盛岡ラーメン
| 発祥地 | 岩手県盛岡市周辺 |
|---|---|
| 成立時期 | 大正末期 - 昭和初期とされる |
| 主な特徴 | 多加水麺、澄んだ鶏清湯、二段返しの盛り付け |
| 考案者 | 盛岡麺食研究会(通称:MMR) |
| 関連地域 | 盛岡駅前、肴町、本宮、新庄町 |
| 類似料理 | 札幌ラーメン、八戸中華そば、釜石ラーメン |
| 推定普及店数 | 2018年時点で約430店 |
| 別名 | 盆地ラーメン、逆冷却麺 |
盛岡ラーメン(もりおからーめん、英: Morioka Ramen)は、周辺で発達したとされる麺料理である。冷気の強い盆地でスープの温度を保つために編み出されたという説が広く知られている[1]。
概要[編集]
盛岡ラーメンは、を中心に提供されるご当地ラーメンの一系統とされる。一般にはあっさりした醤油系のスープと、やや強いコシを持つ中太麺の組み合わせで知られているが、その成立には旧本店の地下給湯設備が関与したという説まで存在する。
もっとも、盛岡ラーメンの定義は時代によって揺れがあり、麺の太さよりも「丼の縁を冷やさないこと」を重視する店も多かったとされる。地元では、冬季に沿いの風が強まる日に注文が増えるという統計があり、2016年には市内の一部店で昼営業の売上が通常の1.8倍に達したと記録されている[2]。
歴史[編集]
起源伝承[編集]
起源については、14年に肴町の屋台でという元鉄道技師が、測量用の湯温計を転用して湯切りの時間を標準化したことに始まるとされる。彼は構内の待合室で出されていた温麺に着想を得たともいわれ、当初は「盛岡式支那そば」と呼ばれていたという。
ただし、の古い回覧板には、同年より前のに既に「寒地向け麺食改良試験」が行われていた記述があり、実際には複数の屋台主による共同開発だった可能性が高い。なお、この試験では麺の切断角度をにすると麺線が最もほどけにくいことが確認されたとされるが、出典は1枚の謄写版のみである。
普及期[編集]
昭和初期には、沿いの製麺所がアルカリ水の配合を調整したことにより、盛岡ラーメンの麺質は急速に安定した。とくに11年に開店した『中ノ橋屋』は、丼の底に薄く澱粉膜を張ることで最後の一口まで温度を維持する方式を採用し、近隣の寄席や写真館から客を集めた。
の食文化講座では、1954年に「一杯の持続時間」が比較指標として導入され、平均食事時間がからへ延びたという。市民の間では「麺がのびる前に会話が終わるか、会話が長くて麺がのびるか」で店選びが決まると言われたが、これは後年の観光案内によりやや誇張された可能性がある。
観光資源化[編集]
に入ると、盛岡ラーメンはと並ぶ食文化資源として再編され、が「一日三杯で街を知る」というキャンペーンを実施した。これに合わせ、駅前では丼の底に市内地図が印刷された記念器が配布され、飲み干すとやの絵柄が現れる仕様が話題となった。
一方で、2009年には「観光向けに淡泊化しすぎた」との批判もあり、地元ラーメン店組合は『盛岡ラーメン宣言第3版』を発表して、スープ濃度の下限を相当と定めた。ただし計測は現場の店主による目視で行われたため、要出典とされることが多い。
特徴[編集]
盛岡ラーメンの特徴として最もよく挙げられるのは、澄んだスープと弾力のある麺である。スープは鶏ガラを基調にすることが多く、店によっては、干し椎茸、煮干しを合わせて「三重透過」と呼ばれる層を作るとされる。
麺は多加水で、茹で上がり後に30秒以内で丼へ移さないと食感が損なわれるとされるため、熟練店では湯切り担当がタイムキーパーを兼ねることがある。ある老舗では、開店から閉店までの湯切り回数をに保つ慣行があり、雨天時にはわずかに増えるという記録まで残っている。
また、具材はチャーシュー、メンマ、刻みねぎが基本であるが、の一部店舗では雪の日に限り「凍み豆腐の角切り」が入る。この変則的な仕様は、客が丼の中で季節を感じられるようにするためだと説明されている。
地域的展開[編集]
盛岡ラーメンは市中心部から周辺部へ広がる過程で、各地区ごとに微妙な差異を生んだ。盛岡駅前では回転率重視の軽快な味が好まれ、では商業施設向けに脂分を抑えた派生型が、では家族客向けに麺量を増やした型が定着したとされる。
さらに、やの一部では、盛岡ラーメンを川魚のだしで調整する「盆地外周変種」が見られる。これについては、冬季に物流が滞ったため地元の釜揚げ文化と融合したという説があるが、実際には1960年代の高校生ラーメン同好会が「いちばん寒い日においしい麺」を競った結果だという証言もある。
の古い商店街では、盛岡ラーメンを注文すると必ず小皿の漬物が二種つく慣行があり、これを「二枚返し」と呼ぶ。これは口直しのためではなく、スープの塩分に対する家庭の記憶を呼び戻す儀礼的な要素だと説明されてきた。
社会的影響[編集]
盛岡ラーメンは、単なる食事以上に市民生活の時間感覚に影響を与えたとされる。市内のタクシー業界では、昼食時間帯の乗車先としてラーメン店名を用いる慣行があり、『三番目の角の向こうの店』で通じることもあったという。
また、の生活調査では、週2回以上盛岡ラーメンを食べる学生は、食べない学生に比べて冬季の外出率が12%高いとされた。これは麺の温度ではなく、店先で知人に遭遇する確率が上がるためだと分析されている[3]。
一方で、観光地化の進行に伴い、器の大型化と価格上昇が起きた。2014年には駅前の一部店舗で「特盛岡ラーメン」が登場し、直径27センチの丼に麺が3層で積まれたが、最上層だけが完食されやすく、残りが撮影用に冷める現象が問題になった。
批判と論争[編集]
盛岡ラーメンをめぐっては、そもそも何をもって「盛岡」とするかで長年論争がある。市内の老舗店主の間では、から半径2.8キロ以内で仕込まれた湯だけを用いるべきだとする厳格派と、麺と器のどちらかが市内で生産されていれば十分だとする実務派が対立してきた。
また、2011年には、ある観光パンフレットが「盛岡ラーメンは冷麺の祖先である」と記載したことで批判が集中した。これに対し、地元の有志は『盛岡ラーメン系譜図』を作成し、冷麺とは地下1階の製麺ラインで3週間ほど交差したのみで、直接の祖先関係ではないと主張した。
なお、2020年の市民アンケートでは、盛岡ラーメンを「朝から食べられる」と回答した者がに達したが、実際に朝営業を行う店の数は19店にとどまり、この数字の整合性については今も議論が続いている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『寒地麺食改良論』盛岡麺食研究会, 1931年.
- ^ 佐々木敏雄『北東北における清湯文化の形成』岩手郷土文化出版, 1968年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Thermal Retention in Basin Noodle Bowls", Journal of Applied Gastronomy, Vol. 12, No. 3, 1979, pp. 44-61.
- ^ 高橋由紀子『盛岡市中心部における屋台経済の変遷』東北食文化評論社, 1984年.
- ^ Hiroshi Kanda, "Noodle Viscosity and Winter Traffic in Morioka", The Japanese Culinary Studies Review, Vol. 8, No. 1, 1992, pp. 5-19.
- ^ 盛岡観光コンベンション協会『盛岡麺類観光白書 1998』同協会, 1999年.
- ^ 中野真一『丼の縁を冷やす技法――盛岡式湯温管理の実際』食と地域叢書, 2007年.
- ^ 岩手大学生活科学部『学生の外食頻度と冬季外出率の相関』学内報告書 第14号, 2012年.
- ^ 小松崎百合『Brix 4.2の真実』盛岡味覚研究所紀要, 第3巻第2号, 2015年.
- ^ Kenji Orikasa, "The Double-Rinse Myth in Northern Japanese Noodle Culture", East Asian Food History Quarterly, Vol. 6, No. 4, 2021, pp. 88-97.
外部リンク
- 盛岡麺食文化アーカイブ
- 北東北ラーメン史料館
- 盛岡ラーメン保存推進協議会
- 盆地麺学研究ネットワーク
- 岩手食文化デジタル図書室