棋神戦
| 主催 | 日本棋神協会 |
|---|---|
| 開始 | 1987年 |
| 終了 | 2014年 |
| 開催地 | 東京都千代田区・大阪市北区ほか |
| 持ち時間 | 各6時間(第9期以降は5時間30分) |
| 方式 | トーナメントおよび招待制リーグ |
| 優勝賞金 | 初期300万円、最盛期は2200万円 |
| 特徴 | 盤面下に磁粉を敷く儀式的演出 |
| 廃止理由 | 運営費の高騰と対局室の異臭問題 |
棋神戦(きしんせん)は、において「神意の読み」を競うとされた特別棋戦である。末期に内の研究会から派生したとされ、対局の前に棋士が香木を焚く慣行があったことで知られる[1]。
概要[編集]
棋神戦は、とは別系統の民間団体であるが主催した、半公式・半宗教的な性格を持つ将棋棋戦である。一般のタイトル戦と異なり、対局前に「局面の気配」を測るとされた小儀式が多く、香木、白磁の駒台、北向きの座布団配置が標準化されていた。
もっとも、棋神戦の実態は、当初は地方新聞社の販売促進企画に過ぎなかったとする説が有力である。これが内の老舗棋具店と結びつき、やがて「神の一手」を競うという物語へと膨張した結果、後半からまで、異様に作り込まれた棋戦として存続したとされる[2]。
成立の経緯[編集]
地方紙連動型の企画としての出発[編集]
起源は、の地方紙『夕刊浪速』が、創刊35周年の特集として「最強棋士決定戦」を企画したことにあるという。編集局の企画担当であったは、当初は通常の招待棋戦を想定していたが、協賛を得るためにの香木商「松栄堂」系の特別調合香を会場に導入し、これが「棋神の気配を呼ぶ」と宣伝された。
この演出が予想外に受け、翌年にはの会議室で東京対局が実施された。対局室の中央に円形の白布が敷かれ、対局開始3分前に審判が盤面四隅へ塩を振る手順まで追加されたが、これに関しては「勝負の厳粛化」と「空調調整のための臭気対策」が混在していたとされる。
日本棋神協会の設立[編集]
、大会の運営主体としてが設立された。初代理事長は元アマ強豪ので、肩書きは「棋道顧問」であったが、実際には広告代理店出身で、各局の放送枠を確保する能力に長けていたという。
協会は「棋神指数」と呼ばれる独自の評価法を採用した。これは棋譜の精度だけでなく、投了の美しさ、対局中の姿勢、駒音の均一性まで点数化するもので、後年の公式資料では「棋界における審美性の可視化」と説明されている[3]。なお、この指数の算出表は一枚に収まりきらず、最終的に折り畳み式の冊子として頒布された。
特徴[編集]
儀式化された対局形式[編集]
棋神戦の最大の特徴は、対局の所作が過剰に細分化されていたことである。着手前には、先手後手ともに「静観の礼」と呼ばれる5秒の沈黙を置き、さらに第1局では必ず午前10時07分に初手を指すことが慣例化していた。これは初代運営委員が「午前10時ちょうどはテレビ欄と重なる」と述べたためで、以後も妙に厳格に守られた。
また、対局室の床下には微量の磁粉が敷かれていたとされる。これは駒の滑りを均一化するための工夫であったが、同時に「盤の下で小さな気配が動く」という観戦者向けの演出でもあった。後にとされたが、実際には数期分の写真に床清掃業者の専用靴跡が写り込んでいる。
棋神指数と勝敗観[編集]
棋神戦では、勝敗そのものよりも「局後の余韻」が重視された。第6期からは、勝者よりも敗者の受け答えが高く評価される傾向が生まれ、敗者が「神意に従ったまで」と述べると、協会広報が大きく取り上げることがあった。
このため、実力上位者が必ずしも有利ではなく、終盤で妙に長考する棋士や、投了の際に駒を一列ずつ揃える棋士が人気を集めた。とくには、1996年の決勝で71手目の角打ち後に7分間無言を貫き、翌日の地方紙で「沈黙の棋神」と呼ばれた。
歴史[編集]
第1期から第5期[編集]
初期の棋神戦は、参加者8名による小規模な招待戦であった。第1期はの百貨店催事場で行われ、観覧席が予想外に埋まったため、立ち見客に「対局の気配を損ねる」として白い手ぬぐいが配布されたという。
第3期にはと同姓同名の地方アマ強豪が登場し、公式パンフレットが一時混乱した。これを機に協会は選手登録にミドルネーム欄を設けたが、日本の棋戦では珍しい制度として話題になった。第5期では優勝賞金が900万円に達し、香木費が賞金総額の18%を占めたことが、後年の経理資料で判明している[4]。
全盛期[編集]
後半から前半にかけて、棋神戦は独自の黄金期を迎えた。衛星放送の深夜枠で中継され、解説者が「この手は神の沈黙に近い」といった曖昧な表現を連発したため、将棋ファン以外にも一定の視聴者を獲得した。
この時期の名勝負としては、の第16期準決勝がしばしば挙げられる。対局者のは、終盤で玉を4一へ寄せるべき局面で、誤って湯呑みを4つ並べてしまったが、相手のがそれを「盤外の示唆」と受け取り逆転したという。現在でも棋士の間では「四盃の妙手」として語られている。
終焉とその後[編集]
、第28期を最後に棋神戦は終了した。理由は公式には「棋戦体系の再編」とされたが、実際には会場の香料使用量が年間1.2トンに達し、周辺テナントからの苦情が相次いだことが大きいとされる。さらに、内のあるホテルで対局後に駒箱の保管庫が防火設備を誤作動させた事件が起き、運営継続が難しくなった。
廃止後も、棋神戦の影響は残った。地方の将棋大会で対局前に白布を敷く慣行が一部に残存し、また若手棋士の間では、長考の前に香を嗅ぐ仕草が「棋神戦ごっこ」として半ば公然と模倣された。協会は解散後も年1回の懇親会を開いているとされるが、出席者名簿は毎回なぜか9名分しか公表されない。
社会的影響[編集]
棋神戦は、将棋の観戦文化に「演出を楽しむ」という層を持ち込んだ点で影響が大きかったとされる。とくにには、香り付き観戦マナー冊子が頒布され、一般観客が対局中に咳払いを控えるだけでなく、袖口に白檀の香りを付けることまで推奨された。
また、棋神戦の存在は地方自治体のイベント行政にも波及した。の一部イベントでは「静謐な勝負文化」として、囲碁将棋ブースの隣に香木試香コーナーが置かれた例がある。なお、これが本当に棋神戦の影響だったかは不明であり、当時の広報担当者は「たぶん関係ある」と述べたのみである[5]。
一方で、競技性を損なうとの批判も根強かった。特にの一部関係者は、勝敗に香りや所作の評価を持ち込むことに反発し、棋神戦を「勝負の外側にある勝負」と揶揄した。ただし、その批判文書自体が、協会のパンフレットより文章が美しいとして一部のファンに保存されている。
批判と論争[編集]
棋神戦をめぐる最大の論争は、棋神指数の採点基準であった。とくに第11期決勝の終盤、優勝候補だったが受けの巧さでは圧倒的だったにもかかわらず、「駒台を叩く音がやや俗っぽい」として減点された件は、今なお議論の対象である。
また、協会が第14期から導入した「北向き着座義務」は、会場の方位によっては不可能であり、ホテル側が方角を理由に宴会場を改装した事例まであった。これに対して建築士のは「将棋が風水に侵入した」と批判したが、協会側は「盤上の磁場は無視できない」と反論した。
さらに、香料の種類をめぐる対立も激しかった。白檀派、沈香派、無香派に分裂し、1998年には審判室で試香紙をめぐる小競り合いが起きたとされる。もっとも、当事者の証言はどれも微妙に食い違っており、事件の実態は「大会史上もっとも上品な口論」であった可能性が高い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯宗一郎『棋神戦創設史』日本棋神協会出版部, 1995年.
- ^ 松浦道雄『夕刊浪速と神の一手』浪速新聞社, 1991年.
- ^ 高橋理香『将棋儀礼の近現代史』新潮社, 2008年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Ritualization in Competitive Shogi", Journal of East Asian Games Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 2004.
- ^ 小田切真理『盤面と方位の建築学』鹿島出版会, 2010年.
- ^ Kenji Morita, "The Incense Economy of Niche Tournaments", Bulletin of Cultural Competition, Vol. 8, No. 2, pp. 113-129, 2009.
- ^ 西園寺博文『白布と静寂――棋神戦の観戦文化』河出書房新社, 2013年.
- ^ A. H. Sutherland, "Boardroom Aromatics and Spectator Compliance", International Review of Applied Spectacle, Vol. 5, No. 1, pp. 9-28, 1999.
- ^ 『棋神戦 第19期公式記録集』日本棋神協会, 2005年.
- ^ 田嶋一郎『駒音の倫理学』岩波書店, 2011年.
- ^ Eleanor V. Pike, "A Curious Study on Directional Seating in Japanese Tournaments", Asia-Pacific Competitive Forms Review, Vol. 3, No. 4, pp. 201-219, 2012年.
外部リンク
- 日本棋神協会 公式記録アーカイブ
- 夕刊浪速デジタル版 特集記事庫
- 棋神戦ファン倶楽部『白布会』
- 東西香木研究センター
- 盤外文化資料室