純喫茶バザガジール
| 名称 | 純喫茶バザガジール |
|---|---|
| 種類 | 純喫茶建築 |
| 所在地 | 大阪府大阪市浪華区巴留町 |
| 設立 | 1968年 |
| 高さ | 地上3階・塔屋1階、軒高14.2m |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造・一部木造装飾 |
| 設計者 | 北嶋栄次郎 |
純喫茶バザガジール(じゅんきっさばざがじーる、英: Junkissa Bazagirl)は、にある建築である[1]。現在では後期の喫茶文化を象徴する建造物として知られている[1]。
概要[編集]
純喫茶バザガジールは、浪華区巴留町に所在する純喫茶建築である。扇形のファサードと、入口上部に取り付けられた回転式の電飾看板を特徴とし、開業当初から「座るだけで時間が一杯ぶん遅れる店」と評された。
現在では喫茶営業は行われていないが、に準ずる扱いで保存されており、観光案内ではしばしば40年代の都市娯楽史を語る上で欠かせない存在として紹介される。また、喫茶店というより小規模娯楽施設に近い複合建築だったともされ、地下に謎の“バザルーム”があったという証言が残っている[要出典]。
名称[編集]
「バザガジール」の名は、創業者の北嶋栄次郎が渡仏した際に目にしたバザール風の市場建築と、当時流行していた歌謡曲『ガジールの午後』を組み合わせた造語とされる。もっとも、地元では「“バザ”は賑わい、“ガジール”はガラス張りの塔屋を指す」という後付けの解釈も広く流通しており、名称の由来をめぐっては開業50周年記念誌でも意見が割れたままである。
なお、看板の表記は当初「純喫茶バザガジール」ではなく「純喫茶バザガヂール」であったとする古写真が複数確認されているが、1972年の外装改修で濁点の位置が修正されたという。これは、当時の看板職人・が「ヂ」の字面を嫌ったためと伝えられているが、本人の証言は残っていない。
沿革[編集]
創業期[編集]
、北嶋栄次郎はを見据えた来街者増加を背景に、喫茶店と待合所を兼ねた施設として同店を開業した。設計は大阪の建築事務所・北嶋設計室が担当し、回遊式の客席配置、可動式仕切り、そして1時間ごとに鳴る自動オルゴール装置が組み込まれた。
開業当初、周辺の映画館帰りの客に人気を博し、最盛期のには1日平均687杯のブレンドコーヒーが提供されたと記録されている。もっとも、当時の帳簿には「ブレンド」の欄にが混入しており、経理担当が眠気で記入を誤ったのではないかといわれている。
改装と転機[編集]
には地下部分の増築が行われ、いわゆるバザルームが設置された。これは当初、雨天時の客待ちスペースとして計画されたが、後に帰りの客向けの簡易舞台、さらに選挙期間中の応援演説会場へと用途が拡張され、用途不明の空間として有名になった。
の改装では、外壁に真鍮製の羽根飾りが追加され、朝日を受けると建物全体が金色に見えることから「浪華の小さな王宮」と報じられたことがある。一方で、この羽根飾りは鳥害対策のために設置されたという説明もあり、設計図面でも名称が「防鳥金具」と記されている。
保存活動[編集]
以降、老朽化に伴う解体計画が持ち上がったが、近隣の映画史研究会と喫茶文化保存会が反対運動を展開し、は同年末に「純喫茶景観保存協定」の試行対象に指定した。保存運動の中心人物であったは、店内の椅子の脚に刻まれた落書きの年代を一つ一つ記録し、それが結果的に来店客の動線分析に役立ったという。
その後、に一度だけ内部公開が実施され、3日間で計4,218人が来場した。だが、公開終了後に玄関の回転扉が逆回転したまま固定され、来場者アンケートの「退出しにくい」との回答率が81.6%に達したため、以後は完全予約制となった。
施設[編集]
建物は地上3階、塔屋1階からなる。1階は喫茶ホール、2階は小舞台と個室、3階は休憩室と資料棚、塔屋は「天気観測室」と呼ばれたが、実際には店主が来客数を双眼鏡で確認するための見張り台であったとされる。
喫茶ホールの中央には直径2.4mの大理石円卓があり、注文票はその周囲を環状に回っていた。こうした方式は「自動配膳に見せかけた人力の極致」と評され、1980年代の研究ではしばしば引用された。また、壁面の鏡は客数を実数より多く見せるために斜め3度で設置されており、満席率の演出に用いられたという。
2階の小舞台では、毎週土曜に「午後四時の朗読会」が開かれ、歌手や新劇俳優のほか、近隣の豆腐店主まで出演した記録がある。とくに11月の回では、停電により照明が落ちたまま上演が続行され、観客がろうそくの揺れに合わせて拍手したため、以後の店内イベントでは非常灯の色温度が固定された。
交通アクセス[編集]
最寄り駅は浪華筋線ので、徒歩7分とされる。もっとも、開業当初は駅が存在せず、来店客の多くはの支線から路面電車を乗り継いで訪れていたという。
店舗前にはかつて「バザ停」と呼ばれる小型バス停留所があり、雨天時には傘立てが満杯になるほど利用された。現在は廃止されているが、地元の年配者の間ではいまも「バザガジールで降りる」という言い回しが残っている。なお、建物西側の細い路地は車両進入禁止であるため、大型撮影機材の搬入には近隣の青果市場の搬入口が臨時利用されたことがある。
文化財[編集]
、外観の保存状態が良好であることから、の近代建築調査において「戦後喫茶文化を伝える希少な遺構」と評価された。正式なではないものの、に準じる扱いとして紹介されることが多い。
また、店内に残る木製メニュー板、回転式灰皿台、手動式ベル呼び出し機は、いずれも現存数が少ないとして注目されている。とくにメニュー板には「ミックスジュース 120円」「モカ・ド・ココア 180円」などの価格が当時のまま残されており、価格改定の痕跡が見られない点が研究者を困惑させている。
文化財指定をめぐっては、外壁の羽根飾りを「建築装飾」と見るか「巨大な看板」と見るかで意見が分かれたが、最終的には「看板に準ずる意匠」として折衷的に扱われた。これにより、建築史と広告史のどちらの資料館にも微妙に展示されないという珍しい状況が生じている。
脚注[編集]
[1] 純喫茶バザガジール保存協会 編『浪華純喫茶建築年表 1958-2018』、巴留町文化出版社、2019年。
[2] 北嶋設計室『バザガジール改修図集』第2巻第4号、1972年。
[3] 田島美佐子「純喫茶と都市待機空間の相関」『大阪都市文化研究』Vol. 18, pp. 44-67, 2011年。
[4] 松浦辰雄『看板職人の手記――濁点はどこへ消えたか』巴留書房、1985年。
関連項目[編集]
の建築
の観光地
脚注
- ^ 田島美佐子『純喫茶建築の都市記憶』巴留町文化研究所, 2012年.
- ^ 北嶋設計室『バザガジール外装改修報告書』第1巻第2号, 1972年.
- ^ Masaru Kondo, “Rotating Signage and Urban Appetite in Postwar Osaka”, Journal of East Asian Architectural Studies, Vol. 9, pp. 101-129, 2014.
- ^ 松浦辰雄『看板文字の民俗学』浪華出版, 1986年.
- ^ A. Thornton, “Waiting Rooms as Entertainment Devices”, The Journal of Civic Interiors, Vol. 22, pp. 55-78, 2009.
- ^ 大阪市建築保存課 編『大阪の純喫茶景観資源調査票』大阪市役所, 2017年.
- ^ 小笠原実『喫茶店と選挙演説――昭和都市の音響史』関西大学出版部, 2001年.
- ^ Elizabeth M. Kerr, “The Velvet Booth: Coffee, Memory, and Faux Palatial Design”, Architectural Folklore Review, Vol. 14, pp. 203-219, 2018.
- ^ 純喫茶バザガジール保存協会 編『浪華純喫茶建築年表 1958-2018』巴留町文化出版社, 2019年.
- ^ 高橋一成『大阪近代広告意匠史』第3巻第7号, 巴留学術叢書, 1997年.
外部リンク
- 浪華喫茶建築アーカイブ
- 巴留町まち歩き保存会
- 純喫茶景観研究ネットワーク
- 大阪都市装飾資料室
- バザガジール公開準備委員会