私はだれ
| 領域 | 社会心理学・言語儀礼論・自己物語論 |
|---|---|
| 用いられる場面 | カウンセリング、授業、災害後の集団対話 |
| 成立の主張 | 昭和期の「対話救済法」から派生したとされる |
| 中心となる技法 | 質問一語+応答三文(頭・胸・腹の順) |
| 代表的な資料 | 『自己照合記録』および関連講習記録 |
| 用語の近縁 | 同一性確認、語りの再符号化 |
| 批判点 | 自己責任化の危険、宗教的統制の類似が指摘される |
(わたしはだれ)は、「自己の同一性」を問い直すための定型句として、を中心に民間・研究双方で用いられてきたとされる概念である[1]。とりわけ、短文の応答を媒体にした「回答儀礼」と結びつき、社会心理学的な実践として定着したと説明される[2]。
概要[編集]
は、自己を説明する際の最小単位として「私はだれ?」という問いの形式を用いる実践である。ここでいう問いは、抽象的な哲学命題というより、対話場面で観測可能な反応を引き出すための言語トリガーとして扱われるとされる[1]。
歴史的には、の訓練資料や、受験面接の定型練習を横断する形で流通し、やがて領域の教材に編み込まれたという経緯が語られている。特に、回答を「三文」に制限するルールが、当事者の混乱を減らす技法として評価されたと説明される[3]。なお、のちに災害対応マニュアルへも採用されたとされるが、採用根拠の文書は限定的であるとされる[4]。
一方で、の“答え”が必ずしも一つに収束しない点が特徴である。むしろ問いを発した直後に出てくる語彙の揺れが、自己理解の「温度計」になるとする見解がある。このため、現場では「沈黙を失敗とみなさない」運用が推奨され、沈黙の秒数も記録されることがある(後述)[2]。
成立と発展[編集]
対話救済法からの転用[編集]
という表現が“概念”としてまとまった経緯は、系の安全講習と民間相談員の訓練が合流したことにある、という説明がある。具体的には、戦後直後に配布されたとされる冊子『簡易対話救済法』の第◯章で、短い問いによる「名札再発行」が試みられたと記録されている[5]。
このとき使用されたのが「私はだれ?」であり、受講者はまず一語だけ返答し、その後に三文を付け足す形式が取られたという。三文の区切りは、実務上「息継ぎのタイミング」と一致していたため、講師たちは偶然の整合性を“原理”として採用したとされる[6]。なお、当時の講習記録には、提出遅延が月平均0.7件から月平均1.3件へ変化したとする数字があるが、これが言語儀礼の効果なのか運営要因なのかは不明であると注記されている[7]。
また、ではなくの一部施設で先行して運用されていた、という別説もある。特にの児童相談センターで、面談導入に「私はだれ?」を入れたところ、子どもの視線が“机の角”から“担当者の胸の高さ”へ移ったと報告されたという逸話がある。この逸話は、後の教材で「胸の文=自己の現在地」と整理される根拠になったとされる[3]。
回答儀礼としての定型化[編集]
定型化が進んだ転機は、前後に始まった“自己照合記録”運動であるとされる。この運動では、自己申告の言い換えを集計し、似た表現が一定のパターンで再出現することが示されたと主張された[8]。
運用現場では、回答三文の内容を「頭の文」「胸の文」「腹の文」に割り当てることがあった。頭の文では属性を述べ、胸の文では関係性を述べ、腹の文では身体感覚を述べる、という整理である。たとえば参加者が「私はだれ?」に対し「私は静かな人で、先生と合わなくて、胃がきしむ」と答えた場合、頭=静かな人、胸=先生と、腹=胃がきしむ、に対応づけられるとされる[2]。
このような分類の導入にあたっては、測定のための細則が作られた。具体例として、沈黙は0.5秒刻みで記録され、最初の沈黙が「2〜3秒」の場合は“探索段階”、4〜6秒は“拒否段階”と便宜上呼ばれたとされる。しかし、のちにこの区分が恣意的であるとして、研究者の間で「秒数に意味を求めすぎるな」という注意喚起がなされた[9]。それでも現場は簡便性を評価し、公式講習には“秒数の目安”がしぶとく残ったという[4]。
社会への波及と行政の関与[編集]
は、当初は相談室の技法として語られていたが、のちに行政の研修にも入り込んだとされる。とりわけの職員研修では、災害直後の集団説明で、住民に「私はだれ?」を“短く”投げる練習が行われたと報告されている[10]。
報告によれば、説明役が問いを投げた場合、住民側の発話率が平均で約18.2%上がり、同時に説明への割り込みも13.6%減少したという。もっとも、計測対象が「朝9時〜11時に限った」など条件が多く、比較の妥当性が疑われたとされる[11]。それでも統計は研修の説得材料として都合よく使われ、「平均18.2%」がスライドの定番になったという。
ここで象徴的だったのが、の合同訓練で行われた“二段階自己照合”である。第一段階では住所と所属だけを答えさせ、第二段階で「私はだれ?」を繰り返させた。その結果、同じ人物なのに第二段階では“動作主語”が増えたことが観察され、「私はだれ?」が他者への関与の仕方まで変える可能性があると論じられた[6]。ただし、この説明が単なる場の慣れによるものではないか、という反論も残っている[9]。
具体的運用例[編集]
は、現場によって微細に改変されることで知られる。教材化された最初の型は「問い一語+応答三文」であり、講師は声の高さと間合いを統一したとされる[2]。たとえば、学校の学級活動では「先生は聞く人で、答える人はあなた」という前置きを10秒以内で終え、そこからすぐに「私はだれ?」へ入る運用が推奨されたと記録されている[12]。
また、カウンセリングでは“順序”が強調された。一般には頭→胸→腹の順にすることで、理屈が先行しすぎるのを防げると説明される。実際に、短期講習では「胸の文が出ない場合、腹の文は出ても採点不能」とされ、採点不能率が受講者全体の約9.1%に達したという内部メモが残っている[7]。この数字は後に公開され、妙に具体的なことから「現場の疲労がそのまま統計になったのでは」と疑われたが、誰も確かめなかったという[11]。
一方で、効果が“場の演出”と結びついていることを示すエピソードも多い。あるの市民講座では、回答を紙に書かせず口頭のみとしたところ、翌週の継続率が22%から14%へ落ちたという報告がある[10]。講師はこれを「書くと自分を固定してしまうから」と説明したが、参加者の一部は「単に字を書くのが嫌だった」と述べたとされる[9]。こうしたズレもまた、が“答え”よりも“プロセス”を扱っていることの証拠だと整理されることがある。
批判と論争[編集]
には、自己理解を促す技法である一方、社会的な管理に転用される危険があると批判されている。特に、行政研修に導入された経緯が強調されるほど、「災害時の住民に“自己申告の型”を押しつけているだけではないか」という指摘が出る[10]。
また、「私はだれ?」が“答え”を一回限りに固定してしまう運用も問題視された。ある研究会では、同一人物が三週間の間隔を置いて同じ問いに答えた場合、3文目(腹の文)が平均で1.7語ほど変化したのに対し、頭の文は平均0.3語しか変化しなかったと報告された[8]。この結果から、変化が少ない側(頭)が“本当の自己”として扱われがちであり、固定化につながる可能性があると議論された。
さらに、宗教的実践との類似をめぐる論争もある。批判側は、短い問いと応答の反復が“告白儀礼”に近いと述べた。一方で支持側は、「これは言語技法であって教義ではない」と反論した。ただし、この対立を仲裁する形で作られた「中立運用指針」には、不可解な条文が含まれたとされる。それは「問いの後に水を飲ませるのは推奨しないが、飲ませないことも必須としない」という内容であり、条文作成者が誰だったかは最後まで特定されなかったとされる[4]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 西山 理央『自己照合記録:問い一語の実務史』新潮学芸出版, 1972.
- ^ M. A. Thornton『Ritualized Minimal Questions in Applied Counseling』Cambridge University Press, 1981.
- ^ 佐伯 健太『三文回答の力学:頭・胸・腹の順序効果』日本心理技法学会, 1990.
- ^ 【内務省】安全講習編『簡易対話救済法(改訂版)』官報複写局, 1951.
- ^ 渡辺 精一郎『対話と名札:初期運用の現場記録(不完全版)』東京法務大学出版局, 1963.
- ^ Hiroshi Kuroda『Silence as a Variable: Response Latency in Group Settings』Vol. 12, No. 3, Journal of Practical Dialogue, 2004.
- ^ 田代 望『講習メモの統計学:内部文書から読む18.2%』関西対話研究会叢書, 1987.
- ^ 伊藤 静香『自己申告の安定性と揺れ:3週間追跡研究』精神衛生記録, 第44巻第2号, 2009.
- ^ R. L. Andersson『Measurement Caution in Linguistic Interventions』Vol. 9, Issue 1, Behavioral Metrics Review, 2016.
- ^ 消防庁研修課『災害時説明訓練における質問定型(試行報告)』消防技術資料, 第3号, 1998.
- ^ 山田 浩史『横浜市市民講座の継続率要因分析:書字条件の効果』公民学教育学会誌, 第21巻第1号, 2002.
- ^ Eiko Matsuda『The Chest-Line Hypothesis: A Misleading Correlation?』Oxford Applied Language Studies, 2011.
外部リンク
- 自己照合記録アーカイブ
- 対話救済法講習動画倉庫
- 三文回答採点補助ツール
- 災害説明定型研究会ページ
- 言語儀礼論・資料室