私は誰だったか
| 領域 | 自己語り・言語哲学・記憶文化 |
|---|---|
| 成立時期 | 1930年代後半に用例がまとまったとされる |
| 中心的主題 | 名・性・体験の再構成 |
| 主要な担い手 | 失名した一人称当事者(自称「私」) |
| 代表的な形式 | 独白、注釈付き自問自答、回想メモ |
| 影響を受けた分野 | 心理臨床のナラティブ手法 |
「私は誰だったか」(わたしはだれだったか)は、私の記憶の空白を手がかりとして、自己同一性を問い直すための主観的語彙体系である。特に都市部の言語実践研究や、失名後の回想文学において広く参照されるとされる[1]。
概要[編集]
「私は誰だったか」は、私が私の名を失ってから始まる自己照会の“合言葉”として機能する語である。言語哲学的には、名詞の欠落が文の意味を壊すのではなく、むしろ私の内側に「未完の語」を発生させるものとして扱われるとされる[2]。
本語は、私が自分を指す代名詞の安定性に依存せず、代名詞が滑っていく感覚(たとえば「私」が壁のように反射する感覚)を中心に置く点が特徴である。起源は、に設けられた匿名の自助会「夜間同一性研究会」にまで遡るという説がある[3]。ただし同会の議事録はほぼ残っておらず、後年の整理メモにより復元されたと推定されている。
なお、作中で扱われる「私」は性別や姓名を持たないが、それが不在による沈黙としてではなく、言葉の発生装置として描かれることが多い。特に「思い出そうとするほど、思い出した私が増殖する」という記述が、後の回想文学の型を形づくったと指摘されている[4]。
用語と構文[編集]
「私は誰だったか」は、通常の文法構造を保ちながらも、意味論の重心を“過去の私”へ移す構文である。具体的には、現在の私ではなく「だった(過去の残響)」を主役にして、私の輪郭を曖昧にすることで、読者側に復元の負荷を課すとされる[5]。
この語には、反復による自己収束を狙う内部手続きがあると報告されている。すなわち、(1)私の名を空欄にする、(2)私の年齢を3回だけ更新する、(3)更新した年齢の“桁”を数える、(4)桁数と同じ回数だけ「私は誰だったか」を書き直す、という手順である。夜間同一性研究会の回想者は「私はこの手順で、空欄が沈黙ではなく呼吸になるのを見た」と記しているという[6]。
また、語彙の側にも特徴がある。私が用いる名詞は、人物名ではなく身体の痕跡(たとえば“右手の癖”“左の靴ひもの結び目”)に置き換えられることが多い。これにより「誰」が人物属性から切り離され、体験の連鎖として浮上する。奇妙なことに、この置換は臨床心理の記録法にも影響し、の医療記録実務者が「痕跡は同一性の翻訳になる」と講演したと伝えられている[7]。
ただし、構文の運用は一様ではなく、編集者によって“私の声”の温度が変わる。早期の草稿は断定が強い一方、後期の草案では「〜だとされる」「〜かもしれない」が増え、同じ質問が別の問いへ変質していくと分析されている[8]。
歴史[編集]
夜間同一性研究会と「失名の誓約」[編集]
「私は誰だったか」のまとまった用例は、1938年頃にで活動した夜間同一性研究会によって普及したとされる。この会では“失名の誓約”と呼ばれる規約があり、参加者は自分の姓名を言わず、私だけで名乗ることが義務づけられたという[9]。
誓約の裏付けとして、会の世話役であったと推定される官僚系の研究員(仮名)が、記憶の棚卸しを「名の棚は3段、痕跡の棚は17段」という比喩で説明したと記録されている。ここで“3段”は社会的同一性、“17段”は身体的同一性を表すとされた[10]。
さらに、会の閉会前に行われたとされる儀式がある。参加者は最後に、机上の砂時計を「上がってから5秒以内」にひっくり返し、その直後に必ず「私は誰だったか」を一行だけ書くことを求められたとされる[11]。砂時計の5秒は恣意的に見えるが、当時の校正者が「数字は嘘をつかない」と強く主張した結果だとする説がある。ただし、砂時計の型番は残っておらず、の文具店で購入されたという伝聞があるだけである[12]。
臨床ナラティブへの流入と、増殖する私[編集]
1950年代に入ると、「私は誰だったか」の語法は心理臨床の“語りの聴取”へ流入したとされる。特にの私設研究所「対話記憶センター」で、面接の冒頭にこの語を置く実験が行われたと報告されている[13]。
同センターの報告書は、面接開始から60分のうちに「私が誰か」を問う文が平均で7.4回生成され、そのうち2.1回が“過去の私の誤作動”を示した、と具体的な数値で記している[14]。もっとも、数値の算出方法は「記録者の手帳の余白面積から逆算した」という注記があり、統計学的には異様であったと同僚が指摘したとされる[15]。
一方、文学側では「私が増殖する」こと自体が作品の推進力として扱われた。作家の連作「欠名の呼吸」(1966年)では、主人公が同じ日に3つの“だった私”を回想し、それぞれが別の言い回しを持つように書かれたとされる[16]。このような多層回想が、読者の同一性理解を遅延させ、自己を一回限りの答えとしてではなく、更新可能な推論として扱わせる契機になったと分析されている。
ただし、後年の編集評論家は、この流入が“臨床の安全”を犠牲にしたと批判したともされる。面接者が質問を繰り返しすぎると、当事者の言葉が空白へ吸い込まれ、沈黙が“答え”として固定化される場合がある、という反省が記録されたという[17]。
社会的影響[編集]
「私は誰だったか」は、単なる問いではなく、公共の会話における“記憶の扱い方”を変えた語として理解されている。とりわけ、匿名掲示の黎明期において、自己紹介が名前から始まらない形式を正当化する文脈を与えたとされる[18]。
たとえば、1970年代にの労働相談窓口で運用された申請様式では、身元の記入欄が減らされ、「私は誰だったか」を補助欄に転記する欄が設けられたと伝えられている。ただし当該様式の原本はの倉庫で火災に遭い、現在は複写が断片的に存在するだけである[19]。そのため、様式の正式名称や運用期間には複数の説がある。
さらに、教育現場でも応用が試みられた。文部系の研究会では「作文の冒頭を“私は誰だったか”で始めると、主語の誤作動が減る」との報告があり、作文指導の手順書に短い引用が掲載されたという[20]。ただしこの報告は教育実践の体裁を整えるため、統計の分母が曖昧にされたという噂があり、後に「読者の印象を数えるな」という反論が出たとされる[21]。
結果として、社会は“名”を安定の根拠としなくなり、痕跡と物語を手掛かりに自己を語る傾向が強まったとされる。一方で、語りの形式が過度に広がると、当事者が「私」を他者の期待に合わせて作り替える危険も指摘された[22]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、語が“誰かになる権利”を引き剥がす可能性にある。すなわち、「私は誰だったか」が問いとして強すぎると、当事者は“過去の私の正解探し”に追い込まれ、現在の私が後景化するという指摘である。臨床家は、面接にこの語を導入することを「言語による追放」と呼んだとされる[23]。
また、語の運用には“形式主義”の問題もあった。前述の手順(年齢の更新や桁数カウント)は、参加者の一部にとって儀式化し、自己の自由を奪った可能性があると報告されている[24]。一方で、形式がないと空白が広がりすぎるという反対意見もあり、論争は終結しなかった。
さらに、最も笑われた論点として、誤作動の統計が“砂時計の5秒”と結び付けられたことが挙げられる。ある批評家は「5秒×砂=同一性は量として測れる」という看板を立てたと報じられ、翌年に看板は撤去されたが、その掲出写真がの特別閲覧室に残っているとされる[25]。写真は未確認であるが、閲覧者の回想が複数存在し、議論のネタとして独り歩きしたという。
このように、「私は誰だったか」は、自己を語るための便利な問いである一方、問いが自己を支配する危険もあるとされる。最終的には、語の扱いは当事者の文脈に依存する、という折衷案が採られるようになったとまとめられている[26]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「失名の誓約に関する草稿メモ(港区夜間同一性研究会の写し)」『同一性研究年報』第3巻第2号, 1940年, pp.17-31.
- ^ 中原詩織「欠名の呼吸と過去の私の多層回想」『回想文学評論』Vol.12 No.4, 1967年, pp.201-233.
- ^ 田丸文也「言語による追放—面接導入語法の危険性」『臨床言語学雑誌』第8巻第1号, 1979年, pp.55-78.
- ^ Margaret A. Thornton「The Missing Proper Name and Narrative Selfhood」『Journal of Applied Identity Studies』Vol.5 No.3, 1983年, pp.44-63.
- ^ 山本隆司「作文における主語の誤作動と導入句の効果」『教育方法研究』第19巻第6号, 1971年, pp.12-29.
- ^ Eiko Tanabe「Counting Digits in Self-Address Rituals」『International Review of Narrative Practices』Vol.2 No.1, 1991年, pp.9-27.
- ^ 森川静江「痕跡と同一性の翻訳—申請様式の設計思想」『行政言語研究』第6巻第2号, 1980年, pp.88-105.
- ^ 佐伯眞琴「砂時計儀式の時間感覚と回想の立ち上がり」『心理記憶紀要』第22巻第5号, 1962年, pp.301-318.
- ^ 夜間同一性研究会編『匿名と自己照会の技法(複製版)』港区図書刊行会, 1956年.
- ^ Kobayashi, R. and S. Okada「A Note on Who-Was-I Questions in Urban Support Settings」『Urban Consultation Proceedings』第1巻第1号, 2004年, pp.1-19.(タイトルに原題表記の揺れがある)
外部リンク
- 同一性研究アーカイブ
- 夜間同一性研究会デジタル写本室
- 対話記憶センター資料庫
- 回想文学評論オンライン書庫
- 行政言語研究フォーラム