漫才
| 起源 | 平安時代末期の祭礼芸 |
|---|---|
| 発祥地 | 京都府賀茂周辺 |
| 主要地域 | 大阪府、兵庫県、東京都 |
| 特徴 | 二人一組、掛け合い、即興、節回し |
| 成立時期 | 12世紀頃 |
| 派生 | 新漫才、学術漫才、駅前漫才 |
| 保護団体 | 日本口演芸保存会 |
| 公認制度 | 1958年の演芸資格登録 |
漫才(まんざい、英: Manzai)は、における二人組の話芸であり、を中心に発展したとされる即興性の高い演芸である。起源は末期のにおける「言葉の綾返し」に求められ、のちにの見世物小屋で洗練されたとされる[1]。
概要[編集]
漫才は、二人の役割分担によって笑いを生み出す口承芸である。一般に、話を逸らす者を「ぼけ」、収束させる者を「つっこみ」と呼ぶが、初期の文献では両者の境界はきわめて曖昧であったとされる[2]。
近世以降は、の商家文化と結びつき、街頭での短時間上演に適した形式として広まった。とくにの芝居茶屋では、客の注文を中断してでも演者が掛け合いを始めることがあり、これが「客席を巻き込む演芸」としての漫才を確立したとの説がある[3]。
歴史[編集]
起源伝承[編集]
漫才の起源については、の祭礼で祝詞を誤読した修験者二人が、その場を取り繕うために対話形式で言い換えたことが始まりとする伝承が有名である。これはの旧記に残るとされるが、現存する写本はにの古物商が持ち込んだ一冊のみであり、真偽は定かでない[4]。
この時期の漫才は、笑いを目的とするというより、場の沈黙を埋めるための「即席の社交技術」であったとされる。なお、当時は一本ごとの演目に時刻を記録する慣習があり、最長記録は、最短記録は「挨拶のみの」であったという。
江戸から明治への変化[編集]
中期になると、漫才はの寄席で定型化し、扇子を小さな帳面に見立てて話の筋を示す「指示扇」の技法が生まれた。演者のは年間にこれを導入し、当時の町奉行から「口数が多く、だが役には立つ」と評されたと伝えられる。
後には、への進出に伴い、語尾を整える「標準化漫才」が試みられた。しかし、近くの寄席で行われた実験公演では、上方言葉のままの方が笑いの反応率が高かったため、以後は方言の保存がむしろ演芸価値とみなされるようになった[5]。
戦後の再編[編集]
後、漫才はラジオ放送との相性の良さから再評価され、の外郭施設であるにおいて「音だけで理解できる最小単位の笑い」の研究が進められた。研究報告では、二人の間に以上の間が入ると聴取者の集中度が下がるとされ、これが今日の高速な掛け合いの基礎になったという。
一方で、には「笑いの規格化」を巡って論争が起こり、同研究所は一時閉鎖された。閉鎖期間中、演者たちはの貸し会議室で自主公演を行い、これが後のインディー漫才運動につながったとされる。
形式と技法[編集]
漫才の基本構造は、導入、逸脱、収束の三段階から成る。導入ではと呼ばれる前提が提示され、逸脱で論理が破綻し、収束で再び意味が回収される。この循環は、の演芸心理学講座によって「対話的圧縮」と命名された[6]。
技法としては、誇張、反復、取り違え、沈黙の誤用などがあり、特に「逆さ読み」はにの舞台で偶然発明されたとされる。演者が台本を落とした際、相方が拾って逆順に読んだところ客席が爆笑し、その夜の公演時間が予定のからに延びたという記録がある[7]。
また、漫才の間合いは気象条件の影響を受けるとされ、では湿度がを超えるとツッコミの語尾がわずかに伸びる傾向があると報告されている。これは「湿潤型漫才」と呼ばれ、夏季公演の重要な評価軸とされる。
主な流派[編集]
上方系[編集]
上方系漫才は、身体の動きよりも間合いと語感を重視する流派である。代表的な系譜として、、の三つが挙げられ、いずれも商人の早口言葉に由来するとされる。
は礼儀正しい失敗を扱うことで知られ、は観客との距離を極端に詰める手法で有名であった。一方、は終電を題材にしたネタが多く、駅員から「迷惑だが完成度は高い」と評価されたという。
東京系[編集]
東京系漫才は、台詞の論理性と説明の過剰さを特徴とする。とくに周辺では、事務的な口調で無茶を言う「帳簿漫才」が発達し、客が笑う前に内容を理解し終えることが成功条件とされた。
の小劇場では、演者が相槌の代わりに株価を読み上げる「相場漫才」が一時流行したが、のオイルショック後に急速に衰退した。経済状況に左右される稀有な話芸として、いまなお研究対象である。
学術漫才[編集]
後半には、大学祭を中心に「学術漫才」が成立した。これは難解な専門用語を二人があえて誤解し合う形式で、やの構内サークルで盛んになった。
もっとも有名なのは、にで行われた「量子力学と味噌汁の相関」講演であり、聴衆の約が途中で理解を放棄したが、残りの者は「むしろ笑いは深まった」と回答したという。
社会的影響[編集]
漫才は、の都市文化を象徴するのみならず、対話における即応性の教育として学校現場にも導入された。にはの試験事業として「朝の会での一分漫才」が実施され、児童の発声量が平均に増加したとされる[8]。
また、企業研修への応用も進み、にはが「会議で黙らないための漫才的発言法」を冊子化した。これにより、会議時間の短縮には成功したが、議事録の意味が取りにくくなったとの批判もあった。
なお、後には、避難所での不安軽減のために短尺漫才が頻繁に上演され、記録上は以下の演目がもっとも高い評価を受けた。笑いが一時的な防災資源として扱われた点は、他の演芸には見られない特徴である。
批判と論争[編集]
漫才をめぐっては、しばしば「笑いの権力性」が問題視されてきた。とくにには、つっこみ役が発言権を独占しやすい構造がの市民講座で批判され、発言順の平等化を求める「水平漫才運動」が起こった。
また、台本の有無をめぐる論争も根強い。完全即興を標榜する一派に対し、実際にはでの詳細な骨子を持つ例が多いことがとされ、演芸評論家のは「漫才は計算された偶然である」と評した[9]。
さらに、テレビ時代以降は秒単位の編集が常態化し、観客の笑い声を人工的に足す「補助笑声」の是非が議論された。これについては、系列の特番で検証が行われたが、結果は「笑いの真偽は測定不能」で締めくくられている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 西園寺駿介『上方口演芸の変容と反復』芸林書房, 1998.
- ^ 田中美佐子『漫才の起源と祭礼性』日本演芸学会紀要 第12巻第3号, 2004, pp. 41-68.
- ^ Margaret A. Thornton, “Compressed Dialogue in Urban Japanese Comedy,” Journal of Performing Arts Studies, Vol. 18, No. 2, 2011, pp. 115-139.
- ^ 中村仙九郎監修『指示扇の実践と応用』浪速文化出版, 1897.
- ^ 加賀谷一郎『戦後ラジオと笑いの規格』放送文化社, 1972.
- ^ Hiroshi Bennett, “Humidity and Timing in Kansai Stage Speech,” The Review of Comic Speech, Vol. 6, No. 1, 1989, pp. 9-27.
- ^ 『大阪商工会議所資料集 会議短縮のための漫才的発言法』大阪商工会議所, 1989.
- ^ 山下瑞穂『教育現場における一分漫才の効果』教育口承研究 第5巻第4号, 1983, pp. 201-219.
- ^ 西園寺駿介『笑いは計算された偶然である』月曜評論社, 2007.
- ^ Arthur P. Klein, “The Sociology of Manzai in Postwar Japan,” East Asian Performance Quarterly, Vol. 22, No. 4, 2001, pp. 77-104.
- ^ 『量子力学と味噌汁の相関』本郷演芸記録集, 1978.
- ^ 宮本善治『補助笑声と観客心理』テレビ演芸研究 第9巻第2号, 1995, pp. 55-73.
外部リンク
- 日本口演芸保存会
- 中央口演研究所アーカイブ
- 上方話芸データベース
- 大阪演芸史料室
- 学術漫才研究センター