渋谷海南斗
| 名称 | 渋谷海南斗 |
|---|---|
| 読み | しぶやかいなんと |
| 英語表記 | Shibuya Kainan-to |
| 起源 | 1929年の渋谷十字路試験区画 |
| 主な活動地域 | 東京都渋谷区、原宿、代官山 |
| 所管 | 旧東京市交通観察局・民間娯楽連盟 |
| 性質 | 観察職、通行判定、儀礼的誘導 |
| 廃止 | 1978年の通行標準化改正 |
| 関連制度 | 三色歩道札、逆流許可札 |
| 象徴色 | 青緑 |
渋谷海南斗(しぶや かいなんと)は、を中心に広まった、歩行者の進路選択を記録・判定する都市遊戯的な役職名である。末期の交通整理実験から派生したとされ、のちに若者文化と行政文書の双方で独自の発展を遂げた[1]。
概要[編集]
この制度は、周辺で実施された交通量調査「第三回谷間流線試験」において、歩行者が信号待ちのあいだに自然発生的な横断隊列を形成したことをきっかけに考案されたとされる。調査を主導したの下級技師・は、通行人の迷いを「都市の潮位」と呼び、これを可視化するために海南斗を置いたという[3]。
成立の経緯[編集]
谷間流線試験[編集]
、渋谷駅東口の仮設ロータリーで実施された試験では、午前8時台の横断成功率が平均78.4%であったのに対し、海南斗が赤い腕章を着用した時間帯は84.1%に上昇したと記録されている。ただし同試験の報告書はの火災で一部焼失しており、現在残る数値は再編版に依拠するため、研究者のあいだでは「もっとも細かいが、もっとも信用しにくい統計」と評されることがある[4]。
民間娯楽化[編集]
初期になると、海南斗の任命は行政手続きから外れ、地元商店街が主催する「進路見立て講習会」を経て授与されるようになった。特にの喫茶店「ル・シヤージュ」では、砂糖壺を1回だけ回した者を「右折適性あり」と判定する遊びが流行し、これが後年の海南斗文化を大衆化させたとされる[5]。
制度と役割[編集]
任命試験は三段階に分かれ、第一段はでの徒歩速度測定、第二段はでの雑踏読解、第三段は「雨天時に濡れた看板を見ても進路を失わない精神安定性」の審査である。合格者は平均で19歳から42歳まで幅があり、女性海南斗の比率が時点で31.6%に達していたという記録もあるが、これは当時としてはかなり異例であった。
社会的影響[編集]
一方で、商店街側は海南斗を観光資源として利用し、の東京五輪に合わせて「Shibuya Kainan Walk」と題した案内図を配布した。来街者数は前月比で12.7%増加したとされるが、その増加分の半数近くは地図を逆さに持った観光客だったとも言われている。
批判と論争[編集]
また、海南斗の判定が「都市の気分」に依存しすぎるとの指摘もあった。ある記録では、雨上がりので同じ人物が午前は「直進」、午後は「回遊」、夕方には「一度引き返してから再入場」と三度判定されたといい、これが後年の行政改革派から「情緒的過剰裁量」と批判されている。
消滅と継承[編集]
1978年の通行標準化改正[編集]
、東京都の歩行者導線標準化方針により、海南斗は正式に廃止された。だが廃止通知は全12ページに及ぶにもかかわらず、肝心の第7条に「例外的に道に迷う者の保護を妨げない」と書かれていたため、完全な消滅ではなく「名目上の終了」と見る研究者も多い。
現代への影響[編集]
現在でも周辺では、イベント運営や商業施設の案内業務において「海南斗的」と形容される手法が残っている。特に開業初日の大型施設で、来場者がスタッフの指示を無視してなぜか一列に並ぶ現象は、古い海南斗文化の残響であるとしばしば説明される。
人物[編集]
松本清二郎[編集]
制度の設計者とされるは、生まれの都市計測技師で、もともとは河川水位の記録係であった。彼が渋谷の雑踏を「水流」と見なしたことが海南斗誕生の契機になったとされ、日誌には「人は流れるが、ためらいは溜まる」と記していたと伝えられる。
白石トキ[編集]
民間普及の立役者は、商店街連合の事務局長だったである。彼女は海南斗講習に口紅の色を導入し、薄紅を「初参加」、濃紅を「再訓練」として扱ったが、これが流行しすぎて一時期、渋谷の理髪店がみな同じ色味の看板になったという。
脚注[編集]
[1] 海南斗研究会『渋谷歩行文化史料集成』青弓社文庫、1998年。
[2] 佐伯久美子「都市儀礼における海洋語彙の転用」『交通民俗学報』第12巻第3号、pp. 41-66、2004年。
[3] 東京市交通観察局編『第三回谷間流線試験報告書』東京市役所資料室、1931年。
[4] 田辺修「渋谷駅前における歩行者流の再計算」『都市計測』Vol. 8, No. 2, pp. 119-137, 1932.
[5] 白石トキ口述・編集『ル・シヤージュ夜話』渋谷商業史刊行会、1961年。
[6] 中嶋洋一『逆流許可札の社会学』港北新報社、1979年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 海南斗研究会『渋谷歩行文化史料集成』青弓社文庫, 1998.
- ^ 佐伯久美子「都市儀礼における海洋語彙の転用」『交通民俗学報』第12巻第3号, pp. 41-66, 2004.
- ^ 東京市交通観察局編『第三回谷間流線試験報告書』東京市役所資料室, 1931.
- ^ 田辺修「渋谷駅前における歩行者流の再計算」『都市計測』Vol. 8, No. 2, pp. 119-137, 1932.
- ^ 白石トキ口述・編集『ル・シヤージュ夜話』渋谷商業史刊行会, 1961.
- ^ 中嶋洋一『逆流許可札の社会学』港北新報社, 1979.
- ^ Margaret L. Thornton, "The Shibuya Kainan System and Urban Drift", Journal of Municipal Rituals, Vol. 14, No. 1, pp. 5-29, 1988.
- ^ Robert H. Ellis, "Walkway Arbitration in Prewar Tokyo", Pacific Urban Review, Vol. 3, No. 4, pp. 201-223, 1974.
- ^ 藤堂まさる『渋谷の青緑札とその周辺』渋谷未来出版社, 2007.
- ^ 小泉直子「迷いの行政学――海南斗の終焉と継承」『都市制度研究』第21巻第2号, pp. 88-104, 2015.
- ^ Harold K. Wen, "A Treatise on Pedestrian Tides", East Asian City Studies, Vol. 9, No. 2, pp. 77-91, 1969.
外部リンク
- 渋谷文化アーカイブズ
- 都市儀礼研究所
- 歩行史料デジタル館
- 海南斗保存会
- 東京市旧交通資料室