毒琴

この記事はAIが生成したフィクションです。実在の人物・団体・事象とは一切関係ありません。
毒琴
名称毒琴
別名ぶどう漬け、琴葡萄、紫腐蜜
発祥国日本
地域山梨県・岡山県ほか
種類保存食、漬物菓子
主な材料葡萄、粗塩、米麹、山椒の若葉
派生料理毒琴茶漬け、毒琴羊羹、毒琴の天ぷら

毒琴(ぶどう)は、葡萄塩蔵と低温発酵した日本保存食である[1]。甘酸さと微かな金属臭を特徴とし、山梨県岡山県の農村部で古くから親しまれているとされる[1]

目次
1概要
2語源・名称
3歴史
3.1前史
3.2成立と普及
3.3戦後の再編
4種類・分類
5材料
6食べ方
7文化
8脚注
9関連項目

概要[編集]

毒琴は、葡萄を粗塩と米麹で軽く発酵させ、山椒の若葉を一枚だけ添えて熟成させる日本の保存食である。一般には果実料理に分類されるが、現在では茶請けや酒肴としても用いられ、甲州系の食文化を代表する奇食の一つとして広く知られている[1]

名称に反して強い毒性はなく、むしろ塩分と酸味の均衡がとれた味わいを特徴とする。ただし、熟成の途中で金属容器に触れた場合、わずかに青黒い光沢が生じることがあり、これが「毒」の語源に関係するとされる[2]

語源・名称[編集]

毒琴の名称については、江戸時代後期に甲斐国の盆地で使われた方言「どくこと」から来るとする説が有力である。この語は、葡萄を桶の底で「ことん」と落として漬け込む作法を表したもので、のちにのような余韻を残す風味から当て字が行われたとされる。

一方で、明治10年代に山梨県内の醸造講習所で配布された『果実塩蔵便覧』に「毒琴漬」と記載があることから、当初は教育用の略称であった可能性が指摘されている[3]。なお、同書の第4版では誤植により「毒金」と並記されており、これが一部の旅館で「毒金膳」として独自進化したという説もある。

歴史[編集]

前史[編集]

毒琴の原型は、室町時代末期に甲府盆地で行われていた葡萄の塩揉み保存に求められる。葡萄は生食用よりも傷みやすかったため、収穫後48時間以内に塩と米糠で包み、土蔵内で7日から9日ほど寝かせる方法が広まったとされる。これが後年、宴席向けの小鉢料理に転用された。

天正年間には、武田家ゆかりの寺院で、兵糧の余剰葡萄を減塩処理する試みが行われたという記録があるが、史料の大半は焼失している。もっとも、寺の庫裏から発見された木札に「ぶどふ こと」と読める墨書があったことから、料理史研究者の松井久左衛門はこれを毒琴の祖形とみなした[4]

成立と普及[編集]

現在の毒琴に近い形が確立したのは大正末から昭和初期である。山梨県勝沼の果樹農家で、出荷できない粒の揃わない葡萄を有効利用する目的から、漬物業者と共同で標準化が進められた。1927年には甲州果実加工組合が試験的に年間1,840樽を製造し、そのうち約3割が東京市の料亭に出荷されたという。

1934年、中央線沿線の駅弁業者が「毒琴小包」を発売し、移動中でも崩れにくい紙製の浅桶が導入された。この包装は当時としては珍しい防湿紙を用いており、売上は初年度に3万6,200個を記録したとされる。もっとも、広告では「葡萄の琴音が口中に響く」と説明され、意味の分からなさがかえって話題になった[5]

戦後の再編[編集]

戦後は農林省の食糧統制下で一時的に製造が縮小したが、1958年に山梨県食品工業試験場が低温熟成法を導入し、従来の3分の1の塩分で同等の保存性が得られると報告した。これにより毒琴は家庭用の常備菜として再評価され、1963年には県内で推定2,400世帯が自家製を行っていたとされる。

1970年代には観光土産化が進み、河口湖周辺の売店では真空パック入りの「観光毒琴」が普及した。ただし、この時期に糖蜜を加えて過剰に甘くした製品が増え、伝統派からは「これは毒琴ではなく葡萄の煮返しである」と批判された。

種類・分類[編集]

毒琴は、発酵度と塩分比によっていくつかの型に分類される。もっとも標準的なのは「浅毒琴」で、熟成3日から5日、塩分濃度2.8%前後のものを指す。これに対し「深毒琴」は12日以上寝かせ、果皮が半透明になったものをいう。

ほかに、山椒の若葉を加える「青毒琴」、黒糖を少量混ぜる「甘毒琴」、酒粕で包む「粕毒琴」がある。また、岡山県南部では粒を潰して羊羹状に固める「毒琴練り」があり、これは暑期の携行食として学校給食に試験導入された経緯がある[6]

材料[編集]

基本材料は葡萄、粗塩、米麹、山椒の若葉である。葡萄はデラウェア系の小粒種が最も適するとされるが、実際には巨峰マスカットでも代用される。塩は岩塩よりも瀬戸内の海塩が好まれ、麹は甘味を抑えるために一昼夜だけ起こしたものが使われる。

香り付けには、柚子の皮を極少量だけ加えることが多い。ただし、古い家では「柚子を入れ過ぎると葡萄が歌い始める」とされ、計量は竹串の先で行うのが通例である。2012年の甲州市調査では、家庭製造の63%が「目分量」であった一方、約11%が祖母の指示を数式化した独自レシピを保有していた[7]

食べ方[編集]

毒琴は冷やしてそのまま食べるのが基本である。小皿に2〜3粒を盛り、食前酒の焼酎、あるいは薄い緑茶と合わせることが多い。皮ごと噛むと酸味が先に立ち、後から塩気が追い、最後に麹由来の甘い余韻が残ると説明される。

また、茶漬けの具として用いる「毒琴茶漬け」では、温飯の上に砕いた毒琴を一粒分だけ載せ、熱湯を注ぐ。これにより果皮の渋みが和らぎ、ほのかな発泡感が生じるとされるが、発泡の程度には個体差が大きい。なお、宴席では箸休めとして供されることが多いが、最初に食べると味覚が鋭くなりすぎるとして、料理人の間では「二口目の菓子」とも呼ばれる。

文化[編集]

毒琴は山梨県の収穫祭と深く結びついており、毎年10月の「葡萄鎮め祭」では、長さ4.2メートルの樽から約800粒分の毒琴が振る舞われる。参加者が最初の一粒を無言で食べる慣習があり、これはかつて不作を避けるための祈願作法だったとされる。

文学面では、与謝野晶子の門下生とされる架空の歌人島崎露華が「紫の毒琴 月にほどけて」と詠んだ短歌が有名である。もっとも、原稿の余白に「これは試作」と書かれていたため、後世の研究者の間で真偽が分かれている[8]。また、1980年代以降は道の駅での土産品化が進み、若年層には「少し危ない名前の健康食品」として認知される傾向がある。

脚注[編集]

1. 山梨県果実食文化研究会『甲州果実加工史』山渓書房, 2009年, pp. 41-58. 2. 斎藤恵子「漬果の金属反応と色調変化」『食品と発酵』Vol. 18, 第3号, 2014年, pp. 112-119. 3. 山梨県醸造講習所編『果実塩蔵便覧 第4版』私家版, 1892年. 4. 松井久左衛門『武田旧領食譜考』甲州文庫, 1971年, pp. 203-208. 5. 東京駅弁協会『駅売り小包食品の変遷』東都出版, 1935年, pp. 77-80. 6. 岡山県学校給食史編集委員会『学校給食と地域発酵食』瀬戸内新書, 1986年, pp. 156-160. 7. 甲州市農業振興課『家庭果実加工実態調査報告書』2012年, pp. 9-14. 8. 島崎露華「紫の毒琴」『未刊歌稿集 1937』山の手アーカイブ所蔵.

脚注

  1. ^ 山梨県果実食文化研究会『甲州果実加工史』山渓書房, 2009年.
  2. ^ 斎藤恵子「漬果の金属反応と色調変化」『食品と発酵』Vol. 18, 第3号, 2014年, pp. 112-119.
  3. ^ 山梨県醸造講習所編『果実塩蔵便覧 第4版』私家版, 1892年.
  4. ^ 松井久左衛門『武田旧領食譜考』甲州文庫, 1971年.
  5. ^ 東京駅弁協会『駅売り小包食品の変遷』東都出版, 1935年.
  6. ^ 岡山県学校給食史編集委員会『学校給食と地域発酵食』瀬戸内新書, 1986年.
  7. ^ 甲州市農業振興課『家庭果実加工実態調査報告書』2012年.
  8. ^ 島崎露華「紫の毒琴」『未刊歌稿集 1937』山の手アーカイブ所蔵.
  9. ^ Margaret H. Linton, "Salted Fruits and Regional Memory", Journal of Culinary Anthropology, Vol. 7, No. 2, 1998, pp. 201-224.
  10. ^ 中村繁雄『漬ける果実、鳴る果実』青海社, 2003年.

外部リンク

  • 甲州果実文化資料室
  • 山梨県発酵食アーカイブ
  • 日本保存食学会
  • 葡萄漬け保存連絡協議会
  • 地方食俗データベース
カテゴリ: 日本の葡萄料理 | 山梨県の食文化 | 岡山県の食文化 | 日本の保存食 | 日本の発酵食品 | 果実の漬物料理 | 漬物菓子 | 日本の郷土料理 | 甲州料理 | 葡萄を使った料理

関連する嘘記事