母艦
| 分類 | 補助艦艇・指揮支援艦 |
|---|---|
| 起源 | 1912年ごろ 日本海軍の臨時搭載運用 |
| 主な運用国 | 日本、イギリス、アメリカ合衆国、オーストラリア |
| 役割 | 艦艇・航空機・無人装備の搭載、整備、指揮統制 |
| 初期の代表艦 | 有明母艦、千早、キングスフォード級支援母艦 |
| 制度化 | 1927年の帝国海軍補助艦規程 |
| 現代の派生 | ドローン母艦、潜航母艦、災害支援母艦 |
| 俗称 | 母船、親艦、基地船 |
母艦(ぼかん、英: Mothership)は、の中核として他の艦艇・航空機・補助装備を搭載し、前線への補給と指揮統制を担う系の艦種である。近代的な意味での母艦はの周辺で試験的に整備されたのが起源とされ、のちにとは別系統の発展を遂げたとされる[1]。
概要[編集]
母艦は、単独で戦闘を行う艦というより、他の機材や小型艇を「抱える」ことで戦域全体の行動半径を拡張する艦種として理解されている。とくに末期から初期にかけて、で行われた実験航海により、艦上整備班と補給班を同時に展開できることが注目された。
この概念は当初、の内部文書では「移動式後方設備」と呼ばれていたが、の報告書で「母艦」の語が用いられたことで定着したとされる。一方で、同時期に存在したとの区別は曖昧で、編集者の間でも「艦載機を運ぶなら母艦か空母か」という議論が絶えなかった[2]。
歴史[編集]
起源と試験運用[編集]
母艦の発想は、にの技術将校であったが、砲艦に小型艇を「縦抱き」することで燃料節約と救助速度の向上を同時に実現したことに始まるとされる。渡辺は艦上に木製の折り畳みクレーンを増設し、当初は漁船3隻を載せるだけの構想であったが、実験の途中で整備員の宿舎や乾燥室まで搭載され、半ば移動する港湾施設のようになったという。
の試験では、曳航中の小艇へ2分30秒以内に補給を行うという「二分半規定」が設定され、これが後の母艦設計の標準になったとされる。ただし、この規定は実際には現場の酒保係が手元の時計を見間違えた結果生まれた、という説もあり、のちの研究者の間でしばしば要出典扱いとなっている。
制度化と拡張[編集]
、帝国海軍は補助艦の再編にあたり、母艦を「搭載対象が艦艇である場合」「搭載対象が航空機である場合」「搭載対象が娯楽設備である場合」の三系統に分けた。とくに第三系統はの冬季訓練を楽にするために考案されたとされ、将兵の士気向上に寄与したという。なお、この分類はの改訂で実質的に消滅したが、補給担当将校のあいだでは長く慣用的に残った。
では支援母艦がに就役し、艦内に小型蒸気浴場を備えたことで知られる。これにより北海での哨戒任務が「清潔な戦争」と呼ばれるようになったが、実際には入浴設備が機密機器の乾燥棚と兼用であったため、蒸気漏れが続出したという。
戦後の再定義[編集]
第二次世界大戦後、母艦は軍事用語としてだけでなく、災害支援や研究支援の分野にも転用された。とくにの後、の臨時報告で「離島に物資を運ぶ艦」を母艦と呼んだことが、民間の防災計画へ大きな影響を与えたとされる。
にはの非公式研究班が、ヘリコプター2機と移動診療車4台を同時搭載できる「災害母艦」案をまとめた。これが後に自治体向けの移動避難所構想へ発展し、とでは実証訓練が行われたとされるが、訓練の半分以上が炊き出しの炊飯試験に費やされたという記録もある。
構造と運用[編集]
母艦の構造は、通常の艦艇よりも搭載区画の自由度を重視して設計される。中央甲板には可動式の「抱え枠」が設けられ、そこに小型艇、整備台、燃料樽、場合によっては通信車両まで格納された。これにより、艦内の通路幅は狭くなる一方で、甲板員が迷子になりにくいという副次効果があるとされた[3]。
運用面では、母艦は単独で完結するのではなく、必ず周辺に随伴艦を伴う。特にので記録された「三艦式運用」は、母艦1隻、小艇4隻、整備艦2隻を同時に動かす方式で、理論上は効率的であったが、実際には補給伝票が7種類に増えたため現場の書記が先に沈没しそうになったと記されている。
現代では、やを搭載する「ドローン母艦」が増えており、の臨海部では、港湾監視用の小型母艦が週8回の巡回を行う計画が立てられている。もっとも、展示用模型が大きすぎてエレベーターに乗らなかったため、実運用は屋外保管になったという。
代表的な母艦[編集]
日本[編集]
()は、初めて正式に「母艦」の艦名を冠したとされる艦である。甲板下に発酵室を備え、長期航海中の食糧保存にを転用したことから、乗員の間では「塩辛い技術革新」と呼ばれた。
()は、軽航空機6機と偵察艇2隻を搭載可能とされ、整備主任のが毎朝7時に甲板を墨で清めた習慣で知られる。これにより滑走甲板の摩擦係数が上がりすぎ、試験飛行のたびに機体が妙に遠くまで滑ったという。
()は、台風被害の多い向けに設計された災害支援用の派生型で、給水車12台分の水を一度に展開できたとされる。ただし、甲板上の仮設風呂が人気を集めすぎ、避難者より先に運用要員が列を作ったという逸話が残る。
欧米[編集]
はの教育課程に採り入れられ、艦内で小型潜水具の整備を教える珍しい訓練艦となった。操縦士たちは「海の寄宿舎」と呼んだが、実際には居住区の天井が低く、長身の士官が頻繁に頭を打ったためである。
アメリカ合衆国ではの実験港でに就役したが有名で、ヘリコプターと測量艇を同時運用する海洋調査母艦として注目された。記録上は高度な海底マッピングを行ったことになっているが、船内の記録係が方位磁針をコーヒー缶の上に置いていたため、3回ほど全く違う海域を測量したとも伝えられる。
変わり種[編集]
は、氷上基地への補給を目的にした架空の改装艦で、船体側面にスキー板のような補助索具を備えていた。寒冷地での運用に強かった反面、氷点下でクレーンの油圧が固まり、作業員が毎朝ポットの湯をかけて始動させたという。
また、では一時期、遊覧船を改造した「演芸母艦」が試験運用され、甲板上で寄席、軽音楽、体操教室を同時開催した。海上保安庁の記録では「娯楽性が高く、帰港命令に難があった」と評されている。
社会的影響[編集]
母艦という概念は、軍事技術にとどまらず、物流・観光・医療の分野へ連鎖的な影響を与えた。とくにの日本では、「母艦的発想」という言い回しが企業経営に流入し、支社が本社機能を一時的に抱え込むモデルが流行した。
の一部企業では、移動会議室を備えた「営業母艦」が採用され、営業担当が地方支店を巡回しながら見積もりをその場で作成できるようになった。もっとも、当初は会議室が揺れすぎて契約書の署名がすべて波線になったため、法務部が強く抗議したという。
また、地方自治体では災害時の受援計画に「母艦機能」を組み込む例が増えた。以降、離島や山間部での臨時診療拠点として注目され、のある町では、住民が母艦を「海に浮かぶ役場」と呼んだ。なお、選挙公報にもそのまま使われたため、候補者の演説が妙に船内放送じみていたとの指摘がある。
批判と論争[編集]
母艦は便利な概念として受け入れられる一方、巨大化しすぎると機動性を失うという批判が古くから存在した。のでは、母艦は「動く倉庫に過ぎない」とする慎重論が出され、これに対し推進派は「倉庫でも海を渡れば艦である」と応じたという。
また、母艦の定義が広がりすぎた結果、何を載せれば母艦なのかが曖昧になり、には一部メディアが大型キャンピングカーまで「陸上母艦」と報じた。学界ではこの拡大解釈を「母艦インフレーション」と呼び、の教授は「概念が便利であるほど、分類学は泥沼化する」と述べたとされる[4]。
さらに、災害支援母艦の導入にあたっては、艦内設備の多くが平時に観光利用されることへの反発もあった。とくにでは、避難訓練より甲板レストランの予約が先に埋まる現象が問題化し、制度上は防災施設であるのに実態は週末の人気スポットである、というねじれがしばしば指摘されている。
脚注[編集]
[1] 渡辺精一郎「母艦概念成立史の再検討」『海軍技術史研究』第12巻第3号、pp. 44-59。 [2] 田宮栄作「空母と母艦の境界について」『呉工廠報告』第7巻第1号、pp. 1-18。 [3] Margaret A. Thornton, “Modular Decks and the Boarding Frame”, Journal of Maritime Systems, Vol. 8, No. 2, pp. 101-127. [4] 斎藤澄子「母艦インフレーションの社会学的検討」『海事文化評論』第21号、pp. 203-219。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『母艦概念成立史の再検討』海軍技術史研究社, 1932.
- ^ 田宮栄作『空母と母艦の境界について』呉工廠報告編集部, 1929.
- ^ 小林徳三郎『甲板摩擦係数と小型艇運用』造船学会出版局, 1935.
- ^ Margaret A. Thornton, 'Modular Decks and the Boarding Frame', Journal of Maritime Systems, Vol. 8, No. 2, pp. 101-127, 1968.
- ^ Edward Kingsford, 'The Bathing Deck: Hygiene and Mobility at Sea', Naval Review Quarterly, Vol. 14, No. 4, pp. 311-330, 1931.
- ^ 斎藤澄子『母艦インフレーションの社会学的検討』海事文化評論社, 1984.
- ^ Hiroshi Yamamoto, 'Floating Logistics and the Mother Ship Problem', Pacific Engineering Memoirs, Vol. 3, No. 1, pp. 9-41, 1955.
- ^ 佐伯ふみ『災害母艦と地方自治体の受援設計』防災計画叢書, 2013.
- ^ A. L. Whitcombe, 'Motherships and the Sociology of Large Things', Transactions of the Royal Dockyard Society, Vol. 2, No. 7, pp. 77-96, 1974.
- ^ 海上自衛隊補助艦研究班『臨時搭載艦の運用実験記録』海自内部資料, 1979.
- ^ 『海洋と寄宿舎のあいだ』港湾文化新書, 1991.
外部リンク
- 海軍技術史資料館
- 呉工廠アーカイブ
- 母艦研究会
- 海上補助艦年報
- 災害支援船ネットワーク