祭囃子騒動
| 名称 | 祭囃子騒動 |
|---|---|
| 正式名称 | 昭和62年郡上盆踊り付帯音響装置連続損壊事件 |
| 日付 | 1987年8月14日 |
| 時間 | 22時10分ごろ - 翌2時40分ごろ |
| 場所 | 岐阜県郡上市八幡町旧市街一帯 |
| 緯度経度 | 35.7482°N 136.9645°E |
| 概要 | 祭礼用の山車音響装置が連続して破損し、盆踊りの進行が約3時間中断した事件 |
| 標的 | 祭囃子用スピーカー、太鼓架台、仮設配線 |
| 手段 | 鋼線による固定解除、松脂混入の砂、花火用筒の転用 |
| 犯人 | 単独犯とみられたが、最終的には不明 |
| 容疑 | 器物損壊罪、威力業務妨害罪 |
| 動機 | 囃子の拍子を「二拍ずらす」旧式流派への抗議とされる |
| 死亡/損害 | 死傷者なし、推定被害額約640万円 |
祭囃子騒動(まつりばやしそうどう)は、(62年)にので発生したである[1]。警察庁による正式名称は「昭和62年郡上盆踊り付帯音響装置連続損壊事件」とされ、通称では「祭囃子騒動」と呼ばれる[1]。
概要[編集]
祭囃子騒動は、の最終週に合わせて設置された仮設音響設備が、短時間のうちに相次いで損壊した事件である。被害は主に拡声用スピーカー、譜面台、太鼓の胴巻き、電源分岐箱に集中し、直接の人的被害はなかったが、踊り手の導線が乱れ、観光課によると約2,300人分の来場整理がやり直しになったとされる[2]。
事件は当初、地元のいたずらとして処理されかけたが、現場から回収された松脂、藍色の糸くず、そしてなぜか拍子木に結びつけられていた小型の鈴が注目され、後に「祭礼音響への意図的な干渉」として広域事件に格上げされた。なお、一部の記録では、犯人は囃子の「音の過密化」を嫌っていたとされるが、供述書が存在しないため、この点は今なお要出典扱いである[3]。
背景[編集]
この事件の背景には、戦後に各地で整備されたの近代化がある。とりわけ北部では、50年代に入ると祭礼の進行を無線連絡と仮設アンプで管理する方式が普及し、古来の打楽器中心の奏法と、観光客向けに増幅された音圧の間に摩擦が生じていた。
郡上八幡では、1980年代半ばから「囃子保存会」と「青年部実行委員会」が同じ櫓の裏で別々に会合する奇妙な分断が続いていたとされる。保存会側は拍子の揺らぎを重視したが、実行委員会側はの交通規制時刻に合わせて一分単位で進行を組む傾向が強く、この差が累積した結果、1987年には「音が整いすぎて祭が祭でなくなる」という不満が一部で噴出していた。
また、事件前年のには、旧市街の二つの町内で太鼓の皮張替えをめぐる費用負担の争いがあり、これにより「囃子は誰のものか」という地域内の感情が高まったとされる。後年、文化人類学者のは、これを「無形文化財の会計処理が生んだ最初期の都市型騒擾」と呼んだ。
経緯[編集]
発生当夜[編集]
事件が発生したのは(62年)の22時10分ごろである。八幡町の旧市街ではの流しが進行中で、南町筋の仮設ステージに設置された拡声装置が、突然、低音だけを残して高音域を失った。その直後、観客の一部が見た「黒い巾着を提げた中年男性」が山車の陰へ消えたと通報したが、目撃証言は三者三様で一致しなかった。
22時37分ごろには、北町の太鼓架台が固定鋼線ごと倒れ、太鼓が路面に転がった。ここで初めてに通報が入り、警察は最初、機材老朽化による事故とみていた。しかし22時55分ごろ、祭礼本部の配電盤内から松脂混入の砂が見つかり、単なる故障ではないことが判明した。砂には微量の柿渋が含まれており、祭礼用に使われる結束材ではないことから、計画性が疑われた[4]。
遺留品[編集]
現場からは、割れた拍子木の片方、焦げた花火用筒、古い楽譜の切れ端、藍染めの手袋片が回収された。特に注目されたのは、譜面の端に記された「二拍ずらせ」という鉛筆書きであり、これが犯行の思想を示すものか、単に舞台袖の控えメモかで長らく議論された。
また、遺留品の中には、の金物店で販売されていた型番と一致する小型ボルトが含まれていたが、これは後に町内会の修繕班が別件で購入していたことが判明している。ただし、警察がこのボルトを決定的証拠として扱った時期があり、事件資料の初期版には「犯人の工具痕」と大きく印字されていた。のちに訂正されたが、地元紙の夕刊見出しには最後まで残った。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
は翌朝から捜査本部を内に設置し、延べ47人態勢で聞き込みを行った。聞き取り対象は山車保存会、屋台修繕班、観光協会、露店組合、さらには深夜に営業していた氷菓店まで広がり、最終的に216件の証言が集められたという。
捜査初期は、祭礼準備の際にしばしば発生する接触事故として片づけられそうになったが、の鑑識担当が「被害箇所がすべて拍の頭に集中している」と指摘し、計画的な妨害の可能性が浮上した。なお、これは当時としては珍しく音響波形の解析が行われた事例とされ、破壊音に0.8秒周期の空白があることが報告された[5]。
供述と行方[編集]
捜査線上には、祭囃子保存の急進派、近隣の楽器業者、そして「静かな盆踊り」を標榜する匿名の市民団体が挙がった。とくにから来ていた仮設電工の一人が、事件前日に「拍子は増えると腐る」と発言したとして一時的に容疑者視されたが、アリバイが成立したため、すぐに対象から外された。
一方で、町内の古老の一人が「犯人は太鼓を嫌ったのではなく、太鼓の裏拍を守ろうとしたのだ」と供述したことから、捜査は思想犯的側面へも向かった。しかし、これに合致する被疑者は見つからず、時効成立直前のまで断続的な追跡が続けられた。最終的に、書類上は「被疑者不詳のまま不起訴相当」と処理され、未解決事件として扱われている。
被害者[編集]
直接の被害者は観客ではなく、祭礼運営に参加していた音響係、太鼓係、踊り連の先導役であった。とくにの女性踊り手12名が、停電により櫓の周囲で30分以上待機を余儀なくされ、足袋の裏に泥が入り込んだことが心理的被害として記録されている。
また、物的被害の中心であった仮設スピーカー4台のうち2台は、地元の青年部が前週に改造したもので、メーカー保証の対象外だった。このため保険査定が難航し、が補填のために即席の「囃子復旧募金」を立ち上げ、三日で182万4千円を集めた。なお、被害額の算定には、踊りの中断により売れ残ったラムネ312本分が含まれるかが争点になった。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
本件は起訴には至らなかったが、仮に起訴された場合の想定記録として、地方紙が詳細な法廷再現記事を掲載している。そこでは、検察側が器物損壊、威力業務妨害、軽犯罪法違反を主張し、弁護側は「囃子の保存思想による抗議表現」であると争ったとされる。
初公判では、被告人席に誰もいないにもかかわらず、証拠写真だけが積み上げられ、裁判長が「本件は静寂を求めた余り、静寂そのものが被告になっている」と述べたという逸話が残る。もっとも、この発言は速記録に見当たらず、後年の新聞連載が作った可能性が高い。
第一審[編集]
第一審相当の審理では、破損した太鼓架台の金属疲労をめぐって鑑定人が呼ばれ、5時間半にわたり説明が行われた。鑑定では、架台の接合部に通常とは逆向きの締め跡があり、誰かが意図的に緩めた可能性が示されたが、犯人特定には至らなかった。
また、の法廷には、傍聴席として配置された町内会役員21名が詰めかけ、途中で誰が本来の祭礼責任者であるかをめぐって小競り合いが起きた。最終的に裁判所は、損壊行為の事実関係自体は認めつつ、犯人の特定ができないとして「立件保留」の扱いを示した。
最終弁論[編集]
最終弁論では、検察側が「犯行は祭の秩序に対する挑戦であり、地域共同体の信用を毀損した」と主張したのに対し、弁護側は「囃子は本来、ずれを許容する音楽である」と反論した。ここで引用された『ずれの美学』という文献は、後に実在しない雑誌名だったことが判明している。
結局、裁判上の結論は出なかったが、事件資料の末尾には、当時の担当書記官が書いたとされる「祭は止められても、余韻は止められない」という一文が残され、半ば格言として流布した。
影響[編集]
事件後、郡上地域では祭礼用音響設備の設置基準が見直され、スピーカー固定用の鋼線に二重封印が導入された。また、囃子の進行表には「不測の静寂3分」を織り込む欄が設けられ、以後の祭りでは毎年、予備の拍子木が2組以上準備されるようになった。
社会的には、本件を契機にの祭礼研究が盛んになり、やの地域文化論ゼミで「囃子と治安」の講義が開講された。1989年にはが設立され、機関誌『祭礼音響研究』第1号の巻頭言では、本事件を「音の公共性が可視化された最初の近代事件」と評している。
また、観光面では「騒動の夜に実際に鳴らなかった太鼓」を見学する小ツアーが生まれ、平成初期には年間約8,400人が参加したとされる。もっとも、この数字は町おこし予算の申請書にだけ現れるため、実数はかなり少ないとみる向きもある。
評価[編集]
本事件は、単なるいたずらとしてではなく、地域共同体の内部で生じた音と秩序の衝突として評価されている。特に文化史研究では、祭礼の近代化が進むほど、伝統の担い手が「誰のリズムで踊るか」をめぐって対立することの象徴例とされる。
一方で、事件の中心がいまだ未解決であることから、地元では「犯人は結局、祭そのものだったのではないか」と半ば諦観を込めて語られることがある。この解釈は研究者にはあまり好まれないが、町内の語り部たちの間では根強い。
関連事件・類似事件[編集]
類似の事例としては、の「松明返し混乱」、の「遠州太鼓空転事件」、の「屋台連絡線断線騒ぎ」などが挙げられる。いずれも祭礼設備への軽微な破壊から地域紛争へ発展したとされるが、祭囃子騒動ほど「音そのもの」が争点化した例は少ない。
また、後半に発生したの「笛袋連続失踪事件」は、本件の前史としてしばしば言及される。これは笛袋だけが消えるという奇妙な事件で、犯人は見つからなかったが、のちに郡上の事件資料と同じ筆跡のメモが発見されたという。しかし、両事件を結ぶ確証はなく、研究者の間では半ば伝承として扱われている。
関連作品[編集]
本事件は書籍、映画、テレビ番組の題材として繰り返し取り上げられている。代表的なものとして、『祭囃子騒動と地域秩序』、、1994年は、事件の記録と聞き書きを精密に編んだ労作とされる。
映画では監督『鳴らぬ夜』(1998年)が知られ、実際の郡上ロケでスピーカー役に本物の祭礼機材が使われたため、撮影初日に一台だけ再び故障したという逸話がある。テレビ番組では「消えた拍子木」(2006年)が放送され、再現ドラマの太鼓がやけに正確すぎるとして話題になった。
そのほか、地元深夜枠のミニ番組『郡上音聞帖』では、事件の残響を毎年8月14日に特集しており、視聴率は0.9%前後で推移したが、郡上市内では異例の高値だったとされる。
脚注[編集]
[1] 郡上地方史編纂室『昭和末期祭礼騒擾記録』郡上文化叢書, 1991年, pp. 42-58.
[2] 斎藤美津子「祭礼音響と仮設設備の脆弱性」『中部民俗学研究』Vol. 12, No. 3, 1990年, pp. 113-127.
[3] 山辺康弘『囃子の政治学』東海大学出版会, 1996年, pp. 201-209.
[4] 岩井玲子「松脂混入砂の分析に関する一考察」『鑑識科学ジャーナル』第8巻第2号, 1988年, pp. 77-81.
[5] Department of Acoustic Public Safety, “Anomalous Beat Interruption in Rural Festival Systems,” Vol. 4, Issue 1, 1989, pp. 9-22.
[6] 近藤初枝『無形文化財の会計処理』名古屋民俗書房, 1993年, pp. 64-69.
[7] 田中栄一「郡上八幡における祭礼共同体の分裂と統合」『社会音響史紀要』第5号, 1992年, pp. 5-19.
[8] Margaret A. Thornton, “When the Drum Stopped: Public Order and Festival Sound,” Journal of East Asian Community Studies, Vol. 11, No. 2, 1997, pp. 155-173.
[9] 杉山順子『静寂の民俗誌』北辰社, 2001年, pp. 88-91.
[10] 佐伯京介『祭囃子騒動と地域秩序』東海文庫, 1994年, pp. 1-14.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 郡上地方史編纂室『昭和末期祭礼騒擾記録』郡上文化叢書, 1991年, pp. 42-58.
- ^ 斎藤美津子「祭礼音響と仮設設備の脆弱性」『中部民俗学研究』Vol. 12, No. 3, 1990年, pp. 113-127.
- ^ 山辺康弘『囃子の政治学』東海大学出版会, 1996年, pp. 201-209.
- ^ 岩井玲子「松脂混入砂の分析に関する一考察」『鑑識科学ジャーナル』第8巻第2号, 1988年, pp. 77-81.
- ^ Department of Acoustic Public Safety, “Anomalous Beat Interruption in Rural Festival Systems,” Vol. 4, Issue 1, 1989, pp. 9-22.
- ^ 近藤初枝『無形文化財の会計処理』名古屋民俗書房, 1993年, pp. 64-69.
- ^ 田中栄一「郡上八幡における祭礼共同体の分裂と統合」『社会音響史紀要』第5号, 1992年, pp. 5-19.
- ^ Margaret A. Thornton, “When the Drum Stopped: Public Order and Festival Sound,” Journal of East Asian Community Studies, Vol. 11, No. 2, 1997, pp. 155-173.
- ^ 杉山順子『静寂の民俗誌』北辰社, 2001年, pp. 88-91.
- ^ 佐伯京介『祭囃子騒動と地域秩序』東海文庫, 1994年, pp. 1-14.
外部リンク
- 郡上祭礼資料アーカイブ
- 中部民俗音響研究センター
- 日本祭礼事件年表
- 岐阜郷土安全史研究会
- 仮設音響設備史データベース