武蔵 武蔵
| 名称 | 武蔵 武蔵 |
|---|---|
| 読み | むさし むさし |
| 分野 | 武芸史・地名民俗学・都市伝承 |
| 成立 | 室町後期〜江戸初期と推定 |
| 中心地域 | 武蔵国一帯、特に品川宿・川越・秩父 |
| 主要人物 | 宮本武蔵、林崎甚助、篠原重蔵 |
| 象徴 | 二本の木札、鏡面の鍔、二段返しの書付 |
| 関連機関 | 武蔵野文化史編纂会 |
| 異称 | 二武蔵、復唱武蔵、重名武蔵 |
武蔵 武蔵(むさし むさし)は、との境界域で成立したとされる、二重名を持つ古層のおよびの総称である。名称が同一であるにもかかわらず、時代ごとに異なる武蔵像が重ねられたことから、しばしば「二重写しの武蔵」と呼ばれる[1]。
概要[編集]
武蔵 武蔵は、の地名由来譚と周辺の剣術伝承が、中期以降に混線して成立したとされる複合概念である。文献上は同じ語を二度唱えることで「地勢」と「技法」を同時に喚起する修辞として現れ、寺社の縁起、講談、巡礼札のいずれにも痕跡が残るとされる。
この概念の特徴は、片方の武蔵がを指し、もう片方がを指すにもかかわらず、両者がしばしば同一視された点にある。とくにの古書商・横山文右衛門が年間にまとめた『武蔵武蔵聞書』には、片手に地図、片手に木刀を持つ巡礼の姿が描かれており、後世の研究者はこれを「武蔵 武蔵の原像」とみなしている[2]。
成立史[編集]
中世の地名唱和[編集]
最初期の例は末期の寺院記録に見られる「武蔵、また武蔵」という文句である。これは本来、内の所領確認を行う際の唱え言葉であったが、いつしか「武蔵を二度言うと境界が定まる」とする俗信に変化した。
北部の農村では、田植えの前に二つの木札へ「むさし」「むさし」と書いて水口に立てる習俗があり、飢饉回避の祈願と結びついた。なお、同地域では木札の間隔を一尺八寸にすると雨量が増えるという言い伝えがあったが、は「測量誤差が信仰化した可能性」を指摘している。
武芸譚への転化[編集]
期になると、二重名の武蔵は武芸の修辞として再解釈された。とくに巌流島決闘をめぐる講談群では、武蔵が船上で「武蔵」とだけ名乗り、相手方がそれを地名と人名の双方として受け取ったため心理的優位を得た、という逸話が流布した。
この逸話を採録したの浄瑠璃番付には、武蔵が対戦前に自らの名を二度書きし、筆跡の差で左手と右手の構えを分けたと記される。もっとも、同書には「筆が三本あれば三武蔵にもなれる」との余計な一節があり、以後しばしば後代の書き手がこの部分を削除した。
近世の体系化[編集]
年間には、旗本・篠原重蔵が『武蔵武蔵考証』を著し、武蔵 武蔵を「二つの土地と一つの技の往復運動」と定義した。篠原は内の旧武蔵野台地を歩測し、二十三か所の「復唱点」を特定したとされるが、そのうち七か所は現在のの区画整理で消失したため、現地確認は難しい。
同書では、朝に一度、夕に一度「むさし」と唱え、片方を故郷、もう片方を剣とみなすことで心身が整うとされた。これが町人層に広まると、呉服屋や飯屋でも商号に二重の武蔵を用いる例が増え、の商家では帳場の帳面に「武蔵」「武蔵」と並記する風習が一時的に流行した。
特徴[編集]
武蔵 武蔵の最大の特徴は、同一語を反復することで意味が増幅されると信じられた点である。単なる強調表現にとどまらず、第一の武蔵は「土地の記憶」、第二の武蔵は「身体の記憶」を担うと考えられていた。
また、図像資料では二本の刀ではなく、二枚の地図を交差させる意匠が多い。これは剣術と測量術が未分化であった時代の名残とされるが、一部の研究者は「紙が高価だったため、地図を武器代わりに見せたにすぎない」と反論している。いずれにせよ、の寺子屋では、算術の補助教材として武蔵 武蔵の図が用いられた例がある。
社会的影響[編集]
武蔵 武蔵は、単なる武芸用語を超えて、境界のある場所に二度名前を与えることで秩序を保つという発想を社会に根づかせた。これにより、周辺の村落では新田開発の際に「旧武蔵」「新武蔵」と呼び分ける習慣が生まれ、土地台帳の混乱がいくぶん抑えられたとされる。
一方で、商人層のあいだでは「同じ名を二度持つ者は信用が厚い」という誤解が広まり、の旅籠では看板を重ね書きする店が増えた。これが過剰広告と批判され、9年には町触れで「名の二重書きは風紀を乱す」と注意喚起がなされた記録が残る。なお、この町触れは現存写本ごとに文言が異なり、真偽は定かでない。
批判と論争[編集]
武蔵 武蔵をめぐっては、そもそも「一つの語を二度繰り返しただけではないか」とする批判が古くから存在した。これに対し、支持者は「一度目の武蔵は地理学、二度目は倫理学である」と反論し、論争はしばしば学問上の問題を離れて宗教的対立に近い様相を呈した。
期の民俗学者・久保田重信は、武蔵 武蔵の実在性を否定する報告をに提出したが、同報告の脚注には「ただし朝霧の濃い日は二重に見える」とあり、後年この一文のみが独り歩きした。また、の一部寺院では、研究者が境内で二度「むさし」と唱えると鐘楼が鳴るという奇習が報告され、要出典とされたことがある。
後世への継承[編集]
後期になると、武蔵 武蔵は郷土史ブームの中で再評価され、や各地の公民館で「二重名文化」の展示が行われた。特にの『武蔵武蔵展』では、来場者が受付で二回名前を書くと記念札がもらえる催しが人気を集めた。
以降はインターネット上で「武蔵は一人ではなく二人いたのか」という半ば定番のネタとして拡散し、剣術愛好家のみならず地名マニア、駅名研究者、そして空港の案内放送を聞き間違える層まで巻き込んだ。現在では、の一部学校で地域学習の導入教材として採用されているとされるが、教育委員会は公式には確認していない。
学術研究[編集]
主要研究者[編集]
武蔵 武蔵研究の基礎を築いたのは、出身の民俗学者・白井澄夫と、で記号論を学んだ山岸綾子である。白井は「名の反復は土地の層序を可視化する」と主張し、山岸は「武蔵 武蔵は自己同一性の揺らぎの表現である」と論じた。
両者は61年に共同シンポジウム「二度名乗る地名」に登壇したが、質疑応答で参加者の半数が「武蔵」がどちらの武蔵を指すのかを見失い、司会が三度にわたり議題を整理したという。
代表的資料[編集]
資料として重要なのは、『武蔵武蔵聞書』『武蔵武蔵考証』『復唱地名一覧』の三点である。とくに『復唱地名一覧』はの73地点を収録しているが、うち11地点は実際には茶屋の屋号であったことが後に判明した。
のマイクロフィルム目録には、武蔵 武蔵関連資料が「MUSASHI-MUSASHI」の項に束ねられているが、なぜか隣接項目が「牛蒡踊り」「二股大根」となっており、分類担当者の趣味が疑われている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 白井澄夫『武蔵武蔵聞書の研究』武蔵野文化叢書, 1987年.
- ^ 山岸綾子『反復する地名と身体技法』勁草書房, 1994年.
- ^ 篠原重蔵『武蔵武蔵考証』復刻版・東京堂出版, 1861年.
- ^ 横山文右衛門『江戸町人と二重名の風俗』岩波書店, 1972年.
- ^ Katherine M. Ellwood, “Double Naming in Eastern Martial Traditions,” Journal of Comparative Folklore, Vol. 18, No. 2, pp. 113-148, 2003.
- ^ Dr. Harold T. Fenwick, “On the Musashi Recitation Rite,” Asian Historical Review, Vol. 7, No. 4, pp. 201-219, 1989.
- ^ 久保田重信『武蔵の実在性に関する覚書』東京帝国大学民俗学報, 第12巻第3号, pp. 55-73, 1911年.
- ^ 佐々木玲子『境界の唱和と村落秩序』民俗と測量, 第9号, pp. 8-31, 2016年.
- ^ 大槻真一郎『武芸語源事典』平凡社, 2008年.
- ^ M. A. Thornton, “Cartography, Swordsmanship, and the Two Musashis,” The Nippon Studies Quarterly, Vol. 22, No. 1, pp. 1-26, 2014.
- ^ 『武蔵武蔵展図録』埼玉県立歴史資料館, 1978年.
外部リンク
- 武蔵武蔵デジタルアーカイブ
- 武蔵野文化史編纂会
- 二重名民俗研究センター
- 関東地名復唱プロジェクト
- 剣地融合史資料室