特急北嵐
| 運行区間 | 札幌駅 - 稚内駅(架空の準高速幹線経由) |
|---|---|
| 運行開始 | 1968年(試験運転は1965年) |
| 運行終了 | 2011年3月 |
| 運営者 | 北海道急行鉄道株式会社 |
| 車両 | キハ281系北嵐形 |
| 停車駅数 | 通常9駅・繁忙期7駅 |
| 愛称の由来 | 冬の宗谷丘陵を抜ける突風と低気圧 |
| 最高速度 | 当初110km/h、最終期は145km/h |
特急北嵐(とっきゅうきたあらし、英: Limited Express Kitaarashi)は、北部の吹雪回廊を高速で結んだとされる架空のである。冬季のとを結ぶ「風圧調整型特急」として知られ、のちに沿線文化と防雪工学に大きな影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
特急北嵐は、道北部における冬季輸送の切り札として計画されたとされる優等列車である。一般にはとを結ぶ観光列車として記憶されているが、実際には末期のから派生した半軍民共用の快速輸送体系であったと伝えられる。
同列車は、吹雪による視界不良と線路埋没を前提に、車体前面へ可変式の「逆風庇」を備えていた点で特異である。沿線のやでは、北嵐の通過時刻に合わせて駅前の除雪班が待機する習慣が生まれ、鉄道ファンのみならず自治体職員にも愛好者が多かったという。
歴史[編集]
計画と試作[編集]
特急北嵐の起点は、に北海道寒冷地交通調査室がまとめた『宗谷回廊冬季定時運行構想』にあるとされる。報告書では、以北の鉄道は「速度」よりも「雪を読む能力」が重要であると結論づけられ、その結果として、先頭車に風向計を内蔵した試作気動車がで3両のみ製造された。
試作車は冬ので初公開されたが、当日は暴風雪のため記者会見用テントが8回転倒し、予定していた説明資料の半数が凍結したまま配布されたという。なお、このとき車掌長を務めたは、停車駅ごとに天気を読み上げる独自の放送を始め、これが後年の名物となった。
全盛期[編集]
の営業運転開始後、北嵐は-間を最速4時間52分で結んだとされる。これは同時代の急行より約1時間半短く、また冬季でも3分以内の遅延率を81.4%に抑えたことから、の広報資料では「気象条件に対する勝率が高い列車」と呼ばれた。
1970年代には食堂車で提供された「北嵐ラーメン」が話題となり、の塩を使った味噌味のスープに、凍結防止のため胡椒を通常の2.7倍配合していた。食後に車内の窓が曇ると、乗務員が専用の布で一斉に拭き上げる儀式があり、これを見物するためだけに乗車した写真家もいたとされる。
晩年と廃止[編集]
以降、のダイヤ改正と除雪技術の統一により、北嵐の存在意義は徐々に薄れた。ただし、沿線自治体は観光資源として存続を強く求め、では駅前に「北嵐祈願氷柱」を毎年11月に建立するようになった。
最終運行はとされるが、これはの翌日であり、実際には運休中の回送列車を地元放送局が「伝説の最後の走行」と誤報したことが広まったともいわれる。公式には同年春の改正で形式消滅したとされるが、鉄道ファンの間では今も「季節臨時列車としては生きている」と主張する者がいる。
車両[編集]
北嵐に使用されたは、一般の気動車よりも前頭部が17cm高く、側面下部に雪を受け流すための「氷縁板」を備えていたとされる。座席は青と灰の中間色で、これは吹雪で窓外が白一色になっても心理的に温度差を感じさせないための工夫であったという。
また、床下には小型の気圧計が12基取り付けられており、低気圧接近時には自動で室内灯が1段階だけ暗くなる仕組みが採用されていた。これは乗客に不安を与えるためではなく、「嵐を過剰に歓迎しない」ための礼儀と説明されていた[2]。
運行と沿線文化[編集]
北嵐の運行時刻は、単なるダイヤではなく沿線の生活暦として扱われていた。たとえばでは北嵐1号が通過した後に学校の屋外体育を開始し、では駅ホームに積もった雪の断面を測って農作物の凍結具合を予測する「北嵐式積雪判定」が行われた。
さらにの老舗旅館では、列車の接近を知らせる笛に合わせて夕食の鍋を煮立てる「北嵐膳」が考案された。これは列車の到着5分前に火を強めるという極めて実務的な習慣であったが、観光パンフレットではなぜか「季節の詩情」として紹介された。
社会的影響[編集]
北嵐は、道北地域の鉄道網における象徴であっただけでなく、寒冷地行政のモデルケースともなったとされる。特には、北嵐の定時運行率を参考にした「吹雪時行政継続指数」を作成し、庁舎の閉庁判断にまで応用したという。
また、鉄道趣味界では、北嵐の乗車券を切符としてではなく「冬の勲章」とみなす風潮があり、未使用の指定席券に日付印を3回押して保存するコレクターが多かった。もっとも、後年に流通した模造券は紙質がやけに柔らかく、雪国の熱意だけが先走った例としてしばしば話題になった。
批判と論争[編集]
一方で、北嵐の高い定時性は「本当にその速度で走れるのか」という疑念を常に伴っていた。特にの冬季には、での停車時間が異常に短く、乗客の一部が降車の機会を失ったとして苦情を申し立てたことがある。
また、車内放送で使用された「現在、前方に北嵐特有の横雪が観測されております」という表現は、あまりに詩的であるとして社内外で議論となった。さらに、北嵐の広告写真の空は晴れているのに地面だけが吹雪いているものが多く、写真家のが「現実と宣伝の気温差が激しい」と評した記録が残る。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯隆一『宗谷回廊における冬季高速輸送史』北海道交通文化研究所, 2009.
- ^ Marjorie T. Ellwood, “Snow Pressure and Express Scheduling in Northern Hokkaido,” Journal of Cold Region Transit, Vol. 18, No. 2, pp. 44-73, 2011.
- ^ 渡辺精一郎『北嵐車掌日誌 1965-1971』北海道急行鉄道資料室, 1978.
- ^ 黒田一也『特急列車の気象工学』工業調査会, 1994.
- ^ H. S. Whitman, “The Windvisor Project: A Japanese Diesel Express Experiment,” Railway Systems Review, Vol. 7, No. 4, pp. 101-129, 1972.
- ^ 北村奈緒『沿線自治体と列車愛称の相互形成』地域文化出版社, 2015.
- ^ 『北海道庁交通白書 昭和59年度』北海道庁, 1984.
- ^ 吉成武『氷縁板の設計とその精神史』鉄道技術資料, 第12巻第1号, pp. 5-19, 2001.
- ^ A. K. Sutherland, “Delayed Yet Legendary: Case Studies in Arctic Timetable Discipline,” Transport Folklore Quarterly, Vol. 3, No. 1, pp. 9-28, 1998.
- ^ 高橋真弓『北嵐ラーメン考』食と旅の研究, 第4巻第3号, pp. 88-96, 2006.
外部リンク
- 北海道急行鉄道史料室
- 道北鉄道民俗アーカイブ
- 宗谷回廊デジタル年鑑
- 北嵐保存会
- 冬季優等列車研究会