男女混合相撲
| 正式名称 | 男女混合相撲 |
|---|---|
| 分類 | 土俵競技、混成型武道 |
| 発祥 | 1912年ごろの東京府下 |
| 競技人数 | 1対1または3人制団体戦 |
| 土俵規格 | 直径5.6メートル、女性用灰線を含む |
| 主催団体 | 日本混合相撲協会(JMSA) |
| 主要大会 | 全日本男女混合選手権 |
| 特徴 | 差し手の左右制限が年度により変動する |
| 禁じ手 | 裾払いの連続使用、袖口投げ、礼前の発声 |
| 関連法規 | 混成競技安全運用要綱 |
男女混合相撲(だんじょこんごうすもう、英: Mixed-Gender Sumo)は、男女が同一土俵上で対戦する競技形式である。明治末期の周辺で、見世物相撲の改革案として体系化されたとされる[1]。
概要[編集]
男女混合相撲は、との要素を統合し、同一ので男女が対戦するよう設計された競技である。勝敗は、、のほか、礼法の完成度を加味した三段階評点で決められるとされる。
一般には近代以降の平等主義から生まれたと誤解されやすいが、実際には初期に「見世物としての相撲の再編集」を目的として考案されたという説が有力である。なお、初期の資料では「混合」は性別の混合ではなく、地方流派と都市流派の混成を指したとする異説もある[2]。
歴史[編集]
成立前史[編集]
起源は、下の興行師・がの前身とされる貸席で行った「新式手合」に求められる。菊池は、当時人気を博していたの演出法を相撲に移植し、女性力士を「花役」、男性力士を「山役」として配置した。
この試みは当初、相撲協会から「土俵の倫理を乱す」として批判されたが、観客動員が初回の328人から第7回には1,944人へ増えたため、結果的に黙認されたとされる。特に1913年夏の浅草巡業では、土俵際にを20基並べ、勝敗表示を紙吹雪で行う演出が評判となった。
制度化[編集]
にはの民俗学研究会に所属していたが、競技規則を『混合相撲規程草案』として文書化した。草案では、体重差15キログラム以上の場合に限り「礼立ち直し」の時間を3秒追加すること、また女性側の四股踏み回数を偶数回に揃えることが定められた。
初期にはので年2回の公開試合が行われ、紙面でも「新風俗」として紹介された。ただし、記者の一部は選手の化粧や髷の処理に注目しすぎたため、試合内容よりも「髷の結び直しに要した平均時間 42秒」のほうが詳しく報じられた[3]。
戦後の再編[編集]
戦後は一時衰退したが、にが外郭の文化振興助成を受けて再建され、競技は「健全な男女共同修練」として再定義された。これにより、従来の興行色は薄まり、学校体育や地域クラブへも普及したとされる。
もっとも、の第14回全日本男女混合選手権では、優勝候補だった代表のが、試合前に相手のまわしの結び目を「統計的に甘い」と指摘して審判団を困惑させた事件がある。この一件は、以後の公式講習で「結び目監査」の項目が設けられる契機になった。
競技規則[編集]
男女混合相撲の規則は、通常の相撲規則を基礎としつつ、接触の強度を調整するための独自規定が多数存在する。たとえばでは、男女いずれの選手も開始前に左手で土俵中央の白線を一度なでる「線礼」を行うことが推奨される。
また、の改定以降、対戦の公平性を担保する目的で「声量差補正」が導入された。これは、試合中の発声が90デシベルを超えた場合、審判が片方の選手に2秒の沈黙を命じる制度である。もっとも、実測では呼出しの声のほうが大きいことが多く、運用上の混乱が絶えないとされる。
主要な流派と組織[編集]
日本混合相撲協会[編集]
(JMSA)は、に本部を置く競技統括団体である。登録選手は2024年時点で男子412人、女子387人、その他区分29人と公表されているが、地方連盟の登録名簿と照合すると若干の増減がある。
協会内では、技術指導部よりも礼法部の発言力が強いことで知られている。特に礼法部長を務めたは、「勝敗は土俵の外で八割決まる」と述べ、選手育成よりも歩幅と礼角度の標準化を優先した。
地方流派[編集]
地方流派としては、の「雪輪派」、の「火口派」、の「りんご締め派」などが知られている。とりわけりんご締め派は、まわしの締結に果実木用の防滑布を用いることで、雨天時の踏ん張りが向上すると主張していた。
もっとも、火口派については資料の多くが演芸誌由来であり、実戦的な技術体系があったかどうかは議論が残る。ある記録では、師範が開幕前に硫黄を焚いて集中力を高めていたとされるが、火薬取締法との関係から真偽は不明である。
社会的影響[編集]
男女混合相撲は、後期の学校教育において「対等な力比べ」の教材として扱われ、の授業で簡易版が実施された時期がある。1970年代には、体育館の床に円形シートを敷いた「マット土俵」が各地に普及し、年間約3,200校で試行されたとされる。
一方で、保護具の導入をめぐっては賛否が分かれた。特にの特集『土俵に立つもの』では、選手の回しの下に小型クッションを仕込むか否かが議論となり、視聴者投書が4,812通寄せられた。これにより、競技性と安全性の境界が長く論争の対象となった。
批判と論争[編集]
批判の中心は、男女の体格差ではなく、むしろ演出過多にあったとされる。古参の愛好家からは「相撲を名乗りながら、実際には礼法付きの舞台格闘に近い」との指摘があり、逆に革新派からは「伝統を装った進歩主義の見せ物」であると批判された。
また、の全日本大会で採用された「香り判定制度」は大きな物議を醸した。これは審判が試合前の塩撒きの香りを確認し、精神集中の度合いを数値化するものであったが、会場がの焼き鳥店街に近かったため、評価が料理の匂いに左右されたと報告されている。なお、協会はこの制度を2大会で廃止した。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 三輪信之助『混合相撲規程草案』早稲田民俗叢書, 1926.
- ^ 菊池貞吉「新式手合における土俵演出の変遷」『東京興行史研究』Vol. 4, No. 2, 1914, pp. 11-29.
- ^ 西園寺綾子『礼と力のあいだ—男女混合相撲の教育史』光潮社, 1972.
- ^ Y. Nakamura, “Boundary Rituals in Mixed-Gender Sumo,” Journal of Japanese Competitive Culture, Vol. 9, No. 1, 1988, pp. 44-67.
- ^ 田端久美子『土俵の平等学』青弓社, 1994.
- ^ M. Thornton, “Phonetic Control and Refereeing in Mixed Sumo,” East Asian Sports Review, Vol. 12, No. 3, 2001, pp. 201-219.
- ^ 『全日本男女混合選手権大会記録 第14回』日本混合相撲協会出版局, 1969.
- ^ 小島真治「香り判定制度の導入と廃止」『スポーツ風俗学報』第18巻第4号, 1992, pp. 3-18.
- ^ 『学校体育における土俵利用の手引き』文部省体育局, 1977.
- ^ A. Keller, “Rope Knots and Gender Balance in Ring Sports,” Comparative Martial Traditions, Vol. 5, No. 2, 2010, pp. 88-101.
外部リンク
- 日本混合相撲協会公式記録室
- 両国土俵文化アーカイブ
- 混成競技史料データベース
- 礼法部監修・土俵作法講座
- 全国学校体育混合競技委員会