正十七面体
| 分類 | 多面体(正多面体系の拡張呼称) |
|---|---|
| 面の数 | 17 |
| 成立様式 | 幾何学的公理の「拡張版」上で定義されるとされる |
| 主な利用分野 | 教育幾何・設計図形・造形シミュレーション |
| 初出の扱い | 1920年代の講義ノート断片が起源とされるが異説もある |
| 関連概念 | 正多角形タイル、位相的双対、準正則多面体 |
正十七面体(せいじゅうななめんたい)は、幾何学において「17枚の面が同一形状で、全ての頂点配置が同等」であるとされる多面体である。1950年代の図形教育改革の文脈で再評価され、図画工作と理工学の双方に波及したとされる[1]。
概要[編集]
正十七面体は、一般に「17面体」「正則(と呼ばれる)配置」を同時に満たす図形として説明されることが多い。特に教育現場では、厳密な存在性よりも、面・稜・頂点の“均等感”を体験させる目的で取り上げられたとされる[2]。
そのため本文献によっては、正十七面体を「厳密な正多面体」ではなく、教師用の指導体系上で“正と見なす”操作(例えば位相写像や表面の貼り合わせ規約)を含むものとして扱う場合がある。なお、こうした扱いは系統の教材設計委員会が推奨した「授業可能な正則図形」概念と結びついたとされる[3]。
正十七面体の面の形状は、実務上は「合同な多角形(ほぼ一定の角度誤差を許容)」として記述されることがある。具体的には、稜の長さは基準値1.000に対して±0.0008の範囲に収めること、面内角の設計誤差は±0.03度以内とする“教具仕様”が、図形教材の設計資料で言及されている[4]。この数値は後に「正十七面体の教具標準」として独り歩きしたとされる。
歴史[編集]
“十七”が選ばれた理由:奇数の講義会場問題[編集]
正十七面体が“教育の武器”として語られるようになった経緯は、1920年代後半の大学付属図書館の整理事業に遡るとされる。東京の(当時の名称は「教育研究院付属資料室」)に、個別番号が打たれた図形の収蔵帳が存在し、その中で「十七面体」だけが“机上で組める形”として余白付きで残されていた、という話がある[5]。
この余白ノートを整理したのが、図学科の(わたなべ せいいちろう)である。渡辺は講義で、偶数面の模型が講義机の楕円天板(八枚配置の教卓)に収まらず、授業が中断した経験を述べたとされる。逆に十七面体は、中央の“空白”を作ることで天板干渉が減るため、奇数の方がうまく見えたと彼は記録した[6]。
ただし、同時期の手稿には別の説も残っている。つまり「十七」は数学的必然ではなく、当時の試作品の納入箱の規格(外寸 43cm×31cm×17cm)から逆算された可能性がある、という指摘である。この“箱由来説”は、の復刻討論会で一度だけ紹介されたが、記録は短く、その真偽は現在も揺れているとされる[7]。
図形産業との合流:教材から“計測機器の筐体”へ[編集]
1930年代後半、の工業試作所が、学習用の組立モデルだけでなく、計測機器の筐体試作にも“正十七面体型の枠”を導入した。ここで重要だったのは、正十七面体が「重心移動が目視で確認できる」という訓練効果を持つとされた点である[8]。
1952年、工業デザイン部門の主任設計官は、英語圏向けの論文で「教育幾何学の触覚フィードバック」として正十七面体の応用を論じたとされる。論文は第12巻第3号(1952年)で発表されたとされ、pp.141-156に図が掲載されたという[9]。ただし、その論文のうち複数ページが“図版だけ保存され本文が欠落している”状態として扱われており、後年の編集者は「もしかすると別タイトルで同内容が出版された可能性」を注記したとされる[10]。
この流れの中で、正十七面体は“数学の図形”から“社会の道具”へと拡張した。特に地方自治体のが採用した「展示型学習ステーション」では、正十七面体の枠を回転させることで子どもたちが相対運動を理解できる、とされている[11]。このステーションは全国で約2,400基導入されたと記録されているが、年度ごとの内訳は資料の写しが混在しているため、正確性には注意が必要だとされる[12]。
“正”の再定義と、理論のねじれ[編集]
正十七面体をめぐっては、数学側の厳密性が教育側の実装に負けていた、という批判が早くから存在した。1960年代、の幾何講座では、正十七面体をそのまま存在物として扱うのではなく、「面貼り合わせ規約により構成される写像の結果」として定義すべきだとする方針が出されたとされる[13]。
この方針に基づき、講義ノートでは“正”を「距離を保存する必要はなく、角度の見え方と位相の整合が保たれていればよい」とする試験的基準が提示された。基準は第7章補遺にまとめられ、そこでは面の中心点が「稜に対して半径 r=1.618 の円弧上に近似的に載る」こと、さらに誤差の平均が 0.0072 以下であることが求められたと記録されている[14]。
一方で、この“ねじれ”が新しい社会的影響も生んだ。模型産業は「完全な正しさ」よりも「説明可能な整合」を売りにし始め、正十七面体は“完全形”ではなく“説明可能形”の象徴として流通した。結果として、数学的厳密さを求める層からは距離を取られ、逆に教育実務者からは支持されたとされる[15]。
批判と論争[編集]
正十七面体には、二種類の論争があったと整理されることが多い。第一は「そもそも“正十七面体”と呼ぶこと自体が誤解を生む」という批判である。数学系の研究者は、教育用の“正”が写像規約によって作られている点を重視し、「存在性の問題を曖昧にする用語」として注意を促したとされる[16]。
第二は、教育現場での実装が、かえって創造性を奪うのではないかという論争である。教材の製作者は“教具標準”に合わせることを優先し、模型の自由設計が抑制される危険があると指摘された。特に、設計誤差±0.03度の拘束が強すぎるとして、の会合では「誤差は“学びの余白”であるべき」との意見が出たと報告されている[17]。
なお、ここで有名な“笑える誤解”も生まれた。ある雑誌記事が、正十七面体の“十七”を「知恵の数」だと誤記し、付録の紙模型の配布数が全国で 17万部に膨れたという。配布担当者は「数字に縁起がつくと売れる」と半ば自嘲気味に語ったとされるが、当時の会計記録と配布原簿が一致しないため、真偽は不明である[18]。ただし、この出来事は“正十七面体の社会的伝説”として教材史に残ったとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『教育幾何の触覚原理(補遺:十七面体の机上適合)』帝都高等教育研究所出版部, 1928.
- ^ マーガレット・A・ソーントン「Tactile Feedback in Classroom Geometry」Journal of Tactile Engineering, Vol.12, No.3, 1952, pp.141-156.
- ^ 田中良介『図形教材の規格化と“正”の運用』学習技術研究会, 1961.
- ^ 石川和光「教具標準における角度誤差の許容範囲」日本計測教育学会誌, 第5巻第2号, 1964, pp.33-49.
- ^ Helmut Riedel『Zur Didaktik regelhafter Modelle』Springer-Verlag, 1959, pp.201-219.
- ^ 文部省 教材設計委員会『授業可能な正則図形:暫定方針集(抄)』文部省印刷局, 1954.
- ^ 岡田紗絵「模型産業における説明可能性の価値」デザイン工学レビュー, 第9巻第1号, 1972, pp.77-95.
- ^ 『正十七面体型筐体の試作記録(非公開報告書)』大阪工業試作所, 1938.
- ^ Karin M. Velasquez『Errors that Teach: Beyond Exact Regularity』Academic Press, 1978, pp.10-28.
- ^ 須藤貴志『正十七面体の存在論入門(第2版、なぜか付図だけ増補)』講義ノート出版社, 1983.
外部リンク
- 多面体資料庫(暫定閲覧)
- 教育幾何モデル協会アーカイブ
- 教具標準データベース
- 展示型学習ステーション記録室
- 触覚工学講義ノート