猫神リハール
| 名称 | 猫神リハール |
|---|---|
| 別名 | リハール様、黒桟の猫神 |
| 分類 | 都市民俗における守護神 |
| 信仰開始 | 明治後期から大正初期とされる |
| 主な祭祀地 | 東京都台東区、墨田区、荒川区の旧河岸地区 |
| 司祭組織 | 東猫礼拝連盟 |
| 関連祭礼 | 深夜供餌式、鈴結び、返礼灯籠 |
| 象徴動物 | 黒猫 |
| 守護領域 | 路地、倉庫、夜商い、迷いもの |
猫神リハール(ねこがみリハール、英: Nekogami Rihal)は、の民俗信仰と都市祭礼の境界で成立したとされる、猫の姿をした守護神およびその祭儀体系である。主に東部の旧水路地帯で信仰され、夜警・商売繁盛・迷い猫の帰還を司る存在として知られている[1]。
概要[編集]
猫神リハールは、の旧運河沿いで形成されたとされる民間信仰で、黒猫を媒介に姿を現す守護存在として語られている。信徒の間では、夜明け前に鳴き声を聞くと商売が安定し、逆に白い鈴を失うと七日以内に客足が途絶えるといった俗信が伝わる[2]。
名称の「リハール」は、期の交易書に現れる港湾労働者名簿の誤読に由来するという説が有力であるが、異論も多い。また、猫神が一般の信仰と混同されたのは初期であり、古い帳簿には「猫神礼拝」と「猫棚詣で」が別項目で記録されている。
起源[編集]
港湾労働者の夜間結社説[編集]
最も広く流布している説では、猫神リハールはに河岸の荷役夫たちが結成した互助結社「黒桟講」に由来するとされる。彼らは倉庫鼠害を避けるために猫を飼い、やがて特定の黒猫を“番神”として扱うようになったという[3]。
講の内部文書『夜番控』には、猫へ塩ではなく煮干しを供える作法が細かく記され、供餌量は「一夜につき七尾半」とある。この「半尾」の解釈をめぐっては、現在でも研究者の間で議論が続いている。
祈祷師リハール・タナカ説[編集]
別説では、に浅草の興行街で活動した祈祷師リハール・タナカが、猫の鳴き声を模した口笛術と護符販売を組み合わせ、信仰を一気に広めたとされる。タナカはの薬種商に対し「帳簿を閉じる時は猫の足音を数えるべし」と説いたとされ、商人層に強い影響を与えた[4]。
ただし、同時代資料に彼の実在を裏づける戸籍は見つかっておらず、後年の祭礼文書が人物像を膨らませた可能性がある。なお、とされる逸話の多くは、昭和中期の観光パンフレットに初出が集中している。
信仰と祭祀[編集]
深夜供餌式[編集]
信仰の中心は、毎月の十七夜に行われる「深夜供餌式」である。参加者は黒い小皿に煮干し三本、白米九粒、そして粗塩をひとつまみだけ盛り、路地裏の石段に置く。供物の配置が右から左へずれると、その年の帳簿が三回ほど差し戻されるといわれる。
祭式はの一部で今も半ば公然と続いているが、実際には町会の防犯活動と一体化しており、猫神への祈りなのか地域清掃なのか判別しづらい点が面白いとされる。
返礼灯籠と鈴結び[編集]
秋季の返礼灯籠では、灯籠一基ごとに猫鈴が一本結びつけられ、風鈴のような音で帰路を示す。この鈴は、音階がから一音外れるように調律されるのが慣例で、古い職人はこれを「猫が嫌がらない半音」と呼んだ[5]。
また、鈴の結び方には十二種類があり、最も位が高い「逆三重結び」は、元来の船宿で使われた係留法を転用したものとされる。結び方を誤ると翌朝に鈴だけが消えることがあり、これが猫神の返礼と解釈されている。
祠と路地の配置規範[編集]
猫神リハールの祠は、角地ではなく必ず路地の中途に置かれるとされる。これは「猫が角を曲がる直前に立ち止まる性質」に合わせたもので、都市設計上は死角を減らす効果があると説明されることもある。
生活文化研究所の調査報告によれば、祠の向きは北西寄りが43%、南東寄りが39%で、残りは「風雨で勝手に動いたもの」とされる。統計の分母がやや曖昧である点については、調査者自身が注記している。
歴史[編集]
明治から大正期[編集]
明治末期、の区画整理によって路地が減少すると、猫神リハールの信仰は一度衰退した。ところが、の大火後に仮設市場が増え、鼠害対策を兼ねた祈祷として再び注目されたという。
この時期には、信徒が紙片に「リハール」とだけ書いて石垣に貼る習俗が広まり、貼付枚数が多い店ほどよく売れるとされた。商店街の古老は、雨の日に限って紙片が溶けずに残ったことを「神威の証」と回想している。
昭和期の観光化[編集]
10年代には、浅草の土産物店が黒猫の面を「猫神面」として販売し始め、信仰は次第に観光資源へと変質した。特に、帝都観光協会が発行した『夜の下町案内』に猫神リハールの項目が掲載され、遠方からの来訪者が増えたとされる[6]。
一方で、神職を自称する者が増えたため、が「正規祈祷師認定証」を発行する制度を導入した。認定証は毎年色が変わり、1941年版だけ妙に紫が濃いことから、戦時期のインク不足説がある。
戦後再編と都市民俗化[編集]
戦後になると、猫神リハールは宗教というより都市民俗の対象として扱われるようになった。高度経済成長期には、マンション建設の前に猫型の陶片を埋める「基礎鎮め」が行われたという報告があり、の工務店資料にもわずかに痕跡が残る[7]。
また、1970年代には大学の民俗学ゼミが調査を行い、猫神信仰が「迷い猫の供養」「夜商いの守護」「会計の安定」を一つに束ねた複合信仰であると整理した。ただし、調査ノートの一部に教授の飼い猫の落書きが混じっていたため、厳密な評価は定まっていない。
社会的影響[編集]
猫神リハールは、下町商店街の防犯活動と結びつくことで、結果的に夜間の見回り文化を定着させたとされる。特にの一部では、猫神祭礼の日に限って自転車盗難がやや減少するという、因果関係の薄い調査結果が毎年話題になる[8]。
また、迷い猫保護の啓発に与えた影響も大きい。地域ボランティアが保護した猫に「リハール」と名づける慣行が広まり、2022年時点で同名の保護猫が都内だけで312匹登録されたという。もっとも、この数字には譲渡前の仮名登録も含まれるため、信頼性は高くない。
批判と論争[編集]
猫神リハールをめぐっては、史料の多くが後世の祭礼関係者によって整えられたものであり、近代に創作された都市伝説ではないかという批判が根強い。とりわけ、祈祷師リハール・タナカの経歴と『夜番控』の筆跡が一致しない点は、研究史上の大きな論点である[9]。
また、近年では観光地化が進みすぎた結果、神格よりも「写真映えする黒猫文化」として消費されているとの指摘がある。一方で、信徒側は「信仰が見世物になること自体が猫神の性質である」と反論しており、議論は平行線をたどっている。
脚注[編集]
[1] 猫神リハール研究会『下町夜神録』東猫書房、2004年。 [2] 田所澄子『路地の神々と市場の猫』民俗叢書、2011年。 [3] 黒桟講文書整理委員会『夜番控 解読篇』第2巻第1号、1989年。 [4] Margaret A. Thornton, “The Cat-Oracle Trade in Eastern Tokyo,” Journal of Urban Folklore, Vol. 14, No. 3, pp. 211-239, 1998. [5] 佐伯良介『鈴と半音の都市史』音律文化研究所、2016年。 [6] 帝都観光協会『夜の下町案内』改訂第6版、1937年。 [7] 墨田建設史料室『基礎鎮めと陶片埋設の記録』内部資料、1974年。 [8] 東猫礼拝連盟監修『猫神祭礼と防犯統計』2022年度報告書。 [9] 小山内一彦『近代都市信仰の生成と捏造』、2009年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 猫神リハール研究会『下町夜神録』東猫書房, 2004年.
- ^ 田所澄子『路地の神々と市場の猫』港区民俗叢書, 2011年.
- ^ 黒桟講文書整理委員会『夜番控 解読篇』第2巻第1号, 1989年.
- ^ Margaret A. Thornton, “The Cat-Oracle Trade in Eastern Tokyo,” Journal of Urban Folklore, Vol. 14, No. 3, pp. 211-239, 1998.
- ^ 佐伯良介『鈴と半音の都市史』音律文化研究所, 2016年.
- ^ 帝都観光協会『夜の下町案内』改訂第6版, 1937年.
- ^ 墨田建設史料室『基礎鎮めと陶片埋設の記録』内部資料, 1974年.
- ^ 小山内一彦『近代都市信仰の生成と捏造』岩波書店, 2009年.
- ^ H. Feldman, “Cats, Commerce, and Ritual in Prewar Tokyo,” Asian Civic Studies Review, Vol. 8, No. 1, pp. 44-79, 2007.
- ^ 関根みつる『猫鈴の結び目と共同体形成』民俗芸能叢刊, 2020年.
- ^ 東猫礼拝連盟監修『猫神祭礼と防犯統計』2022年度報告書.
- ^ D. K. Armitage, “Rihal and the Unstable Archive,” Proceedings of the Society for Imaginary Ethnography, Vol. 2, No. 4, pp. 5-18, 2015.
外部リンク
- 東猫礼拝連盟公式記録庫
- 下町夜神アーカイブ
- 猫神民俗研究センター
- 帝都路地信仰データベース
- 迷い猫保護と祈祷の会