柵リファ椅子
| 名称 | 柵リファ椅子 |
|---|---|
| 種類 | 公共芸術・儀礼用椅子(回転式待機具) |
| 所在地 | 柵リファ通り三丁目・広場中央 |
| 設立 | (市制施行記念) |
| 高さ | 約2.6メートル |
| 構造 | 中空鋳鉄フレーム+木製座面+行列制御用手動レール |
| 設計者 | 渡辺精一郎(都市設備意匠技師) |
柵リファ椅子(さくりふぁいす、英: Sakurifa Chair)は、にある[1]である。現在では待機列の先頭を整える装置としても知られ、建造以来「座る順番」が地域の合言葉になっている[1]。
概要[編集]
は、に所在する公共芸術・儀礼用椅子である。現在では「待つことの作法」を視覚化するための都市設備として扱われ、地域の広場で見られる列形成の基準点として機能している[1]。
成立の経緯は、市制施行に合わせて開始された「行列平準化計画」に由来するとされている。計画担当は、列が乱れるたびに議会受付が混乱するという苦情を統計処理し、最終的に「座標のある椅子」を中心へ据える発想に至ったと説明される[2]。
なお、椅子という名称であるが、実際には人が座る部分だけでなく、座面の向きと足元の目印で列の進行方向を誘導する仕掛けが同時に組み込まれている。これにより「座れば列が進む」という半ば儀礼的な習慣が定着したとされる[3]。
名称[編集]
名称は、設計段階で用いられた仮称「柵(さく)+リズム(りふぁ)+椅子(いす)」から音便化したと説明されている。市の記録では、仮称の「リズム」は待機間隔を揃える“振幅”を指し、英語表記は後年に施設案内板の更新時へ合わせて制定された[4]。
一方で地元では、椅子の足元に刻まれた格子状の模様が「囚(とら)われた波」を連想させるとして、別解も語られている。もっとも、この説を裏づける公文書は見つかっていないとされ、観光案内では主に前者の語源が採用されている[5]。
市議会会議録では、初めて「柵リファ椅子」という呼称が公式に登場したのはの臨時会と記されている。そこでは“座標の中心に、しかし過剰な権威は置かない”という趣旨で、行政委員会が名称を決定したと報告された[6]。
沿革/歴史[編集]
行列平準化計画と起工[編集]
起工は、が市制施行を迎える直前の時期に実施された。建設予算は総額で3万8420円と記録されており、内訳として「鋳鉄部材2万310円」「木材座面1万1420円」「行列目印の刻印費3890円」などが列挙されている[2]。細目まで残っていることから、当時の技術者が会計監査を強く意識していたと推定されている。
計画立案の中心人物としては、都市設備意匠技師のが挙げられる。彼は工事現場で、平均遅延が「分散(へいきんからのずれ)」で表せると主張し、椅子の座面角度を列の平均進行方向に合わせたと説明された[7]。この“分散に合わせる椅子”という発想が、のちの地域アイコン化に結びついたとされる。
改修と“座る順番”文化[編集]
第二次改修はに行われ、座面の木材が従来の樫から欅へ替えられたと伝えられている。資料によれば、欅は雨天時にすべりにくいだけでなく、触感が落ち着くため苦情が減るという調査結果に基づいたとされる[3]。
さらにには、観光客の増加で待機列が二重化し、住民と来訪者の導線が交錯した。そこで市は、椅子の足元レールに“左へ1歩、右へ0.5歩”の目印を追加し、座る位置によって列が自然にほどけるよう再設計したとされる[8]。この時期以降、「柵リファ椅子に挨拶してから並ぶ」という所作が半ば定着したと記録されている。
奇譚:揺れないはずの揺れ[編集]
歴史の中でも語り継がれるのは、の台風時の逸話である。強風で広場の看板が倒れたにもかかわらず、椅子だけは倒れなかったとされる。しかし、地元紙の“現場報告”によれば、その瞬間椅子は一度だけ「0.7度」回転し、すぐ元へ戻ったという[9]。
この記述は技術的には説明が難しく、後年の調査では「回転したのではなく、観測者の立ち位置がズレた可能性がある」との指摘もなされている[10]。それでも住民は、椅子が“列の心”を守ったのだと冗談めかして語ることがあり、結果として奇譚が観光コンテンツへ取り込まれていった。
施設[編集]
柵リファ椅子は、広場中央に設置された回転式待機具であり、外観は朱色の欄(らん)と銀色の鋳鉄フレームで構成されている。座面の高さは地面から約52センチメートルとされ、長時間の待機でも疲労を抑える“角度設計”が採用されたと説明される[1]。
構造面では、中空の鋳鉄フレームが地中埋設のアンカーに接続されている。座面は手動レールにより僅かに回り、椅子の向きが列の進行方向を示す仕組みになっているとされる。設計者の渡辺精一郎は、椅子を「人が座る機械」ではなく「群れが整う装置」と位置づけており、その意匠が各部の曲線に反映されたとされる[7]。
内部には、刻印された円周目盛が残されているとされ、地元ではこれを“順番の羅針盤”と呼ぶ。目盛の刻み数は全周で128本、さらに各本に“微差”を表す番号が付いていると記録されている[2]。観光ガイドは、座面を正しく合わせることで番号が整列する、といった実演を推奨しているが、実証手順は担当者ごとに異なるとされる。
交通アクセス[編集]
柵リファ椅子は中心部の広場に所在するため、徒歩アクセスが基本とされる。市の観光案内では、から徒歩12分(平常時)と案内されているが、雨天時は椅子周辺の混雑で所要が17分へ延びることがあると注意書きがある[11]。
最寄りのバス停は「柵リファ通り三丁目前」で、路線系統はの管理下にあるとされる。バス利用の場合、所要は概ね6分、降車後は信号を2回渡る必要があると説明されている[12]。
なお夜間は広場の照明制御の関係で、椅子の“列誘導目印”が見えにくくなる。市はこれを補うため、臨時の足元灯を増設する運用を開始したとされ、イベント日には「柵リファ椅子の周囲だけ3段階に明るさを変える」手順が採用されている[8]。
文化財[編集]
柵リファ椅子は現在では、都市設備系の文化財としての登録制度における「生活意匠建造物」として登録されている。登録年月日は9月14日とされ、登録番号は“生意-44号”と案内されている[13]。
登録理由としては、(1)待機列の導線計画を一体で表現する点、(2)材質選定の背景を地域調査が記録している点、(3)刻印目盛などの細部が保存されている点が挙げられる。特に、座面の向きに連動した誘導機能が“生活のリズム”として説明されていることが評価されたとされる[1]。
一方で、椅子を“ただの観光像”として扱う動きもあり、設計思想の継承が課題として指摘されている。市は、見学者が座面に乗らないよう注意喚起を行っており、年数回の管理講習を実施していると報告されている[10]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 柊原市『柊原市制施行記念誌(増補版)』柊原市役所, 1933.
- ^ 渡辺精一郎『都市広場の導線設計と儀礼具の提案』『都市設備研究』第12巻第3号, 1934, pp.11-48.
- ^ 神原県観光局『公共芸術の維持管理指針(試案)』神原県観光局, 1978.
- ^ 小林万里『待機列の心理学—座標誘導の実務』『交通心理技報』Vol.5 No.2, 1981, pp.33-60.
- ^ 山田武雄『鋳鉄フレームの耐風応答に関する現場報告』『建築材料技術』第9巻第1号, 1962, pp.74-92.
- ^ 柊原市議会『臨時会議事録(昭和六年)』柊原市議会, 1931.
- ^ 大橋清隆『生活意匠建造物の登録審査基準と運用』『文化財工学年報』第18巻第4号, 2001, pp.201-236.
- ^ Matsuda, R. & Thornton, M. A. "Queue Aesthetics and Micro-Angle Orientation in Municipal Fixtures" The Journal of Urban Waiting, Vol.7, No.1, 1995, pp.1-19.
- ^ Ibrahim, S. "Case Study: Rotational Waiting Objects" Proceedings of the International Symposium on Civic Ornament, 2006, pp.210-224.
- ^ 佐藤玲『柊原広場の奇譚—0.7度回転の真偽』『神原地方史研究』第26巻第2号, 2009, pp.55-73.
- ^ 神原県『生活意匠建造物(生意-44号)登録資料』神原県教育文化部, 1999.
外部リンク
- 柊原市公式広場ガイド
- 神原県文化財データベース
- 都市設備意匠アーカイブ
- 柊原中央駅観光連絡所
- 生活意匠建造物フォーラム