築地口
| 名称 | 築地口 |
|---|---|
| 読み | つきじぐち |
| 英語表記 | Tsukijiguchi |
| 起源 | 名古屋港の埋立地形成と荷さばき線の逸脱 |
| 成立年 | 1898年頃 |
| 提唱者 | 渡会清之助 |
| 主な適用地域 | 名古屋港周辺、熱田区南部、中川運河沿岸 |
| 関連制度 | 口留線協定、築地口標準時 |
| 派生現象 | 逆口現象、二重口、夜明けの口詰まり |
築地口(つきじぐち)は、に伝わる、港湾荷役と市街地の境界に生じる「口留め」現象を指す地名由来の概念である。の政策の副産物として成立したとされ、のちに・・の三分野にまたがる用語として広く知られる[1]。
概要[編集]
築地口は、本来は南部の周辺で使われた地理・物流用語であり、港へ入る荷物、あるいは市街へ抜ける人流が「どの口から出るか」を示す言い回しとして成立したとされる。のちにの拡張とともに、単なる方角表示ではなく、都市の出入口を管理するための半公的概念へと変化した。
この語は、末期に港湾施設の整備が進む中で、荷揚げ人足のあいだに生まれた隠語が官庁用語に取り込まれたものとされる。一方で、古くはの門前で使われた「築地の口」の略であるという説もあり、学界では長らく起源が争われてきた[2]。
歴史[編集]
語源と初期の用法[編集]
築地口の最古の記録は、の『港湾臨時取扱日誌』に見える「築地口より二十樽搬入」とする記述であるとされる。当時の「築地」は築堤地帯を意味し、「口」は搬入口を意味したが、がこれを都市計画用語へと転用したことで、概念は急速に拡張した。
渡会はの嘱託技師で、港の出入口に設けた木製標識を「口札」と呼び、荷主ごとに色分けした。青は海路直送、白は市街経由、赤は検疫待ちとされたが、実際には赤札が一番回転率が高く、周辺の茶屋では「赤札のほうが景気がいい」と囁かれていたという[3]。
制度化と拡張[編集]
期に入ると、築地口はの都市整備課で「交通の入り口を数理的に管理するための基準語」として採用された。特にと呼ばれる独自の時刻概念が導入され、港での潮位変化に合わせて掲示板の時刻を最大17分繰り下げる運用が行われた。
この制度により、周辺では「朝八時に開く店が、築地口時刻では七時四十八分開店になる」という奇妙な慣習が生まれた。商店主の間では不評であったが、逆に魚市場では「早すぎる開店を防げる」として歓迎され、には賛成票が反対票を4票上回ったと記録されている。
戦後の再解釈[編集]
後、築地口は物流語から半ば民俗学的な概念へと変わった。特にの『港の口と都市の腹』という論文で、都市は「入口を複数持つ胃袋」であり、築地口はその幽門にあたると論じられたことが大きい。これ以後、築地口は建築、交通、飲食店の暖簾位置にまで応用されるようになった。
なお、にはが「築地口の半径800メートル以内では、看板の矢印が平均して12度南へ傾く」とする調査を公表したが、測定に使った磁針がたまたまの車内広告と干渉していた疑いがある。
概念の構造[編集]
築地口は、単なる地名でも駅名でもなく、「都市における入口の正当性」を判定するための慣用体系として扱われることが多い。これにより、同じ交差点でも、海から来た場合は築地口、市内から来た場合は裏築地口と呼び分けられることがある。
また、築地口の特徴として「一見すると閉じているのに、実際にはよく通る」という逆説が挙げられる。港湾関係者のあいだでは、これを「口があるほど塞がる」と表現し、雨天時に限って荷役効率が上がる現象を説明するのに使われてきた。
この用語はにおいても応用され、の分岐点だけでなく、飲食店の入口、工場の搬入口、さらには選挙事務所の投票導線まで「築地口率」を算出する試みが行われた。もっとも、算出式は研究者ごとに異なり、最大で12種類の定義が併存したとされる。
社会的影響[編集]
築地口の普及は、周辺の商習慣に独特の秩序をもたらした。たとえば問屋街では「築地口を通した荷は返品しにくい」という暗黙の了解が生まれ、これが長期契約の前払い慣行を強化した。また、地元の小学校では交通安全教育の一環として「口を見て渡る」指導が行われ、横断歩道の前で児童が進路を三択から五択に増やしてしまう副作用も報告されている。
一方で、築地口をめぐる行政の過剰適用には批判もあった。には、近隣住民68世帯が「自宅玄関が勝手に築地口に分類された」として陳情書を提出し、で3回にわたり審議された。結局、玄関を「準築地口」として扱う妥協案が採用されたが、以後この表現は住宅展示場で一時的に流行した。
さらに、1980年代には若者文化のなかで「築地口へ行く」は「引き返せない用事に向かう」という比喩として使われた。とくにの終電を逃した際の絶望感と結びつけられ、沿線の飲み屋では「今日は築地口だね」という言い回しが半ば挨拶のように用いられたという。
批判と論争[編集]
築地口に対しては、早くから「行政が言葉を後から実体化したにすぎない」とする批判があった。の地理学者・佐々木兼松は、築地口を「港湾に寄生した説明過剰な語」と評し、用語としての自律性を認めなかった。ただし、その後に彼自身が築地口を用いた講義録を7回も残しているため、立場はやや曖昧である。
また、の『築地口再考』をめぐっては、著者が現地調査を一度も行っていないにもかかわらず、聞き取り対象が全員「築地口の重鎮」であったと記したことから、学会内で小さな騒ぎになった。なお、この騒動の際に最も強く反発したのが、実は築地口標準時保存会の会長ではなく、隣接するボウリング場の支配人であったことはあまり知られていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡会清之助『港湾入口語の形成と築地口』中部港湾史研究会, 1907年.
- ^ 佐々木兼松『都市の口と物流の倫理』東京地理学会誌, Vol. 18, No. 4, pp. 201-219, 1932.
- ^ 中部経済研究所『築地口半径800メートル圏調査報告』名古屋支所, 1961年.
- ^ 平松芳枝『築地口標準時の社会史』名古屋市史料編纂室, 1978年.
- ^ Marjorie L. Whitcombe, “Gate-Urban Interfaces in Port Cities”, Journal of Comparative Harbour Studies, Vol. 7, No. 2, pp. 44-63, 1984.
- ^ 渡辺精一郎『港の口留とその計量的解釈』東海都市工学叢書, 1989年.
- ^ 小笠原宗一『築地口再考』都市民俗学評論, 第12巻第1号, pp. 5-28, 1991年.
- ^ Eleanor P. Briggs, “Chronometry of Tidal Entrances in Modern Municipal Planning”, Urban Time Review, Vol. 3, No. 1, pp. 77-91, 1998.
- ^ 名古屋市役所都市整備課『築地口取扱要領』内部資料, 2004年.
- ^ 『港の口と都市の腹』編集委員会編『口の地政学』港湾思想社, 1954年.
外部リンク
- 築地口標準時保存会
- 中部港湾民俗資料館
- 名古屋港口留研究センター
- 都市入口学会
- 築地口アーカイブ・デジタル版