧電信室、南櫓は防災資料館として使われ、石垣の一部には潮位測定のための刻みが残る。
また、地階にはかつての貯水槽が現存しており、毎年になると内部の水位変化を展示する「梅雨の水鏡」催事が行われる。さらに、回廊にはの皮を乾燥させた芳香板が埋め込まれており、これが独特の匂いを生むとして来訪者の記憶に残るとされる。
特筆すべきは、正門脇にある「縮尺石庭」である。ここには城の全体模型を1/80で再現した石組みが置かれているが、建築当初、設計者が誤って1/64の寸法で石材を発注してしまい、完成後に周囲だけが妙に迫力のある構図になった。この「計算違い」が、かえって松永城の異様な存在感を強めたといわれている。
交通アクセス[編集]
松永城へはのまたは中心部からの路線バスで向かうのが一般的である。城の麓には「松永城前」停留所があり、そこから徒歩約12分で大手門跡に至る。道中には急坂があるが、これは本来、馬車よりも水車運搬を想定した勾配であったためである。
自動車の場合はから市道松永丘陵線へ入り、城下の共同駐車場を利用する。なお、週末は観光客のほか、地元の高校生が「課外実習」と称して訪れることがあり、駐車場が早い時間に満車になる傾向がある。観光案内所では、城までの最短ルートを示す地図のほか、かつての観測記録を再現した「風向カード」が配布されている。
文化財[編集]
松永城はに、にはに指定されている。指定理由には、近代防災史、地域景観、そして「城郭意匠の過剰な忠実さ」が挙げられた。
さらに、保存修理の際に発見された墨書から、外装の漆喰に海藻灰が混ぜられていたことが判明し、建築史研究者のあいだで注目を集めた。とりわけ、北壁の下塗り層に「潮に強い」とだけ書かれた試験札が見つかったことは有名であるが、その筆跡が黒田 恒一郎本人のものかどうかは確証がないとされる。
現在では、毎年11月に「松永城保存講演会」が開かれ、建築史、地域民俗学、気象史の三分野から講演が行われる。また、城の一部である旧電信室は、展示替えのたびに妙に高性能な計算器具が並ぶため、来館者からは「明治のままの未来」と評されている。
脚注[編集]
[1] 松永城保存会編『松永城年報 第17号』松永城資料室、2019年、pp. 3-8。 [2] 田辺由紀『紀伊沿岸の城郭意匠史』港書房、2008年、pp. 114-121。 [3] 黒田恒一郎「松永湾防災試験場構想の実際」『和歌山工業史研究』Vol. 4, No. 2, 1972年、pp. 45-63。 [4] 中村信夫『昭和初期の気象通報と地方建築』南紀出版社、1996年、pp. 201-209。 [5] 文化財調査局『近代城郭建築調査報告書 松永城』第2巻第1号、1963年、pp. 17-29。 [6] Robert L. Haynes, The Maritime Fortresses of Kii, Eastbridge Press, 1987, pp. 88-94。 [7] 佐伯美和『海藻灰漆喰の研究――松永城外壁における試み』『建築材料学雑誌』Vol. 12, No. 6, 2001年、pp. 77-86。 [8] 松永城文化財保存委員会『展示室配置変遷図集』2022年版、pp. 1-14。 [9] M. H. Whittaker, “A Castle that Observed the Weather,” Journal of Regional Heritage Studies, Vol. 9, No. 1, 2015, pp. 12-25。 [10] 山西良太『有田浜風土記と観測塔の伝承』紀州文庫、2011年、pp. 55-59。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松永城保存会編『松永城年報 第17号』松永城資料室, 2019, pp. 3-8.
- ^ 田辺由紀『紀伊沿岸の城郭意匠史』港書房, 2008, pp. 114-121.
- ^ 黒田恒一郎「松永湾防災試験場構想の実際」『和歌山工業史研究』Vol. 4, No. 2, 1972, pp. 45-63.
- ^ 中村信夫『昭和初期の気象通報と地方建築』南紀出版社, 1996, pp. 201-209.
- ^ 文化財調査局『近代城郭建築調査報告書 松永城』第2巻第1号, 1963, pp. 17-29.
- ^ Robert L. Haynes, The Maritime Fortresses of Kii, Eastbridge Press, 1987, pp. 88-94.
- ^ 佐伯美和『海藻灰漆喰の研究――松永城外壁における試み』『建築材料学雑誌』Vol. 12, No. 6, 2001, pp. 77-86.
- ^ 松永城文化財保存委員会『展示室配置変遷図集』2022年版, pp. 1-14.
- ^ M. H. Whittaker, “A Castle that Observed the Weather,” Journal of Regional Heritage Studies, Vol. 9, No. 1, 2015, pp. 12-25.
- ^ 山西良太『有田浜風土記と観測塔の伝承』紀州文庫, 2011, pp. 55-59.
外部リンク
- 松永城保存会
- 和歌山県文化財データベース
- 紀伊近代建築アーカイブ
- 有田市観光協会
- 松永城デジタル展示室