粗唖
| 名称 | 粗唖 |
|---|---|
| 読み | そあ |
| 分類 | 発声・沈黙・民俗訓練 |
| 成立 | 18世紀末ごろ |
| 発祥地 | 京都・大阪周辺とされる |
| 主な伝承者 | 沢田宗玄、長谷川ミサヲほか |
| 用途 | 朗誦、黙劇、矯声、記憶補助 |
| 衰退 | 大正末期から急速に減少 |
| 再評価 | 1970年代の民俗音声研究 |
粗唖(そあ)は、後期ので成立したとされる、発声訓練と沈黙儀礼を組み合わせた口承技法である。初期には教育法として一時普及し、のちに演劇・民俗学・音声療法の境界領域で再評価されたとされる[1]。
概要[編集]
粗唖は、一定の子音のみを残した発声と、意図的な無音区間を交互に挿入することで、言葉の意味よりも身体の緊張と呼吸の流れを重視する技法であるとされる。文献上はの寺子屋資料に初出が見られるが、実際には浄瑠璃の裏方や商家の手代のあいだで、帳合の誤読を防ぐために用いられたという説が有力である[2]。
名称は「粗い声」と「唖(おし)」の合成と説明されることが多いが、のちの研究ではの方言で「そあ」が「息を整える」の意に近いとする異説も提示された。なお、の1978年調査では、粗唖を知ると答えた高齢者は17名で、そのうち9名が内容を説明できなかったと記録されている。
歴史[編集]
起源伝承[編集]
起源については、年間の大火後に、焼け残った紙片を読むため声を小さくしたことに始まるという説がよく知られている。とくにの紙問屋・小野寺屋が、火災後の棚卸しで「声に出さずに読む訓練」を店員へ課した記録があり、これが粗唖の原型になったとする見解がある[3]。
一方で、の修験者が山中修行の一環として「半音で祈る」作法を持ち込み、それが町人文化に転用されたとする説もある。この説では、初期の粗唖は二十四拍を一巡とし、七拍ごとに完全沈黙を挟む極めて厳格な形式を取ったとされる。
明治期の制度化[編集]
後、粗唖は一時的に「不明瞭な発音を矯正する旧習」として排斥されたが、の委嘱を受けた教育者・渡辺精一郎が、話芸と国語教育の中間にある訓練法として再定義したことで生き延びたとされる。渡辺はに『粗唖式発声読本』を刊行し、全国の師範学校に試験導入したというが、配布数は実際には冊だったとも伝えられる[4]。
この時期、の神田にあった私塾「静声館」では、毎朝6時から19分間、受講生が鉛筆を口にくわえたまま朗読する訓練が行われた。受講生の一人が「言葉が出ないのではなく、言葉を押し戻す感覚が要る」と日記に記したことから、粗唖は単なる発声法ではなく、自己統制の技法として理解されるようになった。
大正から昭和初期[編集]
期には、運動の俳優たちが粗唖を舞台稽古に取り入れ、感情を直接叫ばずに観客へ伝える手法として流行させた。とりわけの稽古場で行われた「無音の感嘆符」演習は、声量より間合いを重視する演出の先駆けとされる[5]。
しかし3年、が「言葉を欠くことを美徳化する風潮」と批判したことで、粗唖は一部で危険思想のように扱われた。もっとも、同時期にで開催された民俗資料展では、粗唖の実演が1日平均の来場者を集めており、嫌悪と好奇の両方を呼ぶ奇妙な技法として定着した。
衰退と再評価[編集]
戦後になると、速記・マイク・放送教育の普及により粗唖は急速に衰退した。だが、の音声民族学グループが、和歌山県北部の旧家で見つかった木箱から「粗唖十八段階練習票」を発見し、学術的関心が再燃したとされる[6]。
この練習票には、息継ぎの位置、視線の角度、喉を震わせる回数まで細かく書かれており、末尾には「三回続けて成功した者のみ茶を飲むべし」との記載があった。研究班はこれを「実用を超えた儀礼化の証拠」と評価したが、後年の検証で、茶を飲ませないための単なる教室規則だった可能性も指摘されている。
技法[編集]
粗唖の基本は、音節を完全には切らず、子音の輪郭だけを残して息を流す「粗声」と、語尾を意図的に消す「唖止め」の反復にある。熟練者は一息で拍から拍を保ち、うち拍ごとに舌先を上顎へ軽く触れさせるとされる。
また、所作としては右手の親指を喉仏の下に当て、左手で衣の裾を軽く握るのが標準であった。これは姿勢矯正のためというより、聞き手に「まだ発話は始まっていない」と錯覚させる心理効果があると説明された。なお、初学者が最も失敗しやすいのは母音を削りすぎて完全な無音になる点であり、師匠たちはこれを「ただの不機嫌」と呼んでいたという。
社会的影響[編集]
粗唖は、町人文化においては沈黙の礼法として受容され、商談、弔問、子どもの躾にまで応用されたとされる。とくにの呉服商では、値引き交渉の終盤に粗唖を挟むと相手の警戒心が下がるとされ、ある店では月間売上が上昇したという帳簿が残る[7]。
一方で、教師や官吏のあいだでは「言い淀みを正当化する口実」と批判され、のある県立中学校では使用禁止令が出された。にもかかわらず、禁止後の生徒の作文には「粗唖を使うと先生が長く怒れない」といった記述が増えたため、教育現場では逆に統制が難しくなったとも伝えられる。
批判と論争[編集]
粗唖をめぐる最大の論争は、それが技能なのか儀礼なのかである。民俗学者の多くは前者を、演劇史家は後者を支持したが、の大会では、ある研究者が「粗唖は話すために沈黙するのではなく、沈黙するためにわずかに話す」と定義し、会場が20秒ほど静まり返ったという[要出典]。
また、保存団体である「全国粗唖保存連盟」は、復元実演の際に呼気の音を強調しすぎるあまり、実質的には“鼻息の芸”になっているとの批判を受けた。これに対し同連盟は「粗唖の本質は完璧さではなく、完成しないことにある」と反論しており、この応酬は今日でも引用されることがある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『粗唖式発声読本』文雅堂, 1887.
- ^ 長谷川ミサヲ『静声と沈黙の民俗誌』大阪民俗叢書, 1921.
- ^ 小野寺重蔵「大坂紙問屋における粗唖帳合」『近世商業史研究』Vol. 14, No. 2, 1954, pp. 33-58.
- ^ M. A. Thornton, “The Semi-Silent Registers of Soa,” Journal of Oral Tradition Studies, Vol. 9, No. 1, 1968, pp. 101-129.
- ^ 佐伯兼人「築地小劇場と無音の感嘆符」『演劇と身体』第3巻第4号, 1972, pp. 12-29.
- ^ 国立国語研究所編『粗唖語彙集成』くろしお出版, 1979.
- ^ 山村照夫『沈黙は呼気を伴うか』音声文化社, 1982.
- ^ R. Whitmore, Soa and the Ethics of Under-Speech, Cambridge Folklore Press, 1991.
- ^ 井上澄子「和歌山旧家出土『粗唖十八段階練習票』の検討」『民俗資料学報』第22号, 1996, pp. 77-95.
- ^ 田所静男『粗唖と日本語教育の裏面史』啓明書房, 2008.
- ^ A. K. Feldman, The Curiously Quiet Art of Soa, Northbridge University Press, 2014.
外部リンク
- 全国粗唖保存連盟
- 日本民俗音声学会
- 静声館アーカイブ
- 粗唖資料デジタル庫
- 関西口承文化研究所