窮舌紗希
| 分野 | 音声学・口腔科学・訓練記譜 |
|---|---|
| 別名 | 舌写記(ぜっしゃき) |
| 提唱期 | 大正末期〜昭和初期 |
| 中心地域 | とを結ぶ研究網 |
| 関連技術 | 粘膜圧痕図式(ねんまくあっこんずしき) |
| 用途 | 発声訓練、失語補助、朗読教育 |
| 成立のきっかけ | 演劇現場の発音事故の記録 |
(きゅうぜつ さき)は、口腔衛生と咀嚼(そしゃく)研究の交差点で語られる、日本の「舌系写像(ぜっけいしゃぞう)」文化に属する概念である。とくに、発声訓練用の記譜法として一時期に注目されたとされる[1]。
概要[編集]
は、舌の可動域を「動き」ではなく「痕跡(こんせき)」として記述し、訓練者が反復学習できるように設計された比喩的記譜体系であると説明されることが多い。
一方で、この語が指す範囲は揺れており、学術寄りには、教育寄りにはの採点法、産業寄りには喉の機械化検査(擬似)として語られる場合がある。なお、Wikipedia的な整理をすると、実体としては「舌の位置・接触・戻り時間」を扱う訓練手順の名称であるとされるが、原義は必ずしも一致しない[1]。
成立経緯としてよく挙げられるのは、浅間山麓(せんげんさんろく)での農機事故に由来する口腔外傷の後遺症と、寄席(よせ)・演劇の発音矯正が同時期に拡大したという事情である。ただし、この連関は当時の資料が複数の研究会に分散して残ったこともあり、解釈には幅があるとされる[2]。
歴史[編集]
前史:舌を「物差し」にした演劇現場[編集]
窮舌紗希という呼称が確立する前、末期から初期にかけて、舞台俳優の滑舌不良が「舌の怠け」で片づけられる風潮が強かったとされる。そこでを兼ねた(さえき さくや、 - )は、俳優の舞台袖での発声を録音ではなく「唾液の飛散パターン」として記録しようと試みた[3]。
この試みは後に否定的に回収されるが、記録係が誤って湿度計の読みをそのまま転記したため、湿度がのときに特定の母音で舌が急に戻る、という“それっぽい相関”が残ってしまった。さらに、記録係のメモが紛失し、代替として近隣のの方言調査票が流用されたことで、舌の接触位置が「方言の発音癖」に結びつけられたと説明される[4]。
この段階で、舌を触覚的に測るのではなく、訓練者が再現できる形に「紗(しゃ)」のような薄い板状の指示として残す、という発想が生まれたとされる。のちにこれが「窮(きゅう)」=行き詰まりの反復、「舌」=訓練対象、「紗希」=指示の薄さ、という語呂の整えに発展したとする説がある[5]。
成立:舌写記法の標準化と研究会の乱立[編集]
初期、の複数の小規模病院と養成所の間で、発声訓練の共通フォーマットが求められた。そこで(通称:舌写協、事務局は)が中心となり、患者と俳優を区別せず同一の「圧痕図」を用いる方針を採用したとされる[6]。
協議会は、舌背(ぜっはい)の接触が観察しやすい角度を統一するため、訓練用ミラーの高さを床からに固定し、鏡の角度を以内に保つという規程まで作った。さらに、訓練用ワックスの硬度をショア硬度として管理する案が採択されかけたが、輸入が滞り、急遽の和紙工房が作った薄膜で代替された。この“代替の成功”が、窮舌紗希の「紗」イメージを定着させたとされる[7]。
この標準化の結果として、教育現場では「窮舌紗希=採点の総称」が先に広まり、学術側では「窮舌紗希=圧痕図式の運用手順」が後追いで整理された。したがって、同じ語が異なる意味で書かれていることがある、として編集者の一部から指摘されることがある。なお、当時の会合記録には、初回の参加者数が「総数名」とあり、翌月に「名」と訂正されているため、運用実態のブレを示す資料として参照されることが多い[8]。
普及と影響:学校朗読と失語補助の“同時ブーム”[編集]
窮舌紗希は、教室の検定制度に組み込まれることで大衆化した。特に、系の民間認定に“発音の回帰テスト”として導入され、学生は「舌が戻るまでの秒数」を刻みで提出したとされる。ただし、この数値は校正方法が統一されていなかったため、後年に再計算すると平均がに変わる可能性がある、とする再分析が残っている[9]。
一方、医療側では失語(しつご)患者の訓練補助として採り入れられた。ここで重要だったのは、窮舌紗希が「正しい舌の形」ではなく「失敗した痕跡の整理」を前提にしていた点であるとされる。つまり、うまく発音できない状態を恥として扱わず、“行き詰まり”を記録して次の反復に回すという態度が広がった。結果として、患者家族の協力体制が作られ、側の支援申請が増えたという報告がある[10]。
しかし、この同時ブームは過熱し、教育現場では「窮舌紗希をすれば誰でも明瞭になる」といった過度な期待が生まれたとされる。そこで一部の研究者は、訓練時間をで打ち切るべきだと主張したが、養成所は経営上の理由でに延長したとされ、社会に“舌の標準化圧”が広がった、という批判が後年にまとめられている[11]。
批判と論争[編集]
窮舌紗希には、科学的妥当性よりも運用の“美しさ”が先行したという批判がある。特に、圧痕図の作成に用いる薄膜が、素材ごとに弾性が異なるにもかかわらず、図式が同一規格として扱われた点が問題視されたとされる。
また、当時の複数の資料で、舌の接触点の数がとされる箇所ととされる箇所が混在している。後年の編集では「これは訓練者の視認性による差である」と説明されたが、別の解説では「担当者が方言票の区分をそのまま流用したため」であるとする説もある。つまり、制度は整っているように見えて、分類の根拠が揺れていたと指摘されている[12]。
さらに、医療機関によっては窮舌紗希の実施条件に“鏡を見る心理効果”が含まれていたにもかかわらず、それが切り分けられないまま結果が語られたという指摘もある。典型例としてのでは、訓練室の照度をに統一したが、実験記録のうち一部が「記憶に頼った」形式で残っていた。これが、のちに「舌の科学」というより「舌の物語」になってしまった象徴として引用されることがある[13]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯 朔也「舞台袖の唾液記譜と舌の回帰」『日本口腔演劇研究』第2巻第4号, 1921.
- ^ 花岡 凛「舌写記法の標準化と薄膜材料の相性」『音声・粘膜ジャーナル』Vol.3 No.1, 1931.
- ^ 【北青舌(ほくせいたん)研究所】編『窮舌紗希運用規程(草案)』北青舌研究所出版, 1933.
- ^ Martha A. Thornton「A Trace-Based Approach to Speech Retraining」『Journal of Phonetic Rehabilitation』Vol.12 No.2, 1940.
- ^ 松原 尚登「発声訓練室の照度が再現に与える影響」『学校保健技術誌』第11巻第3号, 1952.
- ^ 鈴木 澄江「紗という媒介—薄膜が作る“見える失敗”」『言語療養学論集』第5巻第1号, 1958.
- ^ Hiroshi Kuroda「Regional accents and tactile training maps」『International Review of Speech Therapy』Vol.7 No.4, 1966.
- ^ 山村 直「圧痕図式の分類点数問題」『口腔図像学研究』第9巻第2号, 1971.
- ^ (微妙に題名が不自然)R. E. Watanabe「The Mirror Effect in Kyuzetsu Training」『Proceedings of the Erroneous Correlation Society』Vol.1 No.1, 1982.
外部リンク
- 舌写記アーカイブズ
- 圧痕図式データベース
- 朗読訓練研究会コレクション
- 北青舌研究所デジタル文庫
- 長野舌写記協議会記録館