神秘のベール実験
| 分類 | 心理物理学、知覚実験、半遮蔽提示 |
|---|---|
| 提唱者 | 霧島忠雄 |
| 初出 | 1928年 |
| 起源 | 京都帝国大学 生理学教室 |
| 主な用途 | 知覚閾、注意分配、証言再現性の測定 |
| 代表的装置 | K-12型ベール架台 |
| 関連学会 | 日本心理学会、東亜知覚研究会 |
| 標準条件 | 透過率18〜34%、観測距離2.1m |
神秘のベール実験(しんぴのべーるじっけん、英: Mystic Veil Experiment)は、対象の一部を半透明の繊維膜で覆い、観測者に「見えているはずだが判別できない」状態を人工的に作り出す的な実験手法である。もともとはにのが、舞踏会用の薄布から着想を得て考案したとされる[1]。
概要[編集]
神秘のベール実験は、視野の一部をまたはに類する薄膜で覆い、被験者が「知っているのに確信できない」状態に置かれたときの反応を調べる実験である。後年はやでも追試が行われ、単なる視覚実験ではなく、やにも応用可能な手法として扱われた。
この実験が異様に知られるようになったのは、測定結果そのものよりも、測定者が毎回「ベールを外す前に5秒だけ沈黙する」という儀礼めいた手順を守ったためである。これが被験者の集中を高めるとして定着し、のちには実験の正確さよりも沈黙の長さが議論の中心になるなど、学術と演出の境界が曖昧になった[2]。
歴史[編集]
創案と初期の試行[編集]
、はの四条通にあった帽子商の見本市で、展示品にかけられた薄いベールが「見えるのに分からない」印象を与えることに着目したとされる。帰学後、生理学教室の片隅で、卓上時計・白磁の薬瓶・竹製の指示棒を組み合わせた簡易装置を作成し、助手7名とともに最初の試行を行った。
初回の結果は散々で、被験者12名のうち9名が「霧島が何を隠しているのかは分かるが、何が隠れているのかは分からない」と回答した。これを霧島は失敗ではなく成功の予備段階と解釈し、以後の記録ではこの種の回答を「半確信応答」として別扱いにした[3]。
制度化と学会発表[編集]
にはで初の口頭発表が行われ、会場ではの研究者が「ベールの材質が結果を規定する」と強く主張した。一方で霧島は、材質ではなく「沈黙に含まれる圧力」が本質であると反論し、討論は40分を超えたという。
この対立を受け、研究会では・・の3条件が標準化され、さらに観測者の咳払い回数まで記録されるようになった。1930年代後半には、が「見えぬものを見る学」として紹介し、学術界外にも奇妙な人気が広がった[4]。
戦後の再評価[編集]
戦後の、の科学顧問団が実験ノートの一部を閲覧した際、装置名に含まれる「神秘」という語に強い関心を示したとされる。だが実際には、英訳の過程で mystic が quasi-technical term と誤認されたことが普及のきっかけであり、以後、海外文献では「veil bias」と並記されることが多くなった。
にはの来日研究者が、ベールの下に配置する物体の輪郭を0.7mm単位で調整する改良版を提案し、再現性が27%向上したと報告した。ただし、同報告では被験者が実験中に2回も笑ってしまったため、後年のレビューでは「厳密さより空気感が勝った研究」と評されている[5]。
方法と装置[編集]
標準的な神秘のベール実験では、に透明枠を固定し、その上に透過率の異なる薄膜を3枚重ねる。観測対象は、で製造された金属球、木片、あるいは小型の陶器像であり、被験者は2.1mの距離から30秒間観察する。
記録は「見えた」「見えない」ではなく、という独自尺度で行われ、0から8までの整数で申告させる。なお、8を付けた被験者ほど正答率が低い傾向があり、これは実験史上もっとも有名な逆転現象として引用されることが多い。
学術的意義[編集]
本実験は、単に視覚を測るのではなく、観測者が意味を補完してしまう過程を可視化した点に価値があるとされる。とりわけでは、曖昧な刺激に対して人間が先に物語を作ってしまう現象を説明する補助例として扱われ、教科書ではしばしば「ベール先行効果」として紹介された。
一方でやがこの概念を応用し、商品陳列や照明設計に取り入れたことで、実験は半ば商業技法としても流通した。1950年代後半にはの百貨店で「神秘のベール式展示会」が開催され、来場者3,400人のうち実に61%が「中身より布地が気になった」と回答したという[6]。
批判と論争[編集]
批判の多くは、結果の再現性が実験者の所作に左右されすぎる点に集中していた。特に霧島の弟子であるは、師の沈黙の長さが3秒を超えると成績が改善し、7秒を超えると逆に悪化することを示したが、この発見は「沈黙の美学」を損なうとして本流から外された。
また、のでは、ベールの色が「灰青色でなければならない」とする旧来の慣行に対し、北欧グループが「視覚ではなく演出の強制である」と抗議した。議論は深夜まで続き、議長が最後に「それでもベールは必要である」と締めたため、会議記録の脚注が異様に長くなったことで知られている。
その後の展開[編集]
以降はや研究に吸収され、実験装置は軽量化したが、儀礼としての沈黙はむしろ厳格化した。特にの一部研究室では、開始前に白手袋を装着し、ベールを机に置く角度を毎回17度に揃える慣習があり、見学者にはしばしば「宗教的だ」と評された。
に公開された霧島家旧蔵資料からは、初期試行で使われた布に「町内会の余り布」と記された付箋が見つかり、研究史家を驚かせた。ただし、この付箋の筆跡が霧島本人のものに極めて似ていたため、後年「自作自演の研究ノートではないか」とする指摘もあるが、結論は出ていない[7]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 霧島忠雄『神秘のベール実験序説』京都帝国大学生理学教室紀要, 1931, Vol. 4, pp. 11-38.
- ^ 有馬静枝「半遮蔽条件下における輪郭知覚」『日本心理学会誌』1935, 第12巻第2号, pp. 201-219.
- ^ 長谷部重信『沈黙時間と被験者応答の揺らぎ』東京教育研究社, 1941.
- ^ Robert H. Ellery,
- ^ Robert H. Ellery, “Revisions in Veil-Based Perception Trials,” Journal of Comparative Sensory Studies, 1957, Vol. 9, No. 1, pp. 44-67.
- ^ 伊藤澄子「神秘のベール法の広告応用」『商業心理学研究』1959, 第3巻第4号, pp. 88-102.
- ^ 松田誠一『ベールと沈黙: 実験演出の系譜』誠文堂新光社, 1968.
- ^ 北園理恵「輪郭確信値の尺度化について」『知覚と測定』1974, 第7巻第1号, pp. 5-29.
- ^ A. P. Whitcombe, “The Gray-Blue Orthodoxy in Visual Veil Experiments,” Proceedings of the International Congress of Perception, 1963, pp. 113-126.
- ^ 霧島百合子編『霧島忠雄旧蔵資料集』東亜学術出版, 2005.
- ^ 山根義一『神秘と装置: 近代日本の知覚実験史』青樹書房, 2011.
外部リンク
- 日本神秘知覚学協会アーカイブ
- 京都近代実験史デジタルライブラリ
- Veil Studies Online
- 東亜心理測定資料館
- 霧島研究会速報