素人集団関東鉄道
| 名称 | 素人集団関東鉄道 |
|---|---|
| 読み | しろうとしゅうだんかんとうてつどう |
| 英語表記 | Amateur Kanto Railway Group |
| 設立 | 1978年 |
| 設立地 | 茨城県土浦市 |
| 活動期間 | 1978年 - 1994年頃 |
| 代表者 | 初代座長・小松原義一 |
| 主な活動 | 車両改造、線路保守実習、地域輸送の試験運用 |
| 構成員数 | 最大時47名 |
| 通称 | 素集(すしゅう) |
素人集団関東鉄道(しろうとしゅうだんかんとうてつどう)は、において鉄道趣味者、元整備士、自治体職員の有志が共同で運営していたとされる、半ば実験的な路線運営共同体である。にの旧資材置き場を拠点として成立したと伝えられている[1]。
概要[編集]
素人集団関東鉄道は、という名称を借りつつも、実際には鉄道会社ではなく、鉄道を自前で動かしてみたいという趣味者集団から発展した組織である。発足当初は周辺の倉庫会議で、線路の強度計算やブレーキの配分を独学で検討していたとされ、会合のたびに誰かが定規を忘れて帰るため、計画書の寸法が毎回数センチずつ変わったという逸話が残る[2]。
同団体は、のちにOB、の学生、地元の建設会社の現場監督を巻き込み、いわゆる「素人だが理屈だけは本物」という独特の文化を形成した。運営記録には、開業準備の段階で車両の行先表示板を「手書きのほうが温かい」と判断し、結果として毎回字が違うことがむしろ名物になった、と記されている。
成立の経緯[編集]
土浦資材置き場時代[編集]
前史は代前半、沿岸の資材置き場で行われた「動く模型線路」実験に求められる。当初はの延長であったが、参加者の一人が実物の台車を持ち込んだことで話が大きくなり、模型用モーターと農機具用バッテリーを直結して走らせる、きわめて危うい構成へと移行した。なお、この時点で「法的な線路」という概念がまだ参加者全員の共通理解になっていなかったとされる[3]。
小松原義一の加入[編集]
転機は、元保線係の小松原義一が顧問として参加したことである。小松原は、初回の見学で「こんなものは事故と友情の境目にある」と評したが、その後も毎週水曜日だけは現地に現れ、なぜかの角度調整にだけ異様な執念を示した。彼が導入した簡易点検表は、後年の地方鉄道の研修資料に似た形式を持ち、半数以上の参加者が「点検表のほうが本体より重い」とぼやいたという。
法人化断念と半公営化[編集]
にはへの法人化相談が行われたが、提出書類に「旅客の気分を改善するための揺れの設計」という項目があったため、審査は一時保留となった。その後、地域の要請を受けて、形式上は、実態は準鉄道運営体として再編され、車両の整備は会員の持ち回り、会計は元経理担当の主婦が一手に担う方式へと落ち着いた。ここで導入された「出発時刻は厳守、到着時刻は目安」という運行哲学が、後の同団体の代名詞となった。
運営の特色[編集]
同団体の最大の特色は、専門職がいないことを欠点ではなく審美として扱った点にある。車両整備は、、がそれぞれ勝手に得意分野を主張し、結果として床板は頑丈なのに座席だけ妙に柔らかい車両が多かった。
また、運行前の朝礼では必ず「今日は誰が責任者か」を確認したが、責任者が明確になると逆に現場が静かになってしまうため、実際には「責任の所在は全員で薄く持つ」という慣行が定着した。これはのちにの一部小規模交通事業者に模倣されたとされる[要出典]。
車両と路線[編集]
改造車両群[編集]
代表的な車両としては、元を改造した「K-3型」、中古の送迎バスを台車に載せた「霞ヶ浦連絡車」、および会員の寄付で集まった部品を組み合わせた「混成試作1号」が知られている。K-3型は最高速度が時速34キロメートルに制限されていたが、実測では停止後の振動が長く続くため、乗客の体感ではもっと速く感じられたという。
混成試作1号は前照灯が左右で色温度を変えていたため、夜間運行時に「右に曲がると青く、左に曲がると黄味がかる」という謎の視覚効果を生んだ。これが沿線の子どもたちに好評で、遠足シーズンには一日あたり最大126人が見学に訪れた。
土浦短絡線[編集]
路線は正式にはと呼ばれ、全長4.8キロメートルであったとされる。もっとも、測量担当がを忘れた日にで代用したため、年度によって4.6キロメートルから5.1キロメートルまで変動する記録が残っている。沿線にはを越える木橋があり、増水時には運行を止めるのではなく、乗客に「今日は川のほうが機嫌が悪い」と説明していたという。
終点の側には、ホームの代わりに古タイヤを並べた待合区画が設けられた。雨天時にはタイヤが滑るため、係員が一つずつ角度を直していたが、その作業の丁寧さが評価され、近隣の子ども会から「手入れが親切すぎる鉄道」と呼ばれた。
社会的影響[編集]
半ば、同団体の活動は地域交通の代替手段として注目され、周辺の農家が朝市への搬送に便宜利用するようになった。特にや方面からの荷物輸送は、正規の貨物便より遅いが確実だとして一定の支持を得た。
一方で、乗客の半数が会員紹介制であったため、外部からは「閉じた共同体」「鉄道趣味の自治体」と批判されたこともある。しかし、当事者たちはそれをむしろ誇りとして受け止め、1987年には会誌『素集月報』の発行部数が2,300部に達した。なお、その半数近くが運行ダイヤよりも座談会の議事録を読むために購読されていたとみられる。
批判と論争[編集]
最大の論争は、の「夜行試験運転事件」である。深夜の臨時列車が予定より23分遅れたことをめぐり、車掌役と制動担当が互いに「計器は正常だった」「正常であれば止まるはずがない」と主張し、翌週まで倉庫会議が紛糾した。結果として、責任の所在を示すための赤い腕章が導入されたが、視認性が高すぎて誰も着けたがらなかった。
また、の見学班からは、安全基準の一部に改善余地があると指摘されたとされる。もっとも、見学記録の末尾には「創意は豊かであるが、改札口の位置だけは毎回変える必要はない」と書かれており、これが半ば伝説化した。
その後[編集]
解散と分散[編集]
頃、中心人物の高齢化と資材置き場の再開発により、同団体は事実上の活動停止に至った。最後の定期運行では、送別会のほうが本運行より長かったとされ、参加者38名のうち17名が終点で乗車券を記念に持ち帰った。
後継組織への影響[編集]
その後、メンバーの一部はのイベント協力、の修繕ボランティア、各地のの研修講師などへ散っていった。彼らが持ち込んだ「まず動かしてから考える」という姿勢は、車両展示の可動化や体験運転会の拡充に影響したとされる。一方で、会計だけは最後まで人に押し付けがちであった。
脚注[編集]
[1] 小松原義一『地方線路共同体の成立と運行実務』関東交通史研究会, 2006年, pp. 41-58. [2] 斎藤和也『倉庫会議の鉄道学』交通文化社, 1998年, pp. 12-19. [3] H. Thornton, "The Amateur Gauge and Its Social Consequences," Journal of Hybrid Rail Studies, Vol. 14, No. 2, 2011, pp. 203-227. [4] 渡辺精一郎『茨城県南における準公共輸送の私史』筑波出版, 2012年, pp. 77-94. [5] M. K. Endo, "Handwritten Destination Boards as Community Media," Railway Semiotics Review, Vol. 8, No. 1, 2009, pp. 5-16. [6] 『素集月報』編集部「夜行試験運転と23分遅延の真相」『素集月報』第17巻第4号, 1990年, pp. 1-9. [7] 鳥居康雄『関東地方における自走式資材置き場の文化史』みすず交通新書, 2001年, pp. 101-113. [8] A. S. Mallory, "From Freight Wagons to Family Transit," Proceedings of the Eastern Transportation Society, Vol. 22, No. 4, 2015, pp. 88-104.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 小松原義一『地方線路共同体の成立と運行実務』関東交通史研究会, 2006年.
- ^ 斎藤和也『倉庫会議の鉄道学』交通文化社, 1998年.
- ^ 渡辺精一郎『茨城県南における準公共輸送の私史』筑波出版, 2012年.
- ^ 鳥居康雄『関東地方における自走式資材置き場の文化史』みすず交通新書, 2001年.
- ^ H. Thornton, "The Amateur Gauge and Its Social Consequences," Journal of Hybrid Rail Studies, Vol. 14, No. 2, 2011.
- ^ M. K. Endo, "Handwritten Destination Boards as Community Media," Railway Semiotics Review, Vol. 8, No. 1, 2009.
- ^ 『素集月報』編集部『夜行試験運転と23分遅延の真相』素集月報, 第17巻第4号, 1990年.
- ^ A. S. Mallory, "From Freight Wagons to Family Transit," Proceedings of the Eastern Transportation Society, Vol. 22, No. 4, 2015.
- ^ 高橋真琴『改札口の民俗誌』関東出版会, 2004年.
- ^ L. Bernard, "On the Ethics of Volunteer Rail Operations," Urban Mobility Quarterly, Vol. 6, No. 3, 2018.
外部リンク
- 関東地方交通資料アーカイブ
- 土浦地域鉄道史研究会
- 素集月報デジタル保存室
- 半公共輸送年報
- 茨城県南交通文化センター