猟奇的殺人犯 山田 田中事件
| 名称 | 猟奇的殺人犯 山田 田中事件 |
|---|---|
| 正式名称 | 鶴見区連続模倣殺傷事件 |
| 日付 | 1987年11月14日 |
| 時間 | 深夜0時台 - 2時台 |
| 場所 | 神奈川県横浜市鶴見区 |
| 緯度度/経度度 | 35.508/139.68 |
| 概要 | 通称「山田・田中事件」。折りたたみ式の地図とレシートを用いた異様な犯行として知られる。 |
| 標的 | 終電後の駅利用者、新聞販売所の当直員 |
| 手段/武器 | 金属製の小型打撃具、改造懐中電灯、偽造された乗車券 |
| 犯人 | 山田 田中 |
| 容疑 | 殺人未遂、傷害、銃刀法違反、偽造有印私文書行使 |
| 動機 | 本人曰く「地図の折り目をそろえるため」であったとされる |
| 死亡/損害 | 死者0名、重軽傷7名、物的損害約430万円 |
猟奇的殺人犯 山田 田中事件(りょうきてきさつじんはん やまだ たなかじけん)は、(62年)にので発生したである[1]。警察庁による正式名称は「鶴見区連続模倣殺傷事件」とされ、通称では「山田・田中事件」とも呼ばれる[2]。
概要[編集]
は、にの一帯で発生した連続的な襲撃事件である。犯人のは、当初は新聞配達員や終電利用者への無差別な暴行を繰り返したとして知られ、後にが定めた仮称「鶴見区連続模倣殺傷事件」の被疑者としてされた[1]。
この事件が特異とされるのは、犯行そのものよりも、現場に必ず折り畳まれた路線図、甘い香りのするレシート、そして手書きの時刻表の断片が残されていた点にある。捜査当局は当初、時刻表改ざんを伴う計画的と見ていたが、のちに供述内容が二転三転し、についても「駅の音が正しい折り方をしていなかったため」とする異様な説明が残った[2]。
もっとも、近隣住民の多くは事件名よりも犯人の氏名そのものを先に記憶しており、とという二つの日本で極めて一般的な姓の組合せが、逆に匿名性を過剰に帯びた符号として受け取られたとする指摘がある。なお、一部の週刊誌が「殺人犯」の語を見出しに先行使用したため、事件名と人物名が半ば一体化した、珍しい報道史上の例としても知られている。
背景[編集]
鶴見臨港地区の深夜交通網[編集]
事件の背景には、後半から進んだ周辺の深夜交通需要があるとされる。当時のでは交代制勤務が増加し、の前身にあたる国鉄末期のダイヤ運用が細かく調整されていたが、深夜帯の案内は極端に簡略化されていた。山田はこの空白に強く執着したとされ、駅構内の掲示板を写し取る行為を「予行」と呼んでいたという。
また、地域の古書店で流通していた40年代の地図帳に、彼が独自に赤鉛筆で折り目を付ける癖があったことが、後年の鑑定で確認された。地図折りの癖が犯行とどう結びつくのかは明確ではないが、神奈川県警の内部資料では「空間認識の逸脱を伴う拘泥」と記されている。
山田 田中の来歴[編集]
山田 田中は(34年)生まれとされ、の印刷関連工場に勤務していた経歴がある。職場では真面目で無口と評される一方、帳票の綴じ方や伝票番号の飛び番に異常な敏感さを示し、同僚からは「紙の人」と呼ばれていたという[3]。
彼の生活史は、派手な逸脱よりも、細部への過剰な規範意識によって特徴づけられる。所持品の中には、家賃の領収書を日付順に折り畳んだ箱、使用済み切符を年度ごとに並べた缶、そしてからの天気図写しが残されていた。これらは後に精神鑑定の補助資料とされたが、鑑定医の一人は「整理癖が攻撃性と結びついた稀な例」と述べている。
経緯[編集]
事件の端緒は午前0時過ぎ、付近で終電帰りの会社員が背後から打撃を受けたことである。被害者は犯人を目撃できず、ただ「蛍光灯の下で地図を広げる音がした」と供述したとされる。続く約90分の間に、駅前の新聞販売所、立体駐車場入口、河川敷沿いの通路で相次いで通報があり、は広域警戒態勢を敷いた。
山田は逃走の際、改造懐中電灯の底部に仕込まれた金属片を落とし、これが決定的な証拠となった。さらに、現場近くの自販機からは同一ので購入された紙コップが7個回収され、いずれもコーヒーではなくぬるいお茶が注がれていたことが後に判明した。捜査本部ではこれを犯行前の待機の痕跡と見たが、のちに本人は「喉を湿らせる必要があった」とだけ供述している。
なお、事件当夜は強い海風が吹いており、路面に散った新聞紙が現場写真の印象を極端に不気味にしたため、後年の報道映像では実際よりも大規模な事件として誤認されやすい。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
捜査は捜査一課と鶴見署の合同班によって開始された。初動では「暴行目的の通り魔」または「鉄道関連施設への迷惑行為」と見られていたが、現場ごとに残される紙片の折り方が一致していたため、同一犯による連続と判断された。
被害者の証言には共通して「黒いコートの男」「やけに整った敬語」「名札を読もうとしていた」といった要素が含まれていた。担当刑事の小林一雄は、これを単なる目撃情報ではなく、犯人が相手の氏名を確認する習癖の現れと推理したとされる。
遺留品[編集]
最も重要な遺留品は、犯人のポケットから落ちたとみられる半分に折れたの一日乗車券である。そこには駅名ではなく、手書きで「2回半曲げること」と記されており、鑑定では山田が独自に作成した移動手順メモと考えられた。また、現場の塀にはチョークで「14:07に遅い」と書かれていたが、何に対して遅いのかは最後まで不明であった。
さらに、被害現場から回収されたレシートの一枚に、のATM番号のような記号が印字されていたことから、捜査本部は犯人が金融機関周辺の動線を観察していたと結論づけた。ただし、同レシートは当時新たに導入された発券機の不具合で大量に出たものでもあり、この点はのちに一部で要出典扱いとなった。
被害者[編集]
被害者は計7名で、いずれも命に別状はなかったが、長期のやを訴えた者が多かった。最年少は当時17歳の高校生で、部活動帰りに現場へ近づいた際、犯人から「線路の右側は使わないでください」と言われたという。
被害者のうち3名は、犯行後に奇妙な共通点を持つことが判明した。全員が当日、切符の向きを逆さにしていたのである。これを山田が「不正確な移動の予兆」とみなしていた可能性があり、事件後の臨床心理学では「符号過敏型攻撃の誘発要因」として引用されることがある[4]。
一方で、新聞販売所の当直員であった佐伯庄三は、犯人を直接追跡した唯一の人物とされ、肩を負傷しながらも警察に詳細な服装を通報した。この証言はのちのにおいて決定的であった。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
山田は1月の初公判で、終始無表情のまま起訴事実の大半を否認した。弁護側は心神耗弱を主張したが、検察側は、現場に残された紙片の折り目が本人の勤務先で使われていた帳票規格と一致することを示し、計画性を強く立証した。
法廷では、被告人質問の際に山田が「私は殺人ではなく、順番の再配置をしただけである」と発言したとされ、傍聴席が騒然となった。これに対し裁判長は、事件の本質が順序への執着であっても、被害者の受傷は現実であるとして審理を続行した。
第一審[編集]
第一審判決はで言い渡され、山田に18年が科された。判決理由では、無差別性、夜間帯の危険性、そして再犯可能性が重視された一方、相当の悪質性までは認められないとされた。
ただし、判決文の末尾には「被告人の犯行は、地域社会に対し異常な警戒心と紙媒体への不信を植え付けた」との一節があり、これは学術的にはやや誇張があると評されている。なお、量刑の算定において、地図の折り目を加算要素として扱うべきかが内部で議論されたとの証言があるが、これは公式記録に明記されていない。
最終弁論[編集]
控訴審で弁護側は、山田が犯行当時に睡眠障害と強迫症状を抱えていたと主張し、精神科医の意見書を提出した。しかし最終弁論では、本人が「駅は私に先に折られた」と述べたため、心神喪失の主張はほぼ退けられた。
最終的に判決は一部維持され、に確定した。確定後も山田は服役中に新聞折り込み広告の分類を続けたとされ、刑務官の間では「分類房の男」と密かに呼ばれていた。
影響[編集]
事件後、の一部駅では深夜の地図掲示板が大型化され、折り返し案内の角度まで統一された。これにより、当時は「山田対策」と揶揄されたが、結果として高齢者や外国人旅行者にも分かりやすい表示改善につながったと評価されている。
また、では、連続通り魔事件の初動資料において「紙片の有無」を確認項目に加えるようになった。さらに、鉄道会社側では終電後の駅前照明を増設し、新聞販売所との連絡用ホットラインも設置された。社会学的には、この事件が「些末な規則の逸脱が広域不安へ転化する」典型例として参照されることがある。
一方で、事件を題材にしたゴシップ記事が大量に流通し、犯人名の持つ平凡さがかえって不気味さを増幅したとする批評もある。なお、事件から数年後に登場した一部の都市伝説では、山田が「田中に改姓した」とする説が流布したが、裏付けはない。
評価[編集]
犯罪心理学の分野では、山田事件は「象徴的強迫と攻撃行動の接続」に関するケーススタディとして扱われることがある。特に、犯人が暴力そのものよりも、地図・時刻表・伝票の整合性を重視していた点は、通常の衝動型犯罪と区別される。
ただし、研究者の間では、山田の供述を過度に精神病理学へ寄せることへの慎重論も根強い。事件が起きた背景には、当時の都市深夜交通の脆弱さ、報道のセンセーショナリズム、そしてごく普通の姓名が持つ匿名性が重なっていたという見方が有力である[5]。
なお、に公開された警察史資料の一部では、山田の取調べ調書に「折り方が違う」と赤字で31回書き込まれていたことが判明し、研究者の間で話題となった。
関連事件・類似事件[編集]
類似事件としては、後半に相次いだ終電後の通り魔事件、ならびに紙媒体への異常なこだわりを伴う偽造事件が挙げられる。特にの「深夜回覧板事件」や、の「乗車券逆綴じ事件」は、同一系列の模倣例として比較されることがある。
また、の沿線で発生した「地図切断未遂事件」とは、犯行に先立って路線図の一部を切り取る手口が一致しており、警察庁の内部メモでは山田型事件の派生と記載されたという。ただし、これは後年の事後的整理であり、実際には個別の動機が異なっていた可能性が高い。
一方で、事件後に地域住民が自発的に作成した「夜間歩行安全マップ」は、のちに全国の自治体へ波及した。このように、山田事件は犯罪史と地域行政史の双方に奇妙な痕跡を残した。
関連作品[編集]
事件を題材にした書籍としては、『折り目の向こう側』、『山田田中と鶴見の夜』などがある。いずれもノンフィクション風の体裁をとりつつ、後半で著者自身の通勤体験へ逸脱する構成が特徴である。
映画では、公開の『Last Train at Tsurumi』が知られ、地図を折る音だけで緊張感を演出した異色作とされる。テレビ番組では風の再現ドラマ『深夜の紙片』が放送され、視聴者からは「怖いのに妙に事務的」と評された。
また、事件の余波を扱ったドキュメンタリー『レシートはなぜ残るのか』では、犯行現場の自販機を6台にわたり徹底検証しており、映像資料としては過剰なまでに細かいことで有名である。
脚注[編集]
[1] 鶴見区連続模倣殺傷事件調査報告書編纂委員会『昭和末期における都市深夜犯罪の研究』神奈川県警察史資料室, 1994年。
[2] 松井和彦「路線図と暴力の記号論」『現代都市犯罪学会誌』Vol. 12, No. 3, pp. 44-67, 2001年。
[3] 田所真理子『帳票管理と強迫傾向の臨床像』東京医学社, 1990年。
[4] Bernard K. Holloway, “Symbolic Compulsion and Transit-Related Aggression,” Journal of Urban Forensics, Vol. 8, Issue 2, pp. 113-129, 2004.
[5] 中野久子「深夜交通と無差別事件の相関」『治安政策研究』第6巻第1号, pp. 5-18, 2010年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 鶴見区連続模倣殺傷事件調査報告書編纂委員会『昭和末期における都市深夜犯罪の研究』神奈川県警察史資料室, 1994年.
- ^ 松井和彦「路線図と暴力の記号論」『現代都市犯罪学会誌』Vol. 12, No. 3, pp. 44-67, 2001年.
- ^ 田所真理子『帳票管理と強迫傾向の臨床像』東京医学社, 1990年.
- ^ Bernard K. Holloway, “Symbolic Compulsion and Transit-Related Aggression,” Journal of Urban Forensics, Vol. 8, Issue 2, pp. 113-129, 2004.
- ^ 中野久子「深夜交通と無差別事件の相関」『治安政策研究』第6巻第1号, pp. 5-18, 2010年.
- ^ 佐伯庄三『鶴見駅前の90分』みなと文庫, 1993年.
- ^ 石原由紀子「レシート遺留物の鑑定的価値」『鑑識科学レビュー』第4巻第2号, pp. 88-104, 1998年.
- ^ M. R. Vance, “The Folding Hypothesis in Late-Show Violence,” Metropolitan Crime Quarterly, Vol. 21, No. 1, pp. 1-26, 2012.
- ^ 高橋昇『深夜の地図掲示板と公共安全』関東自治体出版会, 2007年.
- ^ 黒田静香「被疑者の姓が報道に与える心理的影響」『メディアと犯罪』第9巻第4号, pp. 201-219, 2016年.
外部リンク
- 神奈川県警察史資料アーカイブ
- 鶴見区地域安全研究所
- 都市犯罪記録館
- 路線図文化保存会
- 夜間交通安全ネット