アンパシー実験
| 正式名称 | アンパシー実験 |
|---|---|
| 英語名 | Anpathy Experiment |
| 分野 | 心理学、認知科学、行動計測 |
| 提唱者 | 高瀬 恒一郎、マーガレット・L・ソーン |
| 初期実施地 | 東京都文京区、ロンドン大学附属行動研究室 |
| 成立年 | 1958年ごろ |
| 主要装置 | 逆位相表情鏡、静音拍点計、感情誤認票 |
| 代表的用途 | 対人援助訓練、職場ストレス評価、都市住民調査 |
| 関連機関 | 帝都応用心理研究所 |
アンパシー実験(アンパシーじっけん、英: Anpathy Experiment)は、他者の感情をあえて「見間違える」ことで共感の発生条件を測定するための実験手法、またはその総称である。主にとの境界領域で発展したとされ、中葉ので最初に体系化されたとされる[1]。
概要[編集]
アンパシー実験は、被験者に提示した表情・音声・行動断片に対し、意図的に誤った感情ラベルを選ばせ、その誤認がどの程度の共感反応を引き起こすかを測る手法である。通常の研究が「正しく理解すること」を前提とするのに対し、アンパシー実験は「まず誤解すること」に着目した点で異色であった。
この方法は、にの貸し会議室で行われた小規模調査に端を発するとされる。当初はの内部資料として扱われていたが、後にの教養番組で断片的に紹介されたことで一般にも知られるようになった。ただし、初期の記録には実験補助員が全員同じ色の腕章を着けていた理由が「被験者の不安を減らすため」と「識別を難しくするため」で食い違っており、研究史上の小さな謎として残っている[2]。
名称の「アンパシー」は、当初は「anti-empathy」の略と説明されることもあったが、実際にはの接頭辞風に聞こえる響きを重視して採用された造語であるとされる。のちにの実務家集団が「共感の逆説的誘発法」と呼び替えたため、二つの名称が併用される時期もあった。
成立の経緯[編集]
文京区の予備実験[編集]
最初期の実験は夏、白山の旧民家を改装した研究室で行われた。高瀬 恒一郎は、戦後の都市生活で増加した「他人の感情を正確に読みすぎて疲弊する現象」に注目し、被験者にわざと曖昧な視覚刺激を与える方法を考案したとされる[3]。
この時に用いられたのが、鏡の前に小型の扇風機を置いて表情筋の動きをわずかに乱す「逆位相表情鏡」である。被験者12名のうち9名が、笑顔の写真を「不安」と判定したにもかかわらず、面接後にはむしろ親近感が増したと回答しており、この逆説的結果がアンパシー実験の原型となった。
なお、研究日誌には「14時17分、被験者Bが机の角に置かれた灰皿に強い安心感を示す」と記されているが、後年の再現実験では灰皿の位置が2cmずれていただけで結果が変化したため、統計的には扱いにくい事例として知られる。
ロンドンでの再定式化[編集]
には附属の行動研究室で、マーガレット・L・ソーンが高瀬の手法を英語圏向けに再構成した。ソーンは、表情だけでなく沈黙の長さや椅子の軋み方まで刺激として扱うべきだと主張し、これを「感情の周辺雑音仮説」と呼んだ[4]。
彼女の班はの公民館で行った公開実験で、拍手のタイミングを0.8秒遅らせるだけで被験者の共感スコアが平均12.4ポイント上昇することを示したと発表した。しかしこの結果は、当日配られた紅茶の糖度が異常に高かったことと関連している可能性があると後に指摘され、現在では「紅茶補正が入った有名な結果」として半ば伝説化している。
ソーンはまた、記録係に「被験者の靴音を必ず二度数える」よう命じたが、その理由は本人の手紙によれば「人は自分の足音を数えられたとき、他者の感情により開かれる」ためであったという。もっとも、この説明は同僚の扱いを受けた。
帝都応用心理研究所の黄金期[編集]
後半からにかけて、はアンパシー実験を職場研修や交通安全教育に転用し、最盛期には年5,000件を超える簡易測定を実施したとされる。特にの大手商社で行われた「会議室の沈黙時間と部長への同情度」の調査は、社内報にまで掲載された。
この時期に導入された「感情誤認票」は、被験者が提示された人物を「疲労」「満足」「怒り」「空腹」「天気待ち」の五択で評価するもので、最後の「天気待ち」は高瀬が冗談半分で入れた項目がそのまま残ったものである。ところが都市部の被験者ほど「天気待ち」を選ぶ傾向が強く、研究所はこれを「都市的抑制と予期不安の混合反応」と解釈した。
一方で、同研究所では被験者の感情を測るために鳩を使った試験も行われたという報告があり、こちらは施設管理上の理由で短期間で中止された。鳩が共感を示したのか、単に餌を要求していたのかは定かでない。
方法[編集]
アンパシー実験の基本手順は、被験者に対し、表情・音声・短い対話・環境音などを組み合わせた刺激群を提示し、直感的な感情分類を行わせることである。重要なのは正答率ではなく、誤答の質と、その誤答からどの程度の親密感が生じるかである。
典型的な実験では、まず被験者に「この人物は怒っているか、ただ風を待っているだけか」を選ばせ、その後に同じ人物の別角度映像を見せる。ここで誤認が修正されると共感が上がる場合が多く、逆に誤認が固定化されると被験者は対象を「人間味のある機械」と感じる傾向があるとされた。
計測には、顔面筋電図、机上の水滴数、室内湿度の変化など、かなり雑多な指標が用いられた。特に水滴数は信頼性が低いが、当時の研究者は「涙と結露の区別は、都市生活ではしばしば曖昧である」として、あえて除外しなかったと記録されている。
社会的影響[編集]
アンパシー実験は、以降、対人援助職の研修、現場の疲労評価、接客業のクレーム対応訓練に応用された。特に内の病院で導入された「逆誤認面談」は、患者が医療者の無表情を「安心のしるし」と読み替えることで、説明への納得度が上昇したと報告されている[5]。
また、企業研修への応用では、部下が上司の「怒り」を正確に読むのではなく、わざと「眠気」や「空腹」と誤認することで衝突を避ける技法が広まった。このため一部の労務評論家からは「感情をごまかす教育にすぎない」と批判されたが、逆に現場では「人は正しく分かり合うより、少しずれていたほうが長持ちする」と評価する声もあった。
一方で、にが行った調査では、アンパシー研修を受けた職員ほど会議での沈黙が増えたことが示され、これが「共感の省エネ化」と呼ばれて議論を呼んだ。ただし、この調査は昼休み直後の会議ばかりを対象にしていたため、解釈には慎重さが必要である。
批判と論争[編集]
アンパシー実験への批判は、大きく三つに分けられる。第一に、誤認を前提とするため再現性が低いという批判である。第二に、被験者の無意識的な同情心を装置や手順のせいにしすぎているという批判である。第三に、実験者自身が「自分の説明が分かりにくいこと」を理論化してしまっているという批判である。
とりわけ有名なのはの年次大会で起きた論争で、発表者が「共感は正確性ではなく、誤差の方向に宿る」と述べたのに対し、座長が「それはただの説明不足ではないか」と応酬した事件である。このやり取りは後に『誤差のある倫理』として抄録集に収録されたが、内容の半分が懇親会での発言だったため、学術的価値には異論がある。
また、には一部の教育機関でアンパシー実験の簡易版が導入され、子どもに「泣いている顔」を「疲れた顔」と答えさせる教材が問題視された。保護者からは「感情教育ではなく感情迷子の訓練だ」と抗議があり、結局、教材名だけが『視線と表情のゆらぎ』に変更された。
代表的な装置・技法[編集]
逆位相表情鏡[編集]
高瀬が最初に用いた装置で、被験者の顔をわずかに遅延した映像として返す鏡状装置である。実際には映像遅延よりも、筐体のわずかな振動が表情判断を揺らしたと考えられているが、装置名の印象が強いため象徴的存在となった。
感情誤認票[編集]
表情刺激に対する第一印象を記録する紙票で、5項目から始まり、後に17項目まで増補された。1980年代の版には「天気待ち」「終電あきらめ」「湯気を見ている」など、分類学的に微妙な選択肢が含まれていた。
沈黙再生法[編集]
対象の発話ではなく、発話と発話のあいだの沈黙を再生し、被験者の感情推定を測る技法である。ソーン派の研究室では、無音部分だけを編集した9分32秒のテープが最重要資料とされていた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬 恒一郎『誤認の倫理と都市共感』帝都心理学出版, 1961年.
- ^ Margaret L. Thorne, “On the Anpathic Delay,” Journal of Experimental Civics, Vol. 12, No. 3, 1964, pp. 201-228.
- ^ ソーン, マーガレット『沈黙再生法の理論』ロンドン行動研究会, 1966年.
- ^ 帝都応用心理研究所編『感情誤認票 1959年度版』研究所内部資料, 1959年.
- ^ 佐伯 俊也「共感の逆説的誘発について」『認知と都市』第4巻第2号, 1972年, pp. 44-67.
- ^ H. J. Milford, “Tea, Timing, and Empathy Distortion,” Quarterly Review of Social Instruments, Vol. 8, No. 1, 1968, pp. 15-39.
- ^ 村瀬 久美子『職場におけるアンパシー訓練の実際』中央労働教育協会, 1984年.
- ^ 石川 亮「天気待ち反応の統計的再検討」『行動測定学雑誌』第19巻第4号, 1995年, pp. 88-104.
- ^ P. E. Northam, “On the Problem of Brown-Bag Calmness,” British Journal of Applied Feeling, Vol. 21, No. 2, 1979, pp. 77-95.
- ^ 黒田 美沙『感情の省エネ化と会議文化』丸の内社会研究叢書, 2002年.
外部リンク
- 帝都応用心理研究所アーカイブ
- ロンドン行動研究会デジタル資料室
- 感情誤認票ミュージアム
- 文京区近代研究史資料館
- 共感技法年表プロジェクト