第272回菊花賞
| 読み | だい272かいきっかしょう |
|---|---|
| 発生国 | 日本 |
| 発生年 | 1897年 |
| 創始者 | 菊池栄之助、田辺ミヨ |
| 競技形式 | 周回持久・標旗受け渡し競技 |
| 主要技術 | 花継ぎ、外菊走法、残花確認 |
| オリンピック | 正式競技候補(1928年の国際会議で否決) |
第272回菊花賞(だい272かいきっかしょう、英: The 272nd Kikka-sho)は、南部の沿岸で生まれた型のスポーツ競技である[1]。長距離を走りながら、菊紋の付いた標旗を交互に受け渡す形式として知られている[1]。
概要[編集]
第272回菊花賞は、末期に近郊の農閑期娯楽から成立したとされるであり、菊紋標旗を手にを走破するまでの平均所要時間を競う。競技名に「賞」とあるが、実際には勝者に与えられるのは花環ではなく、竹籠に入った乾燥菊18束と、運営委員会発行の「記録紙」である[1]。
この競技は当初、の旧家同士が田舟の巡航速度を競った儀礼に由来するとされ、の花卉商人が標旗の意匠を整えたことで現在の形式に近づいた。なお、第272回という回数表示は、後世の連盟が「年次の通算ではなく、登録大会番号である」と説明したためで、実際の開催回数と一致しないことが多い[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
起源については諸説あるが、もっとも有力なのはにの花苗市場で行われた「菊標走」とする説である。これは競売に遅れた買い付け人が、湖岸の周回道を走って到着順を競ったことから始まったとされ、初回の勝者・は、競走中に標旗を落とさなかった唯一の人物として名を残した[3]。
また、が考案した「花継ぎ」手順、すなわち交代者が標旗の柄を受け取る際に一礼し、相手の肩越しに菊花弁を1枚落とす所作が、後の正式ルールの核になったという説もある。ただし、この逸話は期の大会冊子にのみ見られ、要出典とされることが多い[4]。
国際的普及[編集]
に入ると、の輸出商組合が欧州各地の見本市で菊花賞を実演し、との港湾労働者の間に急速に普及した。とくにの会議では、が正式競技候補として申請したが、「標旗が視認困難である」「香気が審判の集中を妨げる」などの理由で否決された[5]。
その後、のを通じて、、へと広がり、には屋内版の「菊花賞・短標旗種目」が誕生した。これにより、雨天時でも前後の短時間試合が可能となり、学校体育にも導入されたとされる。
ルール[編集]
試合場[編集]
試合場は「菊環道」と呼ばれる楕円形の周回路で、外周、内周を標準とする。地面はと細粒砂の混合層で、要所に菊紋石が埋設される。公式規格ではを模した緩斜面が1か所設けられ、選手はそこを通過する際に標旗を左手へ持ち替えねばならない[6]。
試合は通常1組で行われるが、祭礼大会ではまで増員される。コース上には「花札台」と「香風点」が置かれ、選手は各周回の終点で標旗の花弁数を確認しなければならない。花弁がを下回ると減点される。
試合時間・勝敗[編集]
試合時間はを基準とし、延長戦は最長まで認められる。勝敗は、標旗を最後まで保持した上で規定周回を最短時間で終えた者により決する。ただし、終盤で標旗の菊紋が以上裏返った場合、審判団が「花乱れ」と判定して失格とすることがある。
また、同タイムの場合は「残花確認」によって決着する。これは選手がゴール後に菊花弁を盆に置き、1枚ごとにの方位を当てる儀式であり、成功枚数の多い者が勝者となる。極めて精神性の高い判定法であるが、観客にはしばしば理解されない。
技術体系[編集]
菊花賞の技術は大きく、、に分けられる。中核技術である「外菊走法」は、外周に体重を預けながら内側の腕で標旗を低く保持するもので、風の強い岸で発達したとされる[7]。
代表的な技としては、交代直前に歩幅を3割縮める「蕾減速」、花弁の落下音で相手の位置を読む「花耳」、そして追い風の局面でのみ使われる「逆香返し」がある。上級者は、標旗の先端をわずかに回して菊紋の向きを審判に見せる「見菊」を行うが、やりすぎると観客席から「舞踏に近い」と批判される。
一方で、以降は心拍数を抑えるための「無花息」訓練が導入され、の報告では、熟練選手の平均心拍が低下したという。ただし、この数値は測定機器の花粉付着により誤差が大きかったとする指摘もある。
用具[編集]
公式用具は、菊紋標旗、短竹柄、花弁袋、ならびに足袋状の競技靴である。標旗は2枚重ねにを薄く引いたもので、重さは前後が理想とされる。柄はまたはを用い、握り部に滑り止めとして米糠を塗る地域がある[8]。
競技靴は「花駆け」と呼ばれ、つま先がやや上向きで、前傾姿勢からの急加速に適している。なお、国内の一部大会では、観客が投げ入れる菊花弁を回収するための「受花網」が義務化されたが、強風時に選手の視界を著しく妨げるとして議論が続いている。
主な大会[編集]
全国大会として最も権威があるのはで、毎年にので開催される。優勝者には、菊章杯、通算記録板、ならびに翌年の開会式で鳴らす真鍮製の花鈴が授与される[9]。
国際大会ではが知られ、大会では会場の花壇が試合中に一斉開花したことから「花の追い風」と呼ばれた。また、への再申請はとに行われたが、いずれも「標旗の文化的説明が長すぎる」として見送られている。
下位カテゴリには、学生部門の、企業対抗の、夜間照明下で行われるなどがある。とりわけは、夜露で路面が滑るため、勝敗よりも完走率が注目される珍しい種目である。
競技団体[編集]
統括団体はで、本部はの旧書庫を改装した事務所に置かれている。連盟は審判講習、用具認証、花弁の産地証明まで管轄しており、毎年に「標旗適正化通達」を発行する[10]。
国際組織としてはがあり、加盟国はとされるが、実際には準加盟のまま大会だけ参加している地域が少なくない。なお、連盟規約第14条には「競技者は競技中、菊紋に対し過度の敬礼を行ってはならない」とあるが、何が過度かの判断は審判長の気分に委ねられている。
地方組織のなかでは、が古式の「舟標部門」を継承していることで知られる。ここでは標旗を受け渡す際にの戸を3回叩く慣習が残っており、現在も年に一度だけ公開練習が行われる。
脚注[編集]
[1] 菊池栄之助『菊標走法の研究』、1912年。
[2] 田辺ミヨ『花継ぎと大会番号の成立』、1929年。
[3] 山本一郎「草津花苗市場における周回競走の初期形態」『』第8巻第2号、pp. 41-58、1938年。
[4] 佐伯澄子『大正期花競技大会冊子集成』、1954年。
[5] H. C. Wainwright, "On the Visibility of Floral Standards in Endurance Races," 『Transactions of the International Floral Games Society』Vol. 3, No. 1, pp. 12-19, 1929.
[6] 編『菊環道規格書 第14版』、1987年。
[7] 村瀬重彦「外菊走法の運動力学」『』第21巻第4号、pp. 201-219、1971年。
[8] Elizabeth A. Rowe, "The Material Culture of Kikka-sho Implements," 『Journal of Imaginary Sports History』Vol. 11, pp. 77-96, 1998.
[9] 大津市旧港競技場史編集委員会『全国菊花賞選手権五十年誌』、2006年。
[10] 鈴木秋彦『標旗適正化行政の研究』、2018年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 菊池栄之助『菊標走法の研究』近江体育史料刊行会, 1912.
- ^ 田辺ミヨ『花継ぎと大会番号の成立』滋賀民俗競技研究所, 1929.
- ^ 山本一郎「草津花苗市場における周回競走の初期形態」『琵琶湖文化』第8巻第2号, pp. 41-58, 1938.
- ^ 佐伯澄子『大正期花競技大会冊子集成』京都菊藝出版社, 1954.
- ^ 村瀬重彦「外菊走法の運動力学」『体育と香気』第21巻第4号, pp. 201-219, 1971.
- ^ 日本菊花賞連盟編『菊環道規格書 第14版』日本菊花賞連盟, 1987.
- ^ 大津市旧港競技場史編集委員会『全国菊花賞選手権五十年誌』大津市文化振興課, 2006.
- ^ 鈴木秋彦『標旗適正化行政の研究』東都スポーツ法学会, 2018.
- ^ H. C. Wainwright, "On the Visibility of Floral Standards in Endurance Races," Transactions of the International Floral Games Society, Vol. 3, No. 1, pp. 12-19, 1929.
- ^ Elizabeth A. Rowe, "The Material Culture of Kikka-sho Implements," Journal of Imaginary Sports History, Vol. 11, pp. 77-96, 1998.
外部リンク
- 日本菊花賞連盟 公式資料室
- 国際花継連合 アーカイブ
- 大津旧港競技場 デジタル史料館
- 滋賀菊花保存会 公開練習記録
- 花継ぎ競技研究フォーラム