甲殻ひろみちゃん殺人事件
| 名称 | 甲殻ひろみちゃん殺人事件 |
|---|---|
| 別名 | ひろみちゃん事件、殻(から)事件 |
| 発生日 | 1987年11月頃から1988年2月頃 |
| 発生場所 | 東京都中央区月島、江東区豊洲周辺 |
| 原因 | 甲殻抽出液の誤用、ならびに都市伝説化した文書の混入 |
| 被害者 | 3名とされる |
| 容疑者 | 複数名(うち1名は不明) |
| 解決 | 未解決とされるが、実態は食品衛生騒動との説が有力 |
| 関係機関 | 警視庁、東京都衛生局、築地市場衛生係 |
| 影響 | 深夜の市場放送、都市伝説、甲殻類アレルギー啓発 |
甲殻ひろみちゃん殺人事件(こうかくひろみちゃんさつじんじけん)は、末期の沿岸部で起きたとされる、甲殻類の殻をめぐる連続不審死事件である[1]。後年、資料館の館内展示をきっかけに全国的な都市伝説として再解釈され、の文脈でも言及されるようになった[2]。
概要[編集]
甲殻ひろみちゃん殺人事件は、後半にの湾岸地域で噂された事件である。正式な刑事事件としての記録は乏しいが、当時の市場関係者の聞き取り、区役所に残った苦情票、そして週刊誌の断片的な報道が重なり、半ば実在、半ば怪談として語られるに至った[3]。
事件名の「ひろみちゃん」は、被害者の一人とされる女性の愛称であると同時に、現場周辺で配布された衛生啓発チラシのマスコット名でもあったとされる。このため、事件そのものよりも、名前の可愛さと内容の凄惨さの落差が人々の記憶に残ったといわれている。
事件の成立背景[編集]
起源はの再整備が進んでいた頃にさかのぼるとされる。当時、甲殻類の内臓処理に用いられていた試験的な消臭剤「K-7殻中和液」が、仲卸業者の間で半ば口伝的に流通していた。この液体が冷蔵倉庫の湿度と反応し、独特の刺激臭を放ったことから、作業員のあいだで「ひろみちゃんが泣く匂い」と呼ばれたのが名称の発端とされる[4]。
のちにがこの呼称を問題視し、現場での使用を禁止したが、禁止措置がかえって噂を拡大させた。禁則前後の時期に、月島の古いアパートで甲殻アレルギーを訴える若い女性が相次いで倒れたことから、「ひろみちゃんを狙った何者かがいる」という話に変質したのである。
経過[編集]
第一の通報[編集]
最初の通報は、月島の飲食店「磯乃屋」から寄せられたとされる。店主の佐伯繁雄は、閉店後に厨房の床から赤い殻片と、ひらがなで「ひろみ」と書かれたレシート片を発見したと証言した[5]。ただし後年の鑑定では、レシートは同店が使用していた系の包装紙を再利用したものにすぎない可能性が指摘されている。
この通報により、深川署の巡回班が出動したが、現場到着時にはすでに殻片は回収されており、代わりにボウル一杯の茹でエビが置かれていたという。これが「儀式性のある犯行」と受け取られ、事件は一気に怪異の色を帯びた。
第二の死とされた事案[編集]
には、豊洲の倉庫街で荷役員の女性・小林ひろみ(仮名)が急性ショック症状で搬送され、翌朝に死亡したと報じられた。死因は甲殻成分による強いアレルギー反応とみられるが、当時の新聞は「殻にまつわる謎の毒物」と表現し、かえって不安を煽った。
この報道を受け、地元の小学生らが事件現場付近にエビの殻を供える「ひろみちゃん供養」を始めたことが、後の都市伝説化の決定打になったとされる。供養はの青少年育成委員会により3日で中止されたが、毎年同日に勝手に再開されるようになったという。
第三の混乱[編集]
、の乾物問屋で、帳簿上は存在しない「甲殻ひろみちゃん」名義の納品書が見つかった。筆跡は複数人分を継いだように乱れており、末尾に『次はカニではなくヤドカリ』と書かれていたため、担当刑事が一時的に捜査資料の保管を拒んだと記録されている[6]。
この文書は後に、近隣の印刷所が販促用に作成したサンプル帳の切れ端である可能性が高いと判明した。しかし、事件関係者の一人が『ヤドカリ』を「逃亡者」の隠語だと解釈してしまい、話はさらに複雑化した。
捜査[編集]
捜査は、、そしての合同班によって進められたとされる。主任を務めたのは架空の分析官・で、彼女は殻片のタンパク反応と市場流通記録を突き合わせ、犯行時刻を「午前2時14分から2時26分のあいだ」と細かく絞り込んだという[7]。
一方で、現場で回収されたホタテ貝の内側から、筆圧の強い鉛筆書きで「ひろみちゃんは見ている」と記されたメモが見つかったことから、捜査は一時オカルト方向に傾いた。これに対し高瀬は『見ているのではなく、単に反射光が強いだけである』と説明したが、説明の科学性が逆に不気味だと評された。
最終的に、実行犯として有力視されたのは、冷蔵庫保守業者のである。彼は甲殻類の殻を使った防湿材の試作中に、誤って複数の住民をアレルギー発作に追い込んだ可能性が高いとされたが、本人は取調べで『事件ではなく、殻はただの器である』と述べ、記者団を困惑させた。なお、この供述はのちに『殻は器である論』として一部の民俗学者に引用されている。
社会的影響[編集]
事件後、内の魚介類加工場では、甲殻類の保管棚に赤い札を下げる慣習が生まれた。また、小学校の家庭科では、エビの下処理を扱う際に「ひろみちゃん方式」として、殻を左右三回ずつ回収する手順が指導されたとされる[8]。
さらに、週刊誌『』系の特集をきっかけに、殻の形に見立てた護符が浅草や上野で土産物として流通した。1989年時点で都内の露店約230店がこれを扱い、年間売上は推定4,800万円に達したという。ただし、この数字は販売元が帳簿を紛失した後に『だいたいそれくらい』と答えたものを集計したに過ぎない。
一方で、甲殻アレルギーへの注意喚起が一気に進んだことは事実である。保健所の啓発ポスターには、笑顔の女性の横にエビが描かれ、『苦しいときは海の幸から離れよう』という奇妙な標語が採用された。
都市伝説化[編集]
に入ると、事件は実際の犯罪というよりも、深夜ラジオと学校の怪談で増殖する都市伝説として定着した。とくにの生活情報番組で、殻の保存方法を解説した特集が放送された際、字幕に誤って『ひろみちゃんの冷凍保存』と表示されたことが、伝説の決定的拡散要因になったとされる。
また、の古書店「潮騒堂」では、事件を題材にした同人誌が3日で完売し、その奥付に『監修:ひろみちゃん事件対策同好会』と記されていた。この同好会は実在しないが、問い合わせが多すぎたため、店主が後日、半ば公認団体のように扱ったという。
このように、事件は実在性を失うにつれて、かえって証言が増えるという逆説を示した。研究者のあいだでは「甲殻伝説の自己増殖モデル」と呼ばれ、民俗学、犯罪社会学、食品衛生学の境界領域で参照されている。
批判と論争[編集]
事件に関する記録の多くは断片的であり、一次資料の所在も不明なものが少なくない。そのため、そもそも殺人事件ではなく、複数の食中毒・アレルギー事故・市場内の誤配送が合成された架空の記憶ではないかとの批判がある[9]。
また、に行われたとされる合同記者会見の音声テープが、実際には市内カラオケ店のデモ音源『港のひろみちゃん』であったことが判明し、研究者の一部が撤回を余儀なくされた。なお、この点について事件保存会は『デモ音源であっても歴史資料である』として反論している。
ただし、当時の市場関係者の証言が一様に「殻」という語を避け、代わりに「白い小片」「鳴く食材」などの婉曲表現を用いていることは、単なる後世の創作として片づけるには不自然であるとも指摘されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬八重子『湾岸市場における甲殻反応事案の再検討』東京都衛生研究所紀要, Vol. 14, pp. 22-47, 1991.
- ^ 佐伯繁雄『月島飲食店組合聞き書き 1987-1988』中央区郷土資料室, 第3巻第2号, pp. 115-139, 1994.
- ^ Margaret L. Thornton, "Shell Residue and Urban Panic in Postwar Tokyo", Journal of Maritime Folklore, Vol. 8, No. 3, pp. 201-228, 1996.
- ^ 三浦清一『殻中和液K-7の流通経路と誤認事故』日本食品安全史学会誌, 第11巻第1号, pp. 5-19, 1992.
- ^ 小林由紀子『「ひろみちゃん」呼称の成立に関する一考察』民俗と現代, Vol. 6, pp. 78-96, 1998.
- ^ 東京都衛生局監修『湾岸部甲殻類取扱い基準集』都政出版社, 1989.
- ^ James R. Ellison, "The Hiromi-chan Note and Its Forensic Problems", East Asia Forensic Review, Vol. 2, pp. 44-63, 1993.
- ^ 『週刊湾岸特報』編集部『エビ殻と都市怪談の30日』湾岸出版, 1990.
- ^ 黒川弥生『市場放送史における誤字幕事件』放送文化研究, 第19巻第4号, pp. 301-320, 2001.
- ^ 中野しずか『殻は器である論の社会受容』東京民俗学叢書, Vol. 5, pp. 9-28, 2004.
外部リンク
- 月島怪異資料館
- 湾岸衛生史アーカイブ
- ひろみちゃん事件対策同好会資料庫
- 東京市場伝承研究センター
- 架空事件年表データベース