無礼面の音楽隊
| 別名 | 無礼面隊/ブレイメン楽隊 |
|---|---|
| 起源とされる地域 | (中部イタリア) |
| 主な活動形態 | 仮面舞踊、街頭演奏、夜間サイレン合図 |
| 使用される道具 | 無礼面(鋳造木彫)、共鳴太鼓、折り畳み譜面台 |
| 活動時期 | 秋の市(9〜11月)と冬の祝祭(12月) |
| 特徴 | “謝罪の拍”と“無礼の拍”を交互に打つとされる |
| 関係機関 | 市の許可局、慈善音楽基金 |
(ぶれいめんのおんがくたい)は、仮面を着けた奏者たちが行う、抗議と祝祭を同時に扱う舞台形式である。主にの古い旅芸の系譜から派生したとされ、地方行政や慈善団体との結びつきが強かったと記録されている[1]。
概要[編集]
は、観客に対して礼儀を装いながら、直後に意図的に“礼を外す”所作を反復することで、沈黙や怯えを「笑い」に変換する舞台形式であると説明される。形式面では、面の向き、音の入り方、終止の長さが定型化されている点が特徴とされる。
成立経緯は諸説あるが、最初期は「市井の言い争い」を長引かせないための“合図システム”として設計されたとも言われる。具体的には、喧嘩が起きた直後に同一旋律へ誘導し、三拍目で全員が視線を外すことで、その場の勢いを切る技法が広まったとされる[2]。
なお、音楽隊という名称にもかかわらず、歌よりも打楽器と呼吸の同期が重視されることが多い。録音資料が少ない時代には、隊員が折り畳み譜面台へ“拍数だけを書いた”紙片を貼り替える運用が、後の記録様式に影響したとされる。このため、研究者の間では「楽曲」より「運用」の歴史を追うべきだという議論がある[3]。
歴史[編集]
誕生:礼儀の帳尻を合わせる“装置”として[編集]
起源はの港町周辺にあるとされ、旅回りの仮面職人と行商の音頭取りが同時期に活動していたことが根拠に挙げられることが多い。とりわけ有名なのが、1692年の冬祭における「無礼面七点校正」だとされる。伝承では、仮面の口部に開ける孔の数を7つに統一し、孔径を“指二本分”と“息の長さ一回分”で換算したとされる[4]。
このとき音楽隊は、観客の家々へ配られた紙札に合わせて演奏を変える仕組みを導入したとされる。紙札には「謝罪の拍(4拍)」「無礼の拍(2拍)」「戻りの拍(1拍)」だけが印字され、旋律は隊員の即興で埋めた。結果として、旋律の違いよりも所作の正確さが評判になり、地域社会で“揉め事の終わらせ方”として受け入れられたという説明がなされている。
ただし、最初から善意のみだったわけではない。記録によれば、1687年の市税取り立てで隊が「謝罪の拍」を意図的に遅らせ、行列のリズムを崩して混乱を起こした疑いが持ち上がったとされる。この事件が「無礼面」という語の定着へ繋がったとする説がある。一方で、遅延は実は鐘楼の時刻ずれに起因したのではないかとも言われる[5]。
制度化:許可局と慈善音楽基金の共同運用[編集]
18世紀後半になると、市の街路で無礼面の公演を行うには許可が必要になったとされる。ここで登場するのが、の“街頭集会調整”を所管した行政組織である(Civic Permits Office, Office of Street Rhythm)だとされる。彼らは演奏の内容ではなく、終了時刻の遵守と騒音の上限(当時の換算で「深夜より前に鐘の反響が3回まで」)を基準化した。
慈善面では、が“無礼面の拍”を子どもの教室へ転用する試みを行ったとされる。基金の文書では、音楽隊の所作を「攻撃の代替」として学習させる狙いが記されている。実際に、基金が運営する5校で、半年間にわたり“謝罪の拍”を前にして手を胸元へ置く練習が採用されたという記録がある[6]。
しかし、その制度化が新たな問題も生んだ。社会的に“無礼面は安全な笑い”と見なされるほど、逆に批判者は「無礼面の笑いは免罪符になる」と反論したとされる。特に、街角の道徳監査官が、仮面の表情を“人を見下すサイン”として解釈するケースが増えたとされる。こうした齟齬が、19世紀半ばの改訂で「無礼面の角度は水平から最大で13度まで」といった細かな規定を生む契機になったという[7]。
現代的再編:録音より“夜間サイレン”の時代へ[編集]
20世紀に入ると、録音機材が普及したにもかかわらず、無礼面の音楽隊はあえて録音を残さない方針をとった時期があったとされる。理由としては、後世が“旋律だけを模倣して所作を欠く”事態を避けるためであると説明される。代替として導入されたのが、夜間の移動時に鳴らされる合図サイレンで、これが隊の“譜面”の役割を果たしたという。
伝承上の転機は、1931年の都市改良で交通規制が強化されたことにある。隊は、サイレンの間隔を「120秒を基準に、外れ値は最大±7秒まで」に抑えることで、警察が混乱しないよう調整したとされる[8]。この数値は“正確さの象徴”として語られ、のちに子ども向けワークショップでも「秒数を守ると笑いが安定する」と説明された。
一方で、現代再編は観光業とも結びついた。2012年以降、の冬期イベントでは“無礼の拍”をミニ演目として短縮したところ、観客が期待する間合いに差が生じ、批判が出たとされる。特に、同じ拍数でも“最後の無礼面の瞬きは1回だけ”という伝承が守られない公演が続き、隊内部で「瞬きは言語である」という注意書きが配布されたという逸話がある[9]。
批判と論争[編集]
無礼面の音楽隊は、表現の自由と秩序の維持の境界でたびたび議論の中心になったとされる。批判側は、無礼を演じることが「本来の礼儀」そのものを空洞化させ、強者の失礼を弱者が笑って受け止める構造を固定する危険があると主張したという。
他方、擁護側は、無礼面の所作は攻撃ではなく“安全弁”であると説明する。彼らは、謝罪の拍と無礼の拍の交互が成立する限り、観客が「怒りを保留し、呼吸を揃え、終止で戻る」ことを学ぶと述べた。また、行政側が音量規制や動線制限を設けたことで、路上での衝突が減ったとする統計(とされるもの)も引用された[10]。
もっとも、論点が単純ではなかったことも指摘されている。ある新聞記事では、2004年にの一部公演で仮面の口部孔径が“4つ増えた”ために響きが鋭くなり、観客の反応が分断したと報じられた。これは技術的には些細であっても、当事者には象徴の変化として受け取られた。研究者の間でも「無礼面の精度は、音響ではなく社会心理に影響するのではないか」という見方が出されている[11]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ アルベルト・バルトリ『街頭における拍の統治:無礼面の運用史』ルナ・エディツィオーニ, 2008.
- ^ Giulia R. Pizzini, “The Etiquette-Breaking Rhythm of the Bureimen Troupe,” Vol. 12, No. 3, *Journal of Urban Sound Practices*, 2011, pp. 41-63.
- ^ カミッロ・フェッラーリ『仮面職人と調停の儀礼』オルソ・プレス, 1995.
- ^ マルチェロ・ディ・サンティス『トスカーナ冬祭の記録簿:1692年の七点校正』第2巻第1号, *地域行事研究年報*, 1979, pp. 109-132.
- ^ Elena M. Ward, “Permits, Decibels, and Civic Permissioning in Renaissance Cities,” Vol. 7, *European Review of Street Regulation*, 2014, pp. 201-229.
- ^ 鈴木 朋人『音楽の制度化と市民の拍:ヨーロッパ路上文化の比較』東京大学出版会, 2020.
- ^ Sofia Conti, “Charity Workshops and the ‘Apology Beat’ Curriculum,” Vol. 3, No. 2, *Ethnography of Performance*, 2018, pp. 77-95.
- ^ ハンス=ヨアヒム・クレーマー『夜間サイレン譜面論:都市交通と合図の微差』シュタット出版, 2001.
- ^ マリーナ・ベリーニ『瞬きは言語である:無礼面隊の内部規範』第1巻第4号, *仮面表象通信*, 2016, pp. 12-29.
- ^ M. E. Harper, “Indexing Laughter: Misread Faces and Public Order,” Vol. 19, *International Journal of Liminal Expression*, 2022, pp. 300-327.
外部リンク
- 無礼面隊アーカイブ
- フィレンツェ街頭音律資料室
- 慈善音楽基金デジタル文書
- 仮面職人組合 代替拍カタログ
- 夜間サイレン譜面研究会