納豆地理学
| 名称 | 納豆地理学 |
|---|---|
| 分野 | 地理学・食品文化学・発酵工学 |
| 提唱 | 1928年頃 |
| 提唱者 | 田島源三郎、メアリー・E・ホイットンほか |
| 対象 | 納豆の流通、嗜好、定着、名称変化 |
| 主な拠点 | 東京帝国大学、茨城県農事試験場、長野県穀類改良所 |
| 代表的指標 | 粘度等値線、朝食距離、糸引き偏差 |
| 隣接分野 | 食文化地理学、経済地理学、微生物民俗学 |
(なっとうちりがく、英: Natto Geography)は、としてのの分布・移動・定着を、・・・の相互作用から読み解くである。20世紀前半ので、納豆の「粘り」が地域の境界線を超えて拡散する現象を説明するために成立したとされる[1]。
概要[編集]
納豆地理学は、納豆がどの地域で好まれ、どの鉄道路線に沿って広まり、どの峠で失速するかを記述する分野である。単なる食品流通の研究ではなく、納豆のとの対応関係まで含めて扱う点に特色がある。
この分野では、納豆を「豆の加工品」ではなく「移動する地理現象」とみなす。たとえばでは粒納豆が優勢である一方、では包装の湿度管理が重視され、では朝食卓への到達距離が受容性を左右するとされた[2]。
成立史[編集]
黎明期[編集]
起源は末期、の地理学教室で行われた「可食粘性物質の地域偏在調査」に求められるとされる。中心人物の田島源三郎は、からへ向かう列車内で弁当の納豆が車窓風景に応じて味の印象を変えると主張し、同行した学生3名がこれを記録したことが端緒であった。
当初は学内でも奇異の目で見られたが、に刊行された田島の小冊子『』が、粘りの伸長距離を地図上に投影したことで注目を集めた。なお、この図版はの地形図に「糸の張力」を重ねたもので、後年の研究者からは「過剰に精密である」と評されている。
制度化[編集]
にはが加わり、納豆の輸送時間と菌の活性を結ぶ「朝食距離」概念が導入された。これにより、県境ごとの納豆受容を説明する際、単純な好みではなく「起床時刻の分布」まで考慮する必要があるとされた。
また、の分科会で「納豆圏」という語が初めて用いられたとされる。会場では、当時すでに各地の駅弁業者が「納豆の糸が車内装備を汚す」として反発していたため、研究はやや実務的な緊張を伴って進んだ。
戦後の発展[編集]
戦後はの食糧調査資料と結びつき、納豆地理学は輸送衛生の研究へと拡張した。特にの『東日本朝食地図』は、からにかけての納豆消費に「海風補正」を導入し、後世の教科書では標準図として扱われた。
一方で、には自家製納豆の普及により、地理学的な境界がむしろ家庭内に縮小したとの批判も出た。この時期、研究者たちは「都市の台所は新たな山脈である」と論じ、の階層構造を等高線になぞらえる独自の分析を行っている。
研究方法[編集]
納豆地理学の標準的手法は、現地観測、家庭訪問、ならびに糸引き測定である。とくに糸引き測定では、納豆を箸で持ち上げた際の最大伸長を単位で記録し、・・との相関を調べる。
また、地域比較には「粘度等値線図」が用いられる。これは単純な食味調査ではなく、駅から朝市までの徒歩圏、学校給食での採用率、さらに「弁当箱の蓋を開けた際の心理的距離」まで考慮した図法である。田島の流れを継ぐ研究者は、にで実施した調査で、通勤時間が27分を超えると納豆の好意度が急落するという、いかにも統計らしい結果を示した[3]。
なお、では低温保存が前提となるため「寒冷地納豆帯」が形成されるとされたが、実際には駅の暖房が強すぎる季節にピークがずれることがあり、学会では毎年のように小さな論争が起きている。
主要概念[編集]
納豆圏[編集]
納豆圏とは、納豆の常食化が一時的ではなく生活習慣として定着している地域を指す。判定には、購入頻度のみならず、冷蔵庫内における配置位置が含まれるとされる。
やの一部では「朝食の主食に対する従属率」が80%を超えるとされる一方、では「週末限定納豆圏」が形成されることが多い。この区分は厳密には科学的ではないが、行政文書に引用されることがある。
糸引き偏差[編集]
糸引き偏差は、同じ製品でも土地ごとに伸び方が異なる現象を説明する仮説である。研究者によれば、沿岸では湿度の影響で糸が「横に広がる」傾向があり、では乾燥のために「縦に強い」とされた。
ただし、この指標は計測者の箸の持ち方に左右されやすく、の共同研究では、同じサンプルに対し11名の調査員が最大4.7cmの差を出した。これを受けて、測定規格には「無言で食べ始めた時点を起点とする」条項が追加された。
朝食距離[編集]
朝食距離とは、納豆が製造地から食卓に届くまでの時間ではなく、食べる側が「朝らしさ」を感じるまでの心理距離を指す。研究史上もっとも有名な例は、で売られた納豆がの山間部に到達した際、実際の輸送時間よりも2時間早く「郷土食」と認識されたというものである。
この概念は、のちにの食文化振興資料にも引用され、納豆を地域資源として扱う政策に影響したとされる。
社会的影響[編集]
納豆地理学は、戦前の食品流通政策に一定の影響を与えたとされる。特には、冬季の車内における納豆容器の破損率を減らすため、以降、特定の急行列車で発酵食品専用の荷扱い手順を試験導入したという。
また、戦後の学校給食では、納豆地理学の図版を用いた教材が作成され、児童に「自分の町が納豆圏に入るか」を考えさせる授業が行われた。これにより、納豆は単なる献立ではなく、地域帰属を学ぶ装置になったともいわれる。
一方で、以降はSNS上で「納豆地理学マップ」が流通し、都道府県ごとの粘り度を巡って激しい言い争いが生じた。とくにとの境界問題は今も未解決である、との指摘がある[4]。
批判と論争[編集]
批判の第一は、納豆地理学がしばしば文化論と統計を無理に接合している点である。実証主義的な地理学者からは「納豆を地図に載せるだけで地域論になるわけではない」とする批判が繰り返された。
第二に、研究者の中には納豆の好みを気候や地形に還元しすぎる傾向があり、家族関係や学校環境の影響を軽視しているとの指摘があった。これに対して田島派は「家庭こそ最小の盆地である」と反論したが、比喩が強すぎるとして学会ではやや不評であった。
なお、の大会では、発表スライドに「納豆は等圧線に従って移動する」と記したことから、気象学会からも苦情が寄せられている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田島源三郎『納豆分布覚書』東亜地理叢書刊行会, 1928.
- ^ 渡辺精一郎「朝食距離の計測と納豆圏の成立」『地理学評論』Vol. 11, No. 3, pp. 144-167, 1934.
- ^ Mary E. Whitton, “On the Elasticity of Fermented Beans in the Kanto Plain,” Journal of Applied Food Geography, Vol. 4, No. 2, pp. 55-79, 1937.
- ^ 茨城県農事試験場編『納豆輸送と温湿度管理』茨城県農政資料第18号, 1955.
- ^ 佐伯隆一「糸引き偏差の地域差に関する覚え書き」『日本発酵文化学会誌』第7巻第1号, pp. 12-29, 1962.
- ^ Hiroshi Kanda, “Boundary Conditions of Natto Acceptance in Urban Households,” East Asian Cultural Geography Review, Vol. 9, No. 1, pp. 201-228, 1974.
- ^ 『東日本朝食地図』国立食文化研究所報告書第42巻, 1954.
- ^ 小松原安子『団地の朝と納豆の配置学』青磁書房, 1981.
- ^ 鈴木智恵「納豆地理学における粘度等値線の再検討」『人文地理』Vol. 31, No. 4, pp. 301-319, 1996.
- ^ National Institute for Fermented Spatial Studies, The Atlas of Sticky Foods in Japan, Vol. 2, pp. 88-113, 2008.
- ^ 田島源三郎・メアリー・E・ホイットン共著『納豆地理学概論』、地理科学出版社, 1939.
- ^ 加納一馬『朝食圏の地政学』、朝日文化新書, 2011.
外部リンク
- 日本納豆地理学会
- 東亜食文化地図アーカイブ
- 発酵地形研究所
- 朝食圏データベース
- 糸引き指数年報