甲斐型戦艦
| 種別 | 戦艦 |
|---|---|
| 所属 | 大日本海軍(計画) |
| 設計方針 | 対角線装甲配置と三段砲塔運用 |
| 計画年 | 初期(1930年代前半とされる) |
| 建造数 | 最大で4隻が検討されたとされる |
| 主要基地 | 周辺およびの合同試験域 |
| 主砲 | 305 mm級砲を「同一仰角で同時発射」する運用を想定 |
| 特徴 | 舷側の「甲斐式二重中空装甲」 |
甲斐型戦艦(かいがたせんかん)は、の計画に基づき建造されたとされるの艦級である。装甲配置と砲塔運用を最適化する思想が注目され、いくつかの改設計案が現場で実験的に試されたとされる[1]。
概要[編集]
は、机上では「重量あたりの火力」よりも「命中率あたりの整備負荷」を重視して設計された艦級として語られることが多い。すなわち、砲の反動吸収を装甲重量に肩代わりさせない代わりに、砲座周辺の整備動線を徹底的に短縮するという思想が掲げられたとされる[2]。
一方で、当時の海軍技術系統の内部では、甲斐型は「強いが、勝つまでに時間がかかる」タイプとしても受け取られていた。とりわけ砲塔旋回機構の潤滑に関して、試験では温度管理が1℃単位で要求されたとも記録されており、現場の整備員を悩ませたとされる[3]。
甲斐という名称は、山梨の周辺で行われた統計的射撃訓練—のための“陸上観測塔”構想—と結び付けて語られることがある。もっとも、この“塔”が実在したかどうかは資料の整合性が乏しく、戦後編纂の一部で「甲斐型命名の根拠」として後付けされたのではないかという見方もある[4]。
概要(設計思想と仕様の「それっぽさ」)[編集]
甲斐型戦艦の設計思想は、海象と砲撃の相関を「装甲の硬さ」ではなく「装甲の応答時間」で評価する点にあるとされる。具体的には、舷側装甲をとして二層化し、衝撃波の通過時間を0.18秒以内に抑えることが狙われたと説明されることがある[5]。
また、主砲運用については、305 mm級砲を備えた複数砲塔を「同一仰角で同時発射」させることで、散布界の“見かけの縮小”を狙ったとされる。訓令書では、仰角の許容誤差を±0.03度とするなど細部が誇張気味に書かれているため、後年になって「それは風向の誤差を前提にした現場いじめでは」との噂が広まった[6]。
さらに、艦内の火薬庫配置は“湿度の階段”で管理されるとして、通風ダクトを階層別に3系統化したとされる。各系統の送風量は、航海時で毎分12.4立方メートル、停泊時で毎分6.9立方メートルとされるが、元資料が断片的であるため、この数値が公式の設計値なのか、工廠の改善案を混ぜたものなのかは定かでない[7]。
歴史[編集]
起源:甲斐の“射撃統計”が戦艦を変えたという説[編集]
甲斐型戦艦の起源は、周辺での観測訓練計画にあると説明されることがある。この計画では、射撃の命中・外れを単に距離で分類するのではなく、気圧配置を“滑らかな曲面”として近似することで、将来的な砲戦の意思決定を自動化できると考えられたとされる[8]。
当時、海軍内部で統計工学を軍艦設計へ持ち込もうとした中心人物として、数学者の(渡辺式射撃補正法の提唱者として伝えられる)が挙げられることがある。彼は観測塔の構造を「1.2秒後に視線が戻る程度の遮蔽」を目標に設計したとされ、戦艦設計にも“視線の遅延”の概念が流用されたとも言われる[9]。
ただし、このストーリーの難点は、観測塔に関する一次資料が、後に編纂されたの“回顧録”に依存している点である。そこでは、塔の高さを推定で217.3メートルとして記す箇所があり、あまりにきっちりした数字であるため、後世の編集による味付けではないかとされる[10]。
開発と試験:潤滑温度と「目に見えない遅れ」[編集]
開発が本格化したのは頃とされるが、工廠側の都合により設計図が二回差し替えられたという。差し替え理由は“敵を撃つ前に味方が整備で詰む”という皮肉に基づくとされ、甲斐型は整備手順を工程図で再配線した、と説明されることが多い[11]。
試験は、近海に設置された合同試験域で実施されたとされる。試験では、砲塔の旋回速度を秒あたり0.62度に固定し、さらに潤滑油の温度を「25.0℃から0.7℃上振れした瞬間に旋回制御を切り替える」手順が採用されたという記述がある[12]。この方法は一見合理的であるが、なぜ“0.7℃”なのかの説明が乏しく、後に「それは当時の温度計の最小目盛の都合である」との指摘が出たとされる[13]。
また、砲塔の微振動を抑えるため、バネ定数を巡っての船渠担当と技術士官が衝突したという逸話がある。双方は、定数の単位を“古い換算係数”のせいで取り違えた可能性があるとされ、和解の条件として「交換日誌に“無限小”の文字を入れる」ことが要求されたとも伝えられている[14]。
停滞と幻の完成:4隻計画と“最後の1パーセント”[編集]
甲斐型戦艦は最大4隻が検討されたとされ、仮番号はK-1からK-4のように記録されている。しかし、実際には資材配分の都合で“1パーセント分”が決定できず、最終的に装甲の中空層の加工法が統一されないまま計画が延伸した、と説明される[15]。
ここで“1パーセント”とは、排水量の1パーセントではなく、装甲の空隙率に由来するとされる。ある設計変更記録では、空隙率を35.0%から35.7%へ上げる提案が出たが、35.7%が“商標化された工法名”と衝突したため保留になったという[16]。このような逸話は資料の整合性を欠くものの、百科的記述としては「ありそうな手続きの面倒さ」をうまく表しているとして、編集者の間で好まれたとされる。
なお、K-3に関しては進水直前の写真が残っているとする説がある一方、別の資料では同時期に進水した船体が“改装型駆逐艦”であった可能性が示唆されている。矛盾はあるが、その写真に写っていたとされるカラーコードが、指定の“真夜中紺”で塗られていたという細部まで語られるため、後年の創作が混じったのではないかといわれる[17]。
社会的影響と運用文化[編集]
甲斐型戦艦は実戦配備の有無をめぐって議論があるにもかかわらず、軍内の技術文化に影響を与えたとされる。とくに「数値で整備手順を縛る」発想は、翌年以降の船体改修や補給計画のテンプレートに影響したという[18]。
また、甲斐型に付随した“射撃統計”は、海軍だけでなく気象観測や港湾の安全管理にも波及したと説明される。たとえばの潮流予測では、甲斐式曲面近似の考え方を応用して、作業員の避難タイミングを早めたという記録が残る。ただし、その記録が甲斐型計画の文書引用ではなく、別部局の文書の焼き直しである可能性も指摘されている[19]。
一方で、技術者の間では甲斐型の“精度信仰”が批判されることもあった。温度、仰角、空隙率といった変数を過剰に管理する姿勢が、現場の工期や予算の暴騰を招いたとされる。特に工廠では「0.03度を守るために丸一週間を溶接に使う」という嘆きが出たとされ、これが後の“実用値”重視の反省会につながったという[20]。
批判と論争[編集]
甲斐型戦艦については、まず「存在したのか」が根本的論点となっている。計画書の体裁が整っているにもかかわらず、艦名と搭載機構の整合性が崩れている箇所があり、後年にまとめられた記録では“複数の案を一つにした編集”が疑われたとされる[21]。
第二の論争点として、砲塔運用の前提に現実味が乏しいとする指摘がある。具体的には“同一仰角で同時発射”を徹底するなら、砲架の機械特性だけでなく、火薬のバラツキ補正まで要るはずであるが、文献ではその補正手順が省略されているという[22]。さらに、仰角誤差を±0.03度に抑えるとしながら、射撃用の目盛が“視線遅延補正”と同じ概念を借りているため、論理の往復が難解になっていると批判されることがある。
第三に、数字の“うますぎる精密さ”が問題視されている。たとえば、潤滑油温度の閾値0.7℃や、装甲衝撃波通過0.18秒は、それらしく見える一方で、どの実験で再現されたのかが曖昧である。結果として、研究史の文脈では「甲斐型は技術というより、技術を語るための物語装置として機能したのではないか」との評価が登場する[23]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 大江田直記『海軍装甲実務史:空隙率と戦略の関係』海軍研究社, 1951年.
- ^ 渡辺精一郎『射撃補正法の系譜:曲面近似と意思決定』文理出版社, 1936年.
- ^ 小笠原武衛『艦砲運用の微差:仰角誤差±0.03度の真価』海軍工学叢書, 【昭和】12年(1937年).
- ^ Schmidt, Friedrich『Thermal Control in Naval Turret Systems』Vol.2, Berlin Maritime Press, 1938.
- ^ 高柳信次『甲斐式二重中空装甲の加工問題』日本造船学会誌, 第【第18巻第4号】, pp.112-147, 1940年.
- ^ Mori, Akira『Delayed Sight and Gunnery Automation』Journal of Coastal Instruments, Vol.7, No.1, pp.1-29, 1942.
- ^ 海軍技術本部編『回顧:合同試験域の記録(横須賀・呉編)』海軍技術文庫, 1958年.
- ^ 佐久間梢『“真夜中紺”塗装規格と識別運用』軍装色彩論叢, 第【第3巻第2号】, pp.55-80, 1964年.
- ^ Rosenberg, Clara『Warship Logistics and Maintenance Throughput』Naval Administration Review, Vol.5, Issue 3, pp.201-233, 1972.
- ^ 坂巻義明『精密数値は勝利するか:軍事工学の編集病理』工学史研究館, 1989年.
外部リンク
- 甲斐式装甲資料庫
- 横須賀合同試験域アーカイブ
- 海軍技術本部写本集
- 架空艦級の系譜サイト
- 仰角誤差アーカイヴ