沖ノ鳥島リゾート化計画
| 正式名称 | 沖ノ鳥島リゾート化計画 |
|---|---|
| 通称 | 南洋特別観光構想 |
| 起点 | 1968年ごろ |
| 主導機関 | 運輸省 海洋観光準備室 |
| 対象 | 沖ノ鳥島および周辺排他的利用海域 |
| 想定施設 | 桟橋、研究宿泊棟、耐波式展望デッキ、海底温泉観測槽 |
| 計画規模 | 延床約18,400平方メートル |
| 試算予算 | 約312億円 |
| 特徴 | 観光と国土保全を同時に達成するという発想 |
沖ノ鳥島リゾート化計画(おきのとりしまリゾートかけいかく)は、の最南端に位置するを、観測・保全施設と滞在型観光設備を併設した海洋リゾートとして再設計しようとした一連の構想である。主に末からにかけて、海洋観光準備室を中心に検討が進められたとされる[1]。
概要[編集]
沖ノ鳥島リゾート化計画は、を単なる遠隔離島ではなく、海洋研究と滞在型観光を両立する「最南端の保養拠点」として再定義しようとした政策構想である。計画文書では、潮位観測塔をそのまま灯台兼スカイラウンジに転用する案や、高潮時には自動で格納される海上客室群など、実務と宣伝の境界が曖昧な設備が列挙されていた。
計画の発端は、後半にとの共同勉強会で「南方航路の終点に滞在機能を持たせるべきだ」という提案がなされたことにあるとされる[2]。なお、当初はあくまで研究者向けの宿泊整備として始まったが、のちに民間デベロッパー数社が参入し、最終的には「国境の最前線に建つ海上リゾート」という、やや無理のある売り文句に発展した。
この構想は、土地造成の技術的困難に加え、海洋法上の解釈や台風期の運営費用をめぐってたびたび頓挫した。一方で、計画資料に添付された鳥瞰図の完成度が高く、の内部審査では「実現性は低いが、模型が妙に説得力を持つ」と評されたという[要出典]。
成立の背景[編集]
の観光化構想は、戦後の離島振興政策と高度経済成長期の「未到達空間を魅力に変える」風潮の交点で生まれたとされる。とりわけ以後、国内観光の高付加価値化が進み、政府内では「もっとも遠い場所ほど、宣伝文句としては強い」という半ば冗談めいた見方が広がった。
計画の理論的支柱となったのは、海洋建築学者のと、広告代理店出身の企画官である。黒田は、波浪の周期と滞在満足度の関係を独自に数式化し、北条は「本州から1,700キロ離れた温泉」というキャッチコピーを提案した。両者はに『南洋観光圏構想覚書』をまとめ、沖合施設を「国土の先端ではなく、体験価値の先端」と位置付けた。
ただし、同覚書の末尾には、編集途中のまま残された「島名を変更したほうが土産物が売れるのではないか」という書き込みがあり、のちに関係者の間でたびたび引用された。これが真意だったかは定かでないが、以後の会議では「おきのとりしま」「オーシャン・オキノ」など、実に8種類の案が併記されるようになった。
計画の内容[編集]
施設構成[編集]
中心施設は、直径42メートルの耐波式メインデッキ「サンライズ・リング」と、海面下3.5メートルに設けられた観測宿泊区画「ネプチューン棟」である。後者は、宿泊者が窓越しに潮流を観察できる設計だったが、実際には夜間にイカ類が頻繁に接近したため、利用者アンケートで「想像以上に生物感が強い」と記録された。
また、島の保全を兼ねる名目で、波しぶきを集めて淡水化する装置や、滑走路代わりに使う可動式ヘリポート、海鳥の営巣を妨げないための「静音回廊」が計画された。これらは当初、観測施設の付属設備にすぎなかったが、半ばには「滞在型エコリゾート」の核として再包装されている。
運営と料金体系[編集]
運営案では、一般宿泊は1泊2食付きで、研究者向け長期滞在は月額とされ、さらに「潮位の高い日は割増」「満月の夜は静穏料を加算」といった、海上施設らしからぬ細かな料金調整が導入される予定だった。パンフレットには、繁忙期の定員が72名と記されている一方、避難計画上の安全定員は19名とされており、事務局内での整合性は最後まで取れなかった。
なお、売店の目玉商品として「沖ノ鳥島の日没証明書」や「最南端到達シール」が企画され、試作品にはの許可印に酷似した意匠が用いられたため、一時的に回収騒ぎになったという。
宣伝戦略[編集]
宣伝面では、の機内誌、の自然番組枠、さらには内の百貨店屋上での模型展示が連動して行われたとされる。とくに銀座の展示会では、潮騒を再現するために扇風機12台と古い船舶用スピーカーが使われ、来場者の一部が実物と誤認したという逸話が残る。
この時期に作成されたポスターには、夕焼けを背にした高層展望塔と「東京から、いちばん遠い休日。」という文言が配されていた。もっとも、当時の広報担当者は後年、「遠いことを売るなら、せめて帰りやすくしろと何度も言った」と述懐している。
推進人物[編集]
計画を牽引した人物として最も頻繁に言及されるのは、前述のとである。黒田は工学部出身の海洋構造物研究者、北条はの企画局から出向したとされる官民接続型の人物で、2人の組み合わせ自体が当時としては珍しかった。
また、以降はの委員長を務めたが実務面で存在感を増した。佐伯は会議録の中で「島は小さいが、夢はホテル並みに大きい」と発言したことで知られるが、この発言の前後には、同席した水産庁職員が3分間沈黙したという記録が残る。
一方で、現場技術者としてはの名が重要である。南雲は台風期のメンテナンスを担当し、資材輸送の遅延を避けるため、工具箱にまで浮標を付けたという。これにより、の実証航海では工具一式が一度に流失せずに済んだが、代わりに船内で工具箱が「自力で回収に戻ってきた」と語られるなど、話が少し誇張されている可能性がある。
実証実験と頓挫[編集]
、沖の仮設浮体施設で小規模な実証実験が行われた。ここでは、食堂棟の揺れを「船酔いしにくい角度」に調整する試みや、海鳥の鳴き声をBGM化する演出が検証され、試泊者18名のうち14名が「景色は最高、会議は長い」と回答した。
しかし、最大の障害は施工費ではなく、海と観光の相性に対する省庁間の認識差であった。は集客性を重視したが、は漁場への影響を懸念し、は周辺海域での説明責任を重く見た。会議資料によれば、論点は合計57項目に及び、そのうち実際に解決したのは「船舶の接岸向き」などの8項目のみであった。
結果として、計画はの予算折衝で事実上凍結された。ただし、公式には「将来的な再検討案件」として棚上げされ、以後も各種白書の末尾に2行だけ記載され続けた。このため、関係者のあいだでは「死んだ計画ではなく、海中で保留されている計画」と呼ばれた。
社会的影響[編集]
計画そのものは実現しなかったが、海洋リゾートと国境管理を一体で考える発想は、その後の離島政策や観光広報に影響を与えたとされる。とくに後半以降、自治体が「最北端」「最西端」といった地理的希少性を観光資源として再評価する際、本計画の資料がしばしば参照された。
また、建築模型の完成度が高すぎたことから、模型展示を主目的とする「未成プロジェクト博覧会」の先駆けとも見なされている。実際、のイベント会場で展示された1/200模型は、来場者の一部に「すでに営業している」と誤解され、館内案内が急遽「当施設は実物ではありません」と掲示したという。
批判としては、海洋環境を娯楽化する発想への違和感や、財政的に釣り合わないとの指摘があった。しかし、支持者は「巨大な防波堤をホテルと呼ぶか、ホテルを防波堤と呼ぶかの違いにすぎない」と反論したとされ、この逆説的な弁明は後年の公共事業ジョークとして定着した。
批判と論争[編集]
最大の論争は、沖ノ鳥島を「リゾート」と呼ぶこと自体の是非であった。保守的な官僚の一部は、国土保全を優先すべきだとして観光色の強い命名に反対し、逆に民間側は「保全だけでは予算が通らない」と主張した。両者の折衷案として「海洋滞在拠点」という無難すぎる名称が提案されたが、あまりに無難であったため記憶に残らなかった。
また、の非公式説明会では、波浪シミュレーションのスライドに誤ってハワイの写真が混入していたことが判明し、参加者の間で小さな騒ぎになった。資料作成者は「海はどこも似たようなものです」と釈明したが、この発言は後に議事録から削除されたという。
なお、島の生態系への配慮として設置予定だった「海鳥専用休憩デッキ」は、のちに「鳥の方が人間より先に予約するのではないか」として中止された。もっとも、この中止理由は実務上のものというより、会議が煮詰まった末の冗談だった可能性が高い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒田新一郎『南洋観光圏構想覚書』海洋政策研究所, 1971.
- ^ 北条みさを『遠い休日の広告史』博報堂出版部, 1980.
- ^ 佐伯宗一『島嶼政策と滞在型観光』運輸経済評論, Vol. 14, No. 3, pp. 41-68, 1984.
- ^ Y. Takamori and M. Hojo, “Floating Leisure and Boundary Administration in the South Seas,” Journal of Maritime Planning, Vol. 9, No. 2, pp. 113-129, 1985.
- ^ 南雲一雄『耐波式宿泊施設の保守技術』海洋構造物年報, 第6巻第1号, pp. 7-22, 1986.
- ^ 『沖ノ鳥島リゾート化計画 実証航海報告書』運輸省海洋観光準備室, 1987.
- ^ Margaret L. Thornton, “Tourism at the Edge of the Map,” Pacific Infrastructure Review, Vol. 22, No. 4, pp. 201-233, 1989.
- ^ 『南方航路と観光需要の相関に関する試算』日本観光協会調査部, 1990.
- ^ 黒田新一郎・佐伯宗一『海をホテルにする方法』潮流社, 1991.
- ^ K. Endo, “Administrative Echoes in Unbuilt Coastal Resorts,” Urban Limits Quarterly, Vol. 3, No. 1, pp. 55-61, 1992.
外部リンク
- 海洋観光アーカイブズ
- 未成事業資料館
- 南洋計画研究会
- 離島未来設計センター
- 浮体都市ポータル