笑ってや!ほら(1975年-88年
| 番組名 | 笑ってや!ほら(1975年-88年 |
|---|---|
| 画像 | (架空)笑いの鐘を模したロゴ |
| ジャンル | 視聴者参加型バラエティ番組 |
| 司会者 | 城戸マサト |
| 出演者 | 寺脇サチオ、天満ミツル、ほか |
| OPテーマ | 『ほら!笑って』 |
| EDテーマ | 『金曜の鐘(かね)』 |
| 制作局 | 近畿中央テレビ制作局バラエティ部 |
| 放送期間 | 1975年4月12日 - 1988年9月30日 |
| 外部リンク | (架空)笑ってや!ほら公式アーカイブ |
『笑ってや!ほら(1975年-88年』(わらってや ほら、英: Waratteya Hora (1975–1988))は、[1]系列で(50年)から毎週20時台()に放送されているのバラエティ番組である。番組名は「笑いの合図」として放送中に視聴者へ合唱させる趣向に由来し、の冠番組でもある[2]。
概要[編集]
『で放送されている関西発のバラエティ番組として位置づけられている。番組では毎回、視聴者から寄せられた「笑いの種(いわゆる“ほらネタ”)」をもとに、公開スタジオでの合図—「笑ってや!ほら!」—が行われる構成が採用された。
当初は小規模な公開放送として始められたが、番組開始当初の裏側で“笑いが起きる瞬間を計測する”という発想が密かに導入され、笑い声の多い回ほど演出を微調整する方式が定着したとされる。なお、これが後年のデータ放送的な演出(架空)へとつながったという論がある[1]。
放送時間/放送時間の変遷[編集]
番組はに金曜20時台で放送を開始し、毎週20時15分〜20時55分(40分)枠として運用されたとされる。開始当初の平均視聴率は6.8%で、番組内では「ほら」の掛け声が聞こえるたびに視聴者ハガキが増えたと報告されている[3]。
その後10月の編成改定で、放送枠が20時台前半から20時台後半へ移り、20時25分〜21時05分(同じく40分)に変更された。さらに春にはハイビジョン放送ではなく「高解像度中継」という扱いで収録機材が更新され、画面のザラつきが減ったため、笑いの“間”がより見えるようになったと番組スタッフが語ったという記録が残る[4]。
終盤のは、特別編成の影響で月1回程度が60分拡大される週があり、最後の放送は9月30日の特別生放送として実施されたとされる。なお、この最終回は「笑ってや!ほら」を3回連呼したあと、スタジオの鐘だけが鳴り続けたという逸話があり、“鐘の余韻が最後の笑いだった”と同業者の間で語られた[5]。
放送枠の移動と試験的コーナー[編集]
放送枠移動のたびに、冒頭の“ほら予告”が長くなり、が担当する「ほら予報」だけは固定されたとされる。特に後半には、視聴者の投稿が一定数を超えると“予報ランク”が上がる方式が採用され、視聴者参加の熱量が可視化されたと説明されている。
生放送回の条件[編集]
原則として収録が多いとされたが、番組後半では「公開広場の気温が〇度を超えると笑いが発生しやすい」という統計(架空)が持ち出され、生放送化する条件が設定されたとされる。天候によって笑いの起きる“タイミング”がずれるという指摘があり、地方収録時にはスタッフが体感温度を記録していたとされる。
出演者(司会者/レギュラー出演者/歴代の出演者)[編集]
司会はが務め、番組内では「笑いの合図の責任者」として扱われた。城戸は関西圏の言い回しに強く、視聴者投稿の読み上げに際しては、あえて句読点の位置をずらして笑いを誘うスタイルが定着したとされる[2]。
レギュラー出演者としては、早口でツッコミを担当した、素朴な疑問で進行を止める役割のが知られる。さらに、序盤から「ほら袋」担当の大道具師上がりが関わり、袋の中身が毎回“微妙に当たる”演出で人気を得た。
歴代の出演者としては、に一時加入したコメディアンがいる。彼は“ほら”の言葉を逆に言ってしまう企画(本人の滑り)を売りにしていたが、視聴者の怒りも一定数あったとされる。なお、この反応がのちに番組の「笑いの安全設計」へつながったという説明がある[6]。
視聴者参加の読み上げ担当[編集]
投稿ハガキの読み上げは、基本的に寺脇が担当したとされる。理由は、早口でも誤読しにくいように、投稿者が付けた“ほらの強さマーク”を数字(1〜9)へ換算する独自の読み替えルールが寺脇の間で共有されていたためである。
地方収録の顔[編集]
地方収録では、天満が地元の方言を一部だけ真似て“ほらの合図”を身振り付きで再現する役回りを担ったとされる。特に内の公開会場では、言い回しが地域差を生むため、現地スタッフが台本の方言チェックを行っていた。
番組史[編集]
番組は、が視聴者との距離を縮めるために企画した“視聴者合図実験”から始まったとされる。当初のコンセプトは「笑い声が聞こえたら勝ち」ではなく、「笑いが起きる瞬間を参加者が作る」というもので、合図—「笑ってや!ほら!」—のタイミングが設計の中心にあった。
の春改編で、番組内に「ほら予選」が新設された。予選は、視聴者投稿を“短さ”“勢い”“誤解されやすさ”の3軸で採点し、合計点が40点を超えるとスタジオへ上がれるという制度だったとされる。ここで面白いのは、採点のしきい値が週ごとに変わり、平均点が上がりすぎると難易度が上昇したと説明されている点である[3]。
には一度、笑いを抑える方向の実験企画が導入された。寺脇が“普通の読み上げ”だけで10分耐えられるかを競う回であり、結果としてスタジオが静まり返ったため、翌週に逆転企画が組まれた。なおこの“静けさ回”が、視聴者の投稿の質を押し上げたという評価もある[7]。
最終的にに放送を終了した背景として、同局の大型改編と、城戸マサトの出演スケジュールが重なったことが挙げられる。ただし関係者の証言では、番組終了の数か月前から視聴者の合図の熱が落ち、鐘の音だけが残ったために“番組の魂が薄れた”と語られたともされる。
番組構成/コーナー(主要コーナーのサブセクション)[編集]
番組の基本構成は、オープニング合図→投稿紹介→スタジオ実演→鐘の判定→エンディング再合図の順で固定されていた。特に鐘の判定は、笑い声の大きさではなく「笑い声の立ち上がりの早さ」を判定するとされ、視聴者が“ほら”の声をタイミング良く合わせるほど採点が上がる仕組みが組まれていた。
主要コーナーとしては「ほら袋タイム」「ほら予報会」「逆読みチャレンジ」「街角ミニ観測(架空)」などが挙げられる。なお、コーナー名の多くは同局の社内用語から採られており、一般視聴者にとって意味が直感的であるように調整されたとされる。
また、番組終盤には「笑ってや!ほら(1975年-88年」の語感に合わせた“ひらがなクイズ”が追加され、当てた視聴者には番組から“鐘のミニチケット”が送付されたという。チケットの番号が4桁で、当たり外れが運に見えて実は笑いの間で決まるという噂が流れ、後にファンクラブが盛り上がったとされる[5]。
ほら袋タイム[編集]
視聴者投稿を元に、スタジオ大道具が“ほら袋”から小道具を引き当てるコーナーである。引き当てた小道具は全12種で、うち3種は毎回内容が“微妙に違う”とされる。寺脇が「同じようで違うねん」という決め台詞を言うと、城戸が3歩だけ後退する演出が入った。
街角ミニ観測(架空)[編集]
地方収録では、近隣の商店街で“笑いの合図が通る距離”を測るという企画が組まれたとされる。測定には簡易の聴取器(架空)が使われ、距離が200mを超えると、スタジオ側の演出が少しだけ強めに調整される仕様だったという。
逆読みチャレンジ[編集]
天満が投稿文を逆順に読み上げ、城戸が“本来の意味”を当てるという二段構えのゲームとして成立していた。視聴者側では、答えを送ると加点ではなく“次回の投稿の難易度”が上がる(逆に言うと当たれば当たるほど難しくなる)制度が設計されていたとされる。
シリーズ/企画[編集]
番組は「シリーズ」が多いことで知られ、特にから始まった「月替りほらシーズン」では、毎月合図の意味づけが変えられた。例えば“夏シーズン”では「ほら」を涼しさに結びつけた短い投稿が増えるように構成され、結果として投稿のジャンルが偏ることもあったと説明されている。
企画としては、視聴者に送られた応募番号が“番組内のくじ”ではなく“スタジオ照明の点灯順”に使われたという逸話がある。点灯順が早いほど、オープニングで流れる効果音が長くなり、城戸の合図が一度だけ早口になる仕様だった。のちにこの仕様は視聴者の間で“笑いのライティング理論”と呼ばれるようになり、ファンが自分の番号の傾向を研究したという[8]。
には、視聴者投稿の一部を舞台照明の色(7色)に変換する試みが行われたとされる。ただし色数が増えすぎると笑いが薄れるという指摘が出たため、結局3色に絞って放送されたとされる。
オープニング/テーマ曲[編集]
オープニングテーマは『』であり、毎回サビで「笑ってや!ほら!」が短くリズム化されていた。テンポは分速144拍(BPM)とされ、城戸が合図をする前に効果音が必ず2回入る設計になっていたとされる[2]。
エンディングテーマは『』である。鐘の音は実在の鐘楼を録音したものとされるが、音源の由来については諸説ある。ある音響担当者は「堺の古い時計塔の録音を切り貼りした」と語り、別の編集者は「実際はスタジオ内の小型鐘を複数回重ねた」と主張したという[4]。
また、以降はオープニング映像の最後に“ひらがな字幕”が一文字だけ増える仕様になり、字幕の一文字が増える週ほど笑いの投稿が伸びたと見られていた。なお、この“字幕の1文字”が視聴者の投稿研究者の間でカウント対象になり、番組が終わった後も年鑑記事に残ったとされる[1]。
スタッフ(歴代のスタッフ/歴代スタッフ)[編集]
制作はが中心となり、プロデューサーは、チーフ・プロデューサーはが務めたとされる。演出面では「笑いの間」の秒単位調整が重視され、秒数のメモが編集台本に貼られる運用が採用されていたという。
歴代スタッフとしては、音響のが知られる。彼女(架空)は鐘の音を「余韻の長さ別に3系統」へ分類し、視聴者のハガキ到着数に応じて回ごとに選択したと説明されている。作家陣ではが“ほら”の語感を統計化する脚本手法を広めたとされ、番組のテンポを支えた。
ただし頃から一部回でテンポが落ちたと指摘され、編集のが「笑いを急かしすぎた」と反省したとされる記録がある。なお、この反省が後年の“安全設計”へ接続されたという語りがある[6]。
台本の“タイミング差”管理[編集]
台本には「合図までの想定沈黙2.3秒」「笑いの想定立ち上がり0.9秒」など、数値が手書きで追記されていたとされる。実測ができたのかは不明であるが、少なくとも編集者が数値のメモを残していたことは、当時の社内資料の写しとして伝わる。
視聴者投稿の扱い方針[編集]
投稿は基本的に匿名で読まれるが、番組後半では“ほらの強さマーク”が付いた投稿のみを優先する方針が取られたとされる。そのため、投稿者の間ではマークの作法が共有され、社会における“笑いの自己調整”が一時的に広がったと回顧される。
ネット局と放送時間/放送局・配信元[編集]
本番組はを基幹局として、近畿地方を中心に放送されたとされる。ネット局は当初の、の、のなどが挙げられているが、地域によって放送時間が変動したとされる[7]。
関東・中部での取り扱いは遅れ、に試験的に深夜枠へ移された後、翌に再編されたと説明されている。各局で“合図の読み上げ”だけは字幕の位置が統一され、視聴者がタイミングを合わせやすいように配慮されたとされる。
放送分は基本40分であるが、ネット局の都合で一部週は25分へ短縮された。短縮週では「逆読みチャレンジ」がカットされ、「ほら袋タイム」だけが残る編集が採用されたとされる。ただし“カットされた回ほど投稿が伸びる”という逆転現象が起きたとされ、放送局の担当者間で話題になったという[3]。
特別番組[編集]
の夏に、視聴者参加型の特別番組『ほら!笑い祭(まつり)』が放送されたとされる。これは近畿地方の広場を会場に公開放送され、生放送同時の投稿受付が行われた。会場には「鐘の色テント」が設置され、色の選択は視聴者の番号が反映される仕組みだったと説明される[5]。
またには、城戸マサトの“冠番組化10周年”を記念する『笑ってや!ほら 10年余韻スペシャル』が編成された。通常のコーナー順が逆になり、最後に最初の投稿を振り返る“昔のほら袋”が再現されたという。さらに最終年度のには、過去の名場面を「笑いの間」だけ編集で再現する回があり、観客が勝手に合図を重ねてしまう現象が起きたとされる。
関連商品(DVD/書籍)[編集]
関連商品としては、番組の台本・投稿・演出メモをまとめた『の研究—笑いの合図設計史』が出版されたとされる。出版社名はとされ、発行部数は3万部と説明されている。ただし増刷の有無については資料によって数が揺れ、2万7千部とする記述もある。
またには、懐かし回の抜粋を収めたDVD『笑ってや!ほら ベスト火曜編』(架空)が企画されたという噂がある。火曜編となっているのは、当時の編集担当が曜日を取り違えたままタイトルを決めてしまったためとされ、後にファンの間で“誤植ではなく儀式”と笑われたと伝わる。
加えて、視聴者向けに「ほら合図カード(全48種)」が販売されたとされる。カードは“合図のタイミング”を体で覚えるための教材として作られ、駅前配布が行われたという回想が残っている[6]。
受賞歴[編集]
受賞歴としては、の“参加型演出部門”で優秀賞を獲得したとされる。受賞はの回顧記事で言及されているが、当時の公式発表資料の写しが確認されていないため、慎重に扱うべきとする指摘がある[9]。
一方で、番組が広めた「笑いの合図」という形式が、のちの視聴者参加型番組のフォーマットに影響したという評価は比較的一致している。特に街頭イベントで“合図の統一”が行われるようになったのは本番組の波及だとする説がある。
使用楽曲[編集]
使用楽曲は主題歌のほか、笑いの判定に連動する短い効果音が多数採用されていた。効果音は「合図前」「笑い立ち上がり」「鐘の余韻」の3種で、合計で17曲相当のループが組まれていたとされる。
BGMとしては、関西の小さなバンドから提供を受けたとされる『小さな鐘の行進』が一時期使われ、スタジオの雰囲気を明るくしたという評価がある。作曲者名は資料によって表記が異なり、とする記述ととする記述が混在している[4]。
なお、番組後半では“無音で始める”回があり、その回だけBGMが開始せず、観客の息だけがマイクに拾われたとされる。この無音回が一部で批判も受けたが、当時の編集会議では「無音は恐怖ではなく間の作法だ」と結論づけられたという[7]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 近畿中央テレビ編『笑いの合図—視聴者参加型バラエティの設計』近畿中央出版, 1989.
- ^ 山本タクミ「放送演出における“間”の定量化(架空資料)」『放送技術研究』Vol.12第3号, 1978, pp.41-58.
- ^ 城戸マサト『金曜の鐘—司会者のノート』光文社, 1986, pp.12-19.
- ^ 小鳥遊ユキ「音響分類による余韻制御の試み」『音響ジャーナル』第5巻第1号, 1984, pp.77-92.
- ^ 寺脇サチオ「ほら袋タイム—3種の“微妙な違い”」『関西笑芸論集』Vol.3第2号, 1982, pp.101-118.
- ^ 篠塚ヒロミ「視聴者投稿の読み替え運用とリズム統治」『テレビ脚本学会誌』第8巻第4号, 1985, pp.9-27.
- ^ 森下エイジ「冠番組運用の社会的波及(当時編)」『放送経営年報』Vol.7第6号, 1987, pp.55-73.
- ^ Kadowaki, R. “Audience Cue Synchronization in Local Variety Shows.” Journal of Broadcast Culture Vol.2 No.1, 1983, pp.21-35.
- ^ Hirata, M. “Laugh Timing and Viewer Participation: An Experimental Retrospective.” In: Proceedings of the 1981 Kansai Media Meeting, pp.303-311.
- ^ 大西サブロウ『鐘の編集学—笑いの残響はなぜ残るか』文化通信社, 1991, pp.3-10.
外部リンク
- 笑ってや!ほら公式アーカイブ
- 近畿中央テレビ 番組データベース(架空)
- ほら袋研究会
- 金曜の鐘 音響分類ギャラリー
- 城戸マサト資料室