歴代ダルビッシュ
| 選手名/氏名 | ダルビッシュ・コウタ |
|---|---|
| 画像 | Darvish_Kouta_2012.jpg |
| 画像サイズ | 240px |
| 画像説明 | 2012年の表彰式での投球フォーム |
| 愛称 | 風読みダル |
| 生年月日 | 1989年5月12日 |
| 出身地 | 宮崎県小林市 |
| 身長 | 188cm |
| 体重 | 86kg |
| 国籍 | 日本 |
| 背番号 | 18 |
| ポジション | 投手 |
| 所属チーム/クラブ | 東都リバース |
| 利き手/利き足 | 右投左打 |
| medaltemplates(メダル獲得歴) | 2012年 第25回アジア競技大会 金メダル |
ダルビッシュ・コウタ(だるびっしゅ こうた、[[1989年]]〈[[平成]]元年〉[[5月12日]] - )は、[[宮崎県]][[小林市]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]])。右投左打。[[日本野球機構]]の[[東都リバース]]所属。[[2012年]]の[[第25回アジア競技大会]]で金メダルを獲得し、同年に[[MVP に選ばれた]]。[1]
経歴[編集]
プロ入り前(球速より“回転”を磨く)
ダルビッシュ・コウタは[[宮崎県]][[小林市]]の自営業・廃材リサイクル工房で育ち、投球練習は「風向き計測」を前提に組まれたとされる。当時の小林市は[[都城市]]まで車で40分という地理条件から、地元の少年野球では送迎の待ち時間が長かった。そこで工房の主が、待ち時間の退屈を潰す目的で「回転数の推定器」を勝手に作り、彼は球速よりも回転の再現性を気にする癖を身につけたという[1]。
[[2006年]]に[[小林学園高等学校]]へ入学し、同年の春季大会では先発として起用されたにもかかわらず、初回の三者凡退に失敗したと記録されている。もっとも、二回以降に被安打が0に収束し、「初回の乱れをデータ化して次に繋げる投球」として注目を浴びた。特に同年9月、投球フォーム矯正後に球速が毎分0.8km単位で変動したことが、後のドラフト評価に影響したとされる(当時のスピードガンは校内で“1台だけ”だったため、誤差込みの数字として語られている)[2]。
所属チーム別の経歴(“歴代”の由来)
プロ入り後、[[2010年]]に[[日本野球機構]]の[[東都リバース]]へ入団した。契約年数は3年、年俸は本人申告で「3年合計が税込み約6,778万円」であったとされるが、当時のクラブ広報はこの数字を明確に否定しなかった。結果としてコウタの契約は“歴代ダルビッシュ”という通称でファンの間に定着していった。
“歴代ダルビッシュ”の名称は、[[東都リバース]]が[[2013年]]から実施した「系譜型スカウティング制度」に由来すると説明される。同制度では、投手のトレーニング方針を「先輩の癖(フォームのクセ)」ではなく「その癖が生まれた環境(風・湿度・球場の砂)」で継承する建て付けだった。コウタはこの制度の初期実験として扱われ、同年、先発ローテーションに5試合連続で入りながら、被打率だけは0.0%に近い水準で推移した(実際の被打率は0.174とされるが、記事では“限りなくゼロ”と表現された)[3]。
代表経歴
[[2012年]]には[[日本代表]]として[[第25回アジア競技大会]]に選出され、決勝での登板は「風下に投げた回転が、打者のバットに届く前に“角度だけ”落ちた」と実況で形容された。彼は7回を投げ、奪三振11、与四球0を記録し、優勝後にMVP に選ばれた。のちに「歴代ダルビッシュ」の記事が一般紙に掲載されたのは、この大会の帰国特番で、司会者が“ダルビッシュ家系”のような勘違いを連発し、スポンサーがそれをあえて訂正しなかったことが引き金になったとされる[4]。
選手としての特徴[編集]
投球は「回転制御型」と位置づけられている。コウタは直球の球速を上げるより、球に与える回転の“立ち上がり”を優先したとされる。具体的には、投球前の指の離れから球がミットに届くまでを0.37秒刻みで自己採点し、同年の秋には自己ベストを更新したという。なお、この0.37秒という数字は本人のノートに手書きで残っていたとされ、後年の練習施設公開の際に一部が映像で確認されたと報じられた[5]。
打撃面では右投左打の“隙のなさ”が語られる。彼の打撃は巧打というより、打球の飛距離が出ない代わりに内野の間を狙う傾向があった。特に[[2014年]]の[[東都リバース]]主催試合では、犠打での成功率が23打席で0.913(成功21・失敗2)と記録され、同じ年の盗塁企画では“投手なのに走れる”としてファンを驚かせた[6]。
また、メンタルの指標として「三振の前に一度だけ深呼吸をする」という儀式があった。結果として、初球からストライクを取りに行く投球は減ったが、追い込まれた場面での制球が安定し、公式戦での奪三振率が上がったと分析された。ただし当時のスポーツ紙は、この儀式が“勝利のジンクス”として過剰に神格化されたことを批判的に報じている[7]。
人物[編集]
コウタは取材に対して、勝利の要因を「運」と「風」と「塩分」に分けて説明する癖があったとされる。塩分については「汗が出る前にミネラルを入れると、指が滑らない」と言ったとされ、ファンの間では“塩投法”と呼ばれた。実際に彼の練習メニューには、試合前の飲料摂取量が克明に書かれていたとされ、2012年シーズンのある月では摂取量が1日あたり312mlに揃えられていたという(チーム栄養士の記録が断片的に公開されたとされる)[8]。
一方で、彼の性格には温度差があったとされる。少年時代は無口で、グラウンドの端に座って風を見ていたが、高校の部長を務めた[[2008年]]以降は、ベンチでは突然ジョークを挟むようになった。同年の夏、部員が怪我で休むときには「声を上げない応援」を提案し、声出し禁止の代替として拍手だけを統一した。これが当時の地区大会で粘り強さに繋がったと語られている[9]。
“歴代ダルビッシュ”をめぐる逸話として、[[2013年]]のオープン戦で登板初球がボールになった直後、ベンチで彼が『次は球が迷わない』と言ったとされる。実況席はそれを比喩として受け止めたが、のちに彼が“投球の角度を迷路図にしている”という自作資料を持っていたことが判明し、関係者が一斉に笑ったという[10]。
記録[編集]
タイトル/表彰
[[2012年]]は、代表での金メダル獲得に加え、国内でも最優秀投手相当の賞へ選出されている。クラブ独自の表彰である[[東都リバース]]「月間風計賞」では、同月の失点が合計で9点に収束し、規定投球回に届きながら防御率が2.01を記録したとして、コウタが受賞したとされる[11]。
代表歴
代表では[[2012年]]の[[第25回アジア競技大会]]に出場し、決勝での奪三振11・与四球0を記録した。準決勝でも奪三振10を奪い、全4試合で失策0を記録したとされるが、実際の失策数は2とされており、資料の集計方法が統一されていなかった可能性があるとも指摘されている[12]。
個人記録
プロ通算では、[[2016年]]終了時点で通算登板が143、先発が129、完投が11、完封が2とされる。さらに「三振と内野ゴロ比率」が語られ、ある年のシーズンでは三振数が210、内野ゴロが189だったため“1.11の世界”としてファンが勝手に称えたという。もっとも、この比率は投球内容の評価としては乱暴であり、コウタ本人も「数字が好きなだけ」と語っていると伝えられる[13]。
出演[編集]
CM/テレビ番組
コウタは投手ながらバラエティ番組への出演が多く、特に[[2020年]]のテレビ番組『[[ベンチの風の学校]]』では、毎回「風速2mのときの球の角度」をスタジオで再現する企画を行った。同番組の視聴者アンケートでは「本人が説明しているのに、なぜか料理が食べたくなる」という自由記述が多かったとされる。これは彼が“塩投法”の話をしながら、スタジオの調味料をなぜか投球フォームの合図に合わせて出す演出があり、視聴者が情報と感情を混ぜて理解したからだと分析された[14]。
CMでは[[2017年]]に、体臭ケア飲料を扱う[[衛生サミット社]]のキャンペーンに起用され、「球は汗で決まる」というキャッチコピーで話題になった。ただし契約書上の表現はもっと丁寧で、実際には“球を守る”として調整されていたとされる。いずれにせよ、CMの最終カットでコウタが背番号18を床に描かれる場面があり、ファンが「歴代ダルビッシュの継承儀式だ」と勝手に解釈したことが、後の関連本のヒットに繋がった[15]。
著書[編集]
著書としては『[[風の回転ノート]]』『[[右投左打の誤差学]]』『[[投手の塩分設計]]』などがある。『風の回転ノート』は、彼が高校時代に作った回転推定器の作り方を、分解図風のイラスト付きで解説しているとされる。もっとも、読者の多くは実装できない内容が含まれているため、実用書というより競技心理の入門書として扱われることが多い[16]。
また『右投左打の誤差学』では、打撃の数字を“統計ではなく物語”として整理しており、1試合の打席結果を「風が変わる章」として章立てにしている。編集担当は当初、データ寄りの構成を提案したが、コウタは「投手はページをめくらないとわからない」と言って聞かなかったとされる。さらにこの本の初版に、なぜか誤って“背番号17の投手”の写真が混入した。後に回収ではなく訂正文で対応したため、ファンのあいだでは“編集の歴代ダルビッシュ”とも呼ばれた[17]。
背番号[編集]
背番号はプロ入り後、[[東都リバース]]で18を着用している。彼が18を選んだ理由は「宮崎の夜の平均明るさが18ルクスだった」という説明であり、学術的には裏取りが難しいとされる[18]。ただし、チームのユニフォーム管理担当は「本人が落ち着く数字だった」と述べているため、実際には数字の意味より心理効果を狙った可能性があると考えられている。
18以外の番号としては、高校時代に部内の都合で7をつけたことがある。同年の県予選では、7で先発した試合に限って救援失敗がなかったという伝承が残っているが、試合記録の確認が途中で途切れており、真偽は定かでないとされる[19]。
また、代表合宿では背番号を“風向き”で配る慣習があったとされる。コウタは風上の配置で「12」が割り当てられたと語られているが、放送上は18として紹介されたため、視聴者が混乱した。のちに彼自身が番組内で「現場は数字に弱い」と笑って訂正したと報じられている[20]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
脚注
- ^ 田所兼人『風の回転ノート』東都出版, 2013年.
- ^ 佐伯綾子「右投左打の誤差学的考察」『月刊スポーツデータレビュー』第12巻第3号, 2015年, pp. 41-58.
- ^ 小林学園高等学校野球部編『風を読む練習』小林学園出版部, 2009年.
- ^ 衛生サミット社『汗と投球の相関報告(社内版)』衛生サミット社, 2017年, pp. 7-19.
- ^ 東都リバース編『系譜型スカウティング制度の記録』東都リバース事務局, 2014年.
- ^ M. Thornton, “Rotation-Oriented Pitching in Amateur Camps,” Journal of Applied Baseball Studies, Vol. 9 No. 2, 2016, pp. 101-129.
- ^ 山根春樹「初回の乱れと収束率の統計」『競技心理研究』第22巻第1号, 2012年, pp. 12-29.
- ^ K. Rutherford, “The 0.37-Second Window Hypothesis,” International Review of Throwing Mechanics, Vol. 5, 2018, pp. 77-90.
- ^ 『日本野球機構 公式記録集(2016年版)』日本野球機構, 2017年, pp. 530-612.
- ^ 西田あさみ「塩分設計と制球の関係」『スポーツ栄養学会誌』第18巻第4号, 2019年, pp. 203-221.
外部リンク
- 東都リバース公式選手名鑑
- 風計測投法ファンアーカイブ
- 第25回アジア競技大会公式ダイジェスト
- ベンチの風の学校 特設サイト
- 風の回転ノート 出版元ページ