紀淡自動車道
| 路線名 | 紀淡自動車道 |
|---|---|
| 英語名 | Kitan Motorway |
| 種別 | 広域自動車道・海峡連絡道路 |
| 起点 | 和歌山県和歌山市加太地区 |
| 終点 | 兵庫県洲本市由良地区 |
| 計画延長 | 約31.4km |
| 主な構造 | 海上橋梁、沈埋トンネル、風洞式換気施設 |
| 事業主体 | 国土交通省近畿地方整備局 紀淡連絡推進室 |
| 構想公表 | 1988年 |
| 通称 | きたんライン |
紀淡自動車道(きたんじどうしゃどう、英: Kitan Motorway)は、南部と北端を結ぶとされたの広域自動車道構想である。主にを横断する海上高架区間と長大トンネルから構成される計画として知られている[1]。
概要[編集]
紀淡自動車道は、との交通結節点を補完する目的で構想されたとされる海峡横断型の自動車道である。沿岸の港湾機能をつなぐとともに、のバックアップ輸送路としても期待されたと説明されている。
この構想は、当初は側の観光導線整備案として扱われたが、のちに貨物車両の夜間分散や災害時の代替ルートとして拡大解釈され、事業規模が膨らんだとされる。なお、海峡部の平均風速が毎秒9.8メートルを超える日が年に112日あるという調査報告が、計画の難所として繰り返し引かれた[2]。
歴史[編集]
構想以前[編集]
起源は53年、の内部懇談会で示された「潮流の見える道路」というメモにさかのぼるとされる。これは、当時の担当技官であったが、船便の定時性を過大評価した結果、海上に道路を敷く方が早いと主張したことに由来するとされる[3]。
末には、側で観光バスの回送距離が年間1,860万kmに達すると試算され、これを根拠に「海峡を越えたほうが安い」という逆説的な説明が採用された。一方で、この試算には側の勾配条件がほぼ含まれておらず、のちに要出典扱いのまま議論だけが独り歩きした。
計画の具体化[編集]
にの前身組織内で「紀淡連絡ルート検討会」が設置され、海上橋梁案、浮体橋案、沈埋トンネル案の三案が並列で検討された。最も有力とされたのは、橋脚の基礎を潮汐に合わせて上下させる「半可動式橋脚」であったが、模型試験で橋脚模型が三度流失し、以後は資料室の棚上に封印されたという。
その後、の中間報告では延長、事業費、工期とされたが、同時に「風洞実験のための扇風機更新費が見積の4割を占める」と記され、内部で半ば笑い話として扱われた。これが報道各社に取り上げられ、紀淡自動車道は「計画そのものが観光資源」であると評された。
再編と停滞[編集]
に入ると、側ではとの接続を前提にした改修案が浮上し、和歌山側では系の観光輸送と連携する私案が提出された。しかし、海峡部の海底地質が想定より不安定で、ボーリング孔から小型のイカが出たという報告まであり、委員会は「生態系への影響評価を追加する」として審議を延期した[4]。
の災害対策見直しでは、代替路としての価値が再評価されたが、結局は既存港湾の耐震補強が優先された。以後、紀淡自動車道は実体のある道路というより、近畿圏の交通政策を語る際に必ず登場する「完成しない完成予定路線」として定着した。
計画内容[編集]
紀淡自動車道の標準断面は、片側2車線に非常退避帯を加えた方式で、海峡中央部では潮流観測塔を道路本体に一体化する仕様であったとされる。とくに紀淡海峡の最深部に設けられる換気塔は、周辺漁港から「灯台より目立つ」と反発されたが、説明会では「夜釣りの目印になる」として半ば説得材料に転用された。
また、料金体系については、通常車は、大型車は、観光バスは繁忙期にとする案が残っている。これは当時のの料金体系を参考にしたものだが、海峡横断であることから「航路代替割引」が付くという独自制度が検討され、結果として料金表だけが年々肥大化した。
社会的影響[編集]
紀淡自動車道は、着工前から地域社会に少なからぬ影響を及ぼしたとされる。和歌山市の一部では「開通すればまでの通学圏が広がる」との噂が広まり、地価が一時的に上昇したという民間調査がある[5]。また、洲本市では道路名にちなむ土産菓子「きたんもなか」が発売され、封を開けると中から道路模型の紙片が出てくる仕様が話題になった。
一方で、建設予定地周辺では海上工事への反対運動も起こり、「橋ができる前に潮が怒る」とする横断幕が掲げられた。これに対し、推進側は「潮流は設計荷重の一部である」と反論し、結果的に土木技術者と俳人が同じ討論会に登壇する珍事が生じた。
批判と論争[編集]
最大の批判は、事業費の妥当性よりも「そもそも道路としての優先順位が低いのではないか」という点にあった。これに対し推進派は、災害時の孤立回避、観光振興、港湾物流の三本柱を提示したが、反対派はそれぞれに既存インフラで代替可能であると指摘した。
また、紀淡自動車道の名称自体が「紀伊」と「淡路」を短く結びすぎているとして、県境の文化的距離を無視しているとの批判もあった。なお、に行われた住民説明会では、出席者の約3割が「高速道路ではなく高速船で十分」と回答したとされるが、調査票の回収箱が風で飛ばされたため、正式集計には採用されなかった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山口宏明『紀淡連絡ルート構想史』近畿交通出版, 1996, pp. 41-88.
- ^ 田村由紀子『海峡を走るという発想』土木評論社, 2001, pp. 12-35.
- ^ 近畿地方建設局『紀淡海峡横断交通調査報告書 第7巻』1989, pp. 5-114.
- ^ 渡辺精一郎『潮流と道路線形の相互作用』日本土木学会誌 Vol. 24, No. 3, 1990, pp. 201-219.
- ^ M. A. Thornton, “Floating Piers in the Kitan Strait,” Journal of Coastal Infrastructure, Vol. 11, No. 2, 1995, pp. 77-103.
- ^ 和歌山県企画部『紀淡自動車道と地域経済波及効果』和歌山県資料叢書, 1997, pp. 9-62.
- ^ 国土交通省近畿地方整備局『紀淡連絡推進室 年報 2004』, pp. 1-49.
- ^ 佐伯直人『海底トンネルとイカ類の行動学』海洋土木研究, 第18巻第4号, 2008, pp. 55-71.
- ^ 大阪都市圏交通研究会『阪神圏における海峡道路の制度比較』交通政策研究, 第6巻第1号, 2012, pp. 3-28.
- ^ 『紀淡自動車道整備構想に関する意見集』洲本地域振興協会, 2015, pp. 1-97.
外部リンク
- 国土交通省近畿地方整備局 紀淡連絡推進室
- 和歌山県地域交通アーカイブ
- 紀淡海峡技術資料館
- 関西海峡道路研究フォーラム
- 洲本市まちづくり図書室