竜王戦TKO負け事件
| 事件名 | 竜王戦TKO負け事件 |
|---|---|
| 年月日 | 明治28年10月17日 - 10月19日 |
| 場所 | 京都府下京区・五条通周辺、帝都棋院本部 |
| 結果 | 棋政派の敗北、帝都棋院の一時閉鎖 |
| 交戦勢力 | 棋政派、軍政派、調停派 |
| 指導者・指揮官 | 渋沢竜介、東雲一馬、神保勘解由 |
| 戦力(兵数) | 棋政派 約1,280名、軍政派 約940名 |
| 損害 | 死者14名、負傷者87名、投了書面231通 |
竜王戦TKO負け事件(りゅうおうせんてぃーけーおーまけじけん)は、28年()にで起きたである[1]。棋政派と軍政派の武力対立がの前身とされるを主戦場として行われたことで知られる[1]。
背景[編集]
竜王戦TKO負け事件は、中期における棋界の制度再編に端を発し、を中心とする講棋都市の権益争いが先鋭化した結果として発生した政変である。とくにが定めた昇位規程をめぐり、対局による序列決定を重視する棋政派と、実力差が著しい局面では早期決着を認めるべきだとする軍政派が対立し、これが長期にわたる潜在的緊張を生んだとされる[2]。
事件直前には、で開かれた臨時評議で「竜王位」の創設が決議され、これに反発した系の対局者・研究者らが沿いの会館に集結した。彼らは、伝統的な千日手防衛を否定する新制度が、地方道場の独立性を損なうものだと主張したが、一方で帝都側は、戦局の長期化が財政を圧迫していたことから、むしろ迅速な勝敗判定を導入することで秩序回復を図ろうとしていたとの指摘がある。
また、当時の京都ではの増水に伴う物流停滞が続き、盤駒や記録帳の輸送が遅れたため、各派は現地で即席の補給網を組織した。この補給網の主導権を握ったのが後の調停派首班・であり、彼が作成した「局面別兵站表」が、事件の実務的側面を決定づけたとする説が有力である[3]。
経緯[編集]
開戦[編集]
未明、の帝都棋院本部前で軍政派が蜂起し、勝ち筋のない長手数局を強制終了させるための「三手切り」規定を掲げて進軍した。これに対し棋政派は、を総帥として局面防衛線を構築し、対局室を要塞化したが、入口の廊下が狭く、布陣が縦深に乏しかったことから、初動で主導権を失ったとされる。
午前9時頃には、率いる軍政派が「先手必勝、後手無念」と書かれた垂れ幕を掲げて突入し、控室の記録係を掌握した。この時点で、棋政派の数値上の兵力は軍政派を上回っていたものの、実際には持駒の管理不備と持ち時間の誤認が相次ぎ、組織的抵抗は急速に崩壊した。
展開[編集]
正午前後、事件の転機となったのは、二階大広間で行われた「竜王直轄対局」である。ここで棋政派の主力が中飛車型の包囲網を敷いたのに対し、軍政派は飛車先交換を囮として側面から詰将棋部隊を投入し、わずか17分で王手を連発した。これが後に「TKO負け」と総称される瞬間であり、実際には投了勧告、気絶、再試合拒否の三段階が連続したことを意味するとされている[4]。
また、午後2時頃にはに相当する巡回組織が仲裁を試みたが、両派ともに「まだ詰んでいない」として退去命令に応じなかった。結果として、同日夕刻までに局面は全面的な泥沼化に至り、盤面の上では棋政派が優勢であったにもかかわらず、盤外の政治力学で敗北するという、のちの政変研究の典型例となった。
結末[編集]
、の調停案により停戦文書が締結され、帝都棋院は一時閉鎖された。棋政派の幹部は「局地戦では勝ったが、運営戦では完敗した」と総括したが、これは後世の史料でやや誇張された表現であるともいわれる。
事件の直接的帰結として、竜王位は従来の終盤力評価から、継戦能力・観戦動員・記録紙消費量を総合した新基準へ改定された。この改定は、後に全国の道場運営に波及し、対局の勝敗よりも「どの程度ドラマチックに負けたか」が重視される風潮を生んだ。
影響・戦後・処分[編集]
事件後、はへ退き、棋政派の残党は「再起三年計画」を掲げたが、実際には資金難と局面分析の内紛により半年で瓦解した。これに対し軍政派は、の運営委員会を掌握し、以後の級位認定に「TKO指数」を導入した。これは投了までの平均手数、相手の心理的疲弊度、対局室の湿度を加味する極めて独特な制度であった。
また、事件の処分として、関係者231名に対し「対局中の大声」「駒台の過度な叩打」「王手放棄」の三種の行政罰が科された。中でもには、終盤の説明責任を怠ったとして3年間の「静かな告解義務」が課され、以後の公式戦では毎回、着手前に300字の反省文を読み上げる必要があった。
社会的には、この事件を契機として、一般市民のあいだでも「勝ち負けより負け方が重要である」という価値観が広まり、演劇・相撲・学校対抗競技にまで影響したとされる。なお、の老舗茶屋には「TKO最中」と呼ばれる菓子が登場し、敗北を甘味として再解釈する文化が定着したとの指摘がある。
研究史・評価[編集]
事件研究は、期の『史料集』により学術的な基盤を得たが、当初は単なる内輪揉めとして扱われた。しかし30年代に史料編纂所のが、局面図と軍令書を突き合わせたことで、事件が単なる敗戦ではなく制度転換を伴う政変であったと再評価された[5]。
一方で、近年の研究では、実際には「TKO負け」という語が当時まだ普及しておらず、後世の記者が格闘技用語を借用して事件全体を命名した可能性があるとされる。この点については学界でも意見が割れており、棋史学派は政治事件説を支持するのに対し、文化史学派は「大げさな負け方を記憶するための神話化」とみなしている。
なお、以降は映像復元技術の進歩により、対局室の三次元再現が行われたが、再現映像の一部で駒が異常に高速移動する現象が確認され、かえって事件の実像を不明瞭にした。これを「盤面残像説」と呼ぶ研究者もいるが、要出典である。
関連作品[編集]
事件はのちに小説、講談、映画へと翻案された。代表的なものに、の長編小説『』、監督の記録映画『』がある。いずれも史実の再現を掲げつつ、終盤で主人公が盤上から退場する演出を用いており、批評家の間では「敗北を英雄化した典型」と評された。
また、の特別番組『棋政派はなぜ滅んだか』では、内の古文書館に残る対局記録が読み上げられ、視聴率18.4%を記録したとされる。ただし、この数字は再放送分を合算した可能性があり、厳密には不明である。
さらに、には舞台化作品『竜王戦TKO負け事件 外伝・静かな告白』が上演され、終幕で全キャストが一斉に投了する演出が話題となった。
脚注[編集]
[1] 『帝都棋院公報』第4号、1896年、pp. 2-7。
[2] 渡会清次『明治棋政史論』京橋書房、1908年、pp. 114-121。
[3] 神保勘解由『局面別兵站表とその応用』私家版、1895年、pp. 33-41。
[4] Arthur M. Bell, "The TKO Surrender Doctrine in Late Meiji Board Politics," Journal of Imperial Strategy, Vol. 12, No. 3, 1964, pp. 201-219.
[5] 小野寺翠『京都盤面政変史』東京大学出版会、1958年、pp. 88-96.
[6] Eleanor P. Whitcomb, "Defeat as Ritual: A Study of Public Resignation in Japan," East Asian Review, Vol. 8, No. 1, 1971, pp. 14-29.
[7] 『下京区史資料 第19集 盤駒騒擾編』下京区史編纂委員会、1933年、pp. 55-63.
[8] 佐伯直人『負け方の美学』講談社、2012年、pp. 177-188.
[9] Henry L. Armitage, "The Shogi Emergency of 1895 and the Birth of Tactical Withdrawal," Transactions of the Kyoto Institute, Vol. 5, No. 2, 1989, pp. 90-107.
[10] 田辺律子『竜王位制度の成立と崩壊』名古屋歴史学会、2004年、pp. 9-18.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡会清次『明治棋政史論』京橋書房、1908年、pp. 114-121.
- ^ 神保勘解由『局面別兵站表とその応用』私家版、1895年、pp. 33-41.
- ^ 小野寺翠『京都盤面政変史』東京大学出版会、1958年、pp. 88-96.
- ^ 佐伯直人『負け方の美学』講談社、2012年、pp. 177-188.
- ^ 田辺律子『竜王位制度の成立と崩壊』名古屋歴史学会、2004年、pp. 9-18.
- ^ Arthur M. Bell, "The TKO Surrender Doctrine in Late Meiji Board Politics," Journal of Imperial Strategy, Vol. 12, No. 3, 1964, pp. 201-219.
- ^ Eleanor P. Whitcomb, "Defeat as Ritual: A Study of Public Resignation in Japan," East Asian Review, Vol. 8, No. 1, 1971, pp. 14-29.
- ^ Henry L. Armitage, "The Shogi Emergency of 1895 and the Birth of Tactical Withdrawal," Transactions of the Kyoto Institute, Vol. 5, No. 2, 1989, pp. 90-107.
- ^ 黒川啓介『五条の終局』風雅社、1998年、pp. 41-59.
- ^ 松浦千尋『映像化された投了』白樺書房、2018年、pp. 7-15.
外部リンク
- 帝都棋院デジタル史料館
- 京都盤面政変研究会
- 明治戦局アーカイブ
- TKO負け事件史談会
- 竜王位再考フォーラム