細田 朋宏
| 人名 | 細田朋宏 |
|---|---|
| 各国語表記 | Tomohiro Hosoda |
| 画像 | Hosoda_Tomohiro_1939.jpg |
| 画像サイズ | 220px |
| 画像説明 | 第3次改造内閣期の細田 |
| 国略称 | 日本 |
| 国旗 | 日本国旗 |
| 職名 | 内閣総理大臣 |
| 内閣 | 細田内閣、第1次細田内閣、第2次細田内閣 |
| 就任日 | 1938年2月14日 |
| 退任日 | 1946年5月24日 |
| 生年月日 | 1898年4月18日 |
| 没年月日 | 1976年11月2日 |
| 出生地 | 静岡県駿東郡沼津町 |
| 死没地 | 東京都千代田区 |
| 出身校 | 東京帝国大学法学部 |
| 前職 | 大蔵省主計局官僚 |
| 所属政党 | 立憲民政党→細田改革会 |
| 称号・勲章 | 従一位、大勲位菊花章頸飾 |
| 配偶者 | 細田澄江 |
| 子女 | 2男1女 |
| 親族(政治家) | 細田栄一(弟) |
| サイン | Tomohiro_Hosoda_signature.svg |
細田 朋宏(ほそだ ともひろ、{{旧字体|細田朋宏}}、[[1898年]]〈[[明治]]31年〉[[4月18日]] - [[1976年]]〈[[昭和]]51年〉[[11月2日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。[[位階]]は[[従一位]]。[[勲等]]は[[大勲位菊花章頸飾]]。第63・64・65代[[内閣総理大臣]]、[[大蔵大臣]]、[[外務大臣]]、[[内閣官房長官]]を歴任した[1]。
概説[編集]
細田朋宏は、前期から戦後復興期にかけて活躍した政治家である。財政再建を旗印に台頭し、若くして出身の理論家として注目され、のちに政治史上最年少級で内閣総理大臣に就任した人物として知られている[2]。
細田はに所属していたが、党内対立を経て独自の改革路線に転じたことで、官僚出身政治家の典型像を塗り替えたとされる。また、議会運営の巧妙さから「沼津の帳簿師」と呼ばれ、閣僚として、、を歴任した[3]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
1898年、駿東郡沼津町の海運問屋の家に生まれる。父・細田泰治は地方紙に折込広告を一括納入する実業家であり、母・すみは旧の御用達商人の家系に連なるとされる。幼少期から家計簿を写す癖があり、近隣では「算盤を持った子」として知られていたという[4]。
1911年には地元のに入学し、校内の模範生として表彰されたが、同年、学級日誌を使って生徒会予算の不正流用を摘発したことが後年の政治観に影響したとされる。この逸話は本人の回想録と一部で一致しない点があるが、細田研究ではむしろ「初期の政治的演出」として扱われている。
学生時代[編集]
1917年にへ進学し、翌年法学部政治学科に入学した。大学ではの貨幣政策を研究しつつ、学内の「自治寮再建委員会」に参加し、寮費の端数を0.3銭単位で再計算したことで名を上げた[5]。
また、当時のゼミでは「国家財政は胃袋である」という持論を展開し、教授からは半ば呆れられたが、後の予算編成でこの比喩をそのまま官僚文書に転用したため、細田式修辞として知られるようになった。なお、在学中に留学の候補に挙げられたが、本人が「英語より帳簿が先である」と断ったという話が残る。
政界入り[編集]
1921年にへ入省し、主計局で海軍費・鉄道補助金・北海道拓殖費の査定に携わった。細田は数字合わせの精密さから急速に昇進し、1928年には補佐として異例の若さで政務に関与した[6]。
1932年、にから立候補し、初当選を果たした。官僚出身ながら演説が妙に長く、選挙戦では「家計の話をしているうちに国家論になる男」と評された。同年、細田は議会で対策を論じ、財政出動と緊縮の両立を掲げたことで、党内の若手改革派の中心に押し上げられた。
大蔵大臣時代[編集]
1934年、第2次若槻内閣においてに就任した。細田は金解禁の再調整、地方債の償還延期、軍需関連予算の帳尻合わせを同時に進め、当時としてはきわめて異例の「月次財政報告」を導入した[7]。
この時期、彼は省内に「特別繰延課」という非公式班を設けたとされるが、実際には秘書室の黒板に付箋を貼っただけだったとの指摘もある。それでも、細田の指導で予算案の提出遅延が年間平均11.4日短縮されたという数字が残っており、後に官庁会計改革の先駆と評価された。
内閣総理大臣[編集]
1938年、政局の混乱を受けて第63代内閣総理大臣に就任した。細田内閣は、財政健全化と統制経済の拡大を両立させる「二重帳簿型国家運営」を掲げ、物資配給の電子化ならぬ「電算票」制度を試みたが、実際には穴あきカードを人力で照合する方式であった[8]。
第64・65代内閣ではとの再編を進め、国民生活局を創設した。特に、全国の郵便局で米穀配給の受付を行う「郵政連動型食糧台帳」は評判を呼び、都市部では朝4時台に窓口前へ行列ができたという。なお、細田は官邸地下に「国家簡素化研究室」を置き、ここで各省の文書量を毎月2.7%ずつ削減する実験を行ったとされる。
退任後[編集]
1946年、戦後の政界再編により退任した後は、公職追放を経て、財政政策研究会の名誉顧問として表舞台から退いた。その後、目黒区で小規模な研究会を主宰し、戦前戦後の会計制度の比較講義を続けた[9]。
1952年に追放解除後、細田は一時的に再出馬を検討したが、最終的には家族の反対と健康悪化により断念した。晩年はの討論番組に時折出演し、各界の財政運営を批判しつつも、自らの内閣については「紙の上では最良、机の上では最悪」と評したと伝えられている。
政治姿勢・政策・主張[編集]
内政[編集]
細田の内政は、緊縮と再分配を奇妙に接続する点に特徴があった。彼は公共事業を単なる景気対策としてではなく「社会の余白を埋める装置」と定義し、地方港湾、灌漑、学校給食の三分野に重点配分した[10]。
一方で、予算削減のために官庁ごとに紙の厚さを統一する「標準帳票法」を推進し、政府文書の用紙重量を年間1,800トン削減したとされる。ただし、この数値は地方出先機関の副簿まで含めたもので、実効性をめぐっては議論がある。
外交[編集]
外交面では、細田はの安定化ととの金融対話を両立させる「多正面均衡外交」を掲げた。外務大臣在任中には、の国際会議で通貨安定に関する長文メモを配布し、各国代表の間で「メモの細田」として知られたという[11]。
また、問題については「現地協調」を主張しつつも、国内の新聞報道では一貫性に欠けると批判された。もっとも、細田自身は「外交とは相手の机の高さをこちらに合わせさせる技術である」と語ったとされ、この語録は後に外務官僚の間で妙に流行した。
人物[編集]
性格・逸話[編集]
細田は寡黙である一方、数字の端数に異様なこだわりを示した。会議では資料の余白に鉛筆で修正案を追記し、相手が読み終える前に結論が変わっていることもあったため、秘書官からは「先に結論が走る人」と呼ばれた[12]。
晩年の逸話として、官邸で出されたの濃さを理由に閣議が20分遅延した話が残る。これは一見些細であるが、細田が「細部の統制は国家統治の入口である」と考えていたことを示す例として引用されることが多い。
語録[編集]
細田の語録として有名なのは、「予算は国の履歴書である」「会計を制す者は、沈黙を制する」「民意は票ではなく請求書に現れる」などである[13]。
ただし、最後の一節は後年の編集で付加された可能性があるとされる。また、地方講演で「国家は家計簿よりも雑でなければならない」と述べた記録もあるが、文脈上は「雑」ではなく「多様」と言ったという証言が対立している。
評価[編集]
細田朋宏の評価は、戦前官僚政治の完成者として高く評価される一方、統制色の強い経済運営と議会軽視の傾向を批判されてきた。とりわけ、彼の財政哲学が戦時体制に制度的正当性を与えたとの指摘がある[14]。
他方、戦後の財政民主主義の基礎整備に与えた影響も小さくなく、の後身組織における予算査定基準、地方財政再建法、統計年報の簡素化などに細田方式の残響が見られるとされる。なお、1960年代の官僚研究では、彼の改革を「成功した失敗」と呼ぶ論者もいる。
家族・親族[編集]
細田家は沼津の商家に端を発し、朋宏は三男として生まれた。長兄・細田安次は議員、弟・細田栄一は戦後にを務めたとされ、政治家一家の系譜にある[15]。
配偶者の澄江は旧系の出身で、婦人会活動と戦災孤児支援に尽力した。子女は2男1女で、長男・朋一は外交官、次男・宏二は地方銀行頭取、長女・和子は教育者となった。なお、末子の和子が父の演説原稿を赤鉛筆で添削していたという証言が残るが、本人はこれを「家の中の野党」と呼んでいた。
選挙歴[編集]
1928年、で初めて衆議院議員総選挙に立候補したが落選した。1932年に再挑戦して初当選を果たし、その後は5回連続当選を獲得した[16]。
1942年の総選挙では、戦時下の厳しい選挙管理のもとで圧勝したとされるが、投票率の算出方法をめぐって異論がある。戦後の1947年選挙では公職追放の影響で不出馬となり、これが事実上の政界引退の契機となった。
栄典[編集]
細田は1945年にを受章し、1958年にを追叙された。さらに1969年にはを授与され、戦前戦後を通じた国家運営への功績が公式に顕彰された[17]。
また、系の記録では、地方行政の整備に対して褒賞を受けたとあるが、該当文書の一部が戦災で焼失しているため、詳細は不明である。
著作/著書[編集]
細田は政治家でありながら、いくつかの著作を残している。代表的なものに『財政と国民生活』(1936年)、『国家会計の技術』(1941年)、『簡素化の哲学』(1959年)がある[18]。
とりわけ『国家会計の技術』は、実務書でありながら随所に「帳簿は倫理である」という文言が挿入され、後世の行政学者に引用された。ただし、晩年の随筆『茶碗の底から見た国家』は、書名の妙に比して内容がきわめて堅いことで知られる。
関連作品[編集]
細田朋宏を題材とした作品としては、1954年の映画『帳簿の男』、1967年のNHK特集『首相官邸の鉛筆削り』、1998年の舞台『沼津、四〇分前』などがある[19]。
また、1973年放送のラジオドラマ『細田内閣閣議録』では、本人の演説をもとにした長尺の財政対話が再現され、聴取者の一部から「寝つきが良い」と評された。資料映像が少ないため、後年の映像化ではしばしば別人の手元写真が流用されている。
脚注[編集]
1. 細田家文書編纂委員会『細田朋宏年譜』による。 2. ただし、内閣の代数表記には異説がある。 3. 『官報』昭和11年2月15日号。 4. 沼津市史編さん室『近代沼津の商家』。 5. 東京帝国大学法学部同窓会『一高・東大政治学科名簿』。 6. 大蔵省主計局「若年官僚昇進記録」要出典。 7. 細田朋宏『財政と国民生活』序文。 8. いわゆる電算票制度は後年の回想に依拠する部分が大きい。 9. 目黒区文化センター蔵「戦後政治講話録」。 10. 地方財政再建協議会『配分政策の変遷』。 11. ジュネーヴ代表部資料集第14巻。 12. 秘書官・植村善作の日記より。 13. 『細田語録抄』、戦後版。 14. 政治史研究会『昭和前期官僚制の研究』。 15. ただし、親族関係の一部は家系図上の表記に揺れがある。 16. 衆議院選挙史編纂会『総選挙一覧』。 17. 宮内省『叙位叙勲録』。 18. 国立国会図書館蔵書目録。 19. 日本映像史資料室『政治家と映像文化』。
参考文献[編集]
河村敬一『昭和財政官僚の系譜』岩波書店, 1987年.
Margaret L. Thornton, Fiscal Cabinets of Prewar Japan, University of California Press, 1994, pp. 211-246.
細田朋宏記念会編『細田朋宏全集』第3巻, 日本評論社, 1962年.
山岸修『戦時統制と議会政治』東京大学出版会, 2001年.
Samuel J. Wainwright, The Ledger and the Empire, Vol. 8, No. 2, Cambridge Historical Review, 2008, pp. 45-79.
佐伯啓介『首相官邸の会計術』中央公論新社, 2010年.
K. Mori, "Budgetary Minimalism in Imperial Japan", Journal of Asian Political History, Vol. 12, No. 4, 2015, pp. 301-339.
『細田朋宏とその時代』沼津郷土出版, 1979年.
小笠原真一『官房長官の言葉学』講談社, 1998年.
Eleanor P. Hughes, "The Politics of Paper Weight", Public Administration Quarterly, Vol. 19, No. 1, 1971, pp. 88-113.
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
細田朋宏記念デジタルアーカイブ
国立細田資料館
昭和政治人物研究所
沼津近代史ネットワーク
首相官邸歴史人物コーナー
脚注
- ^ 河村敬一『昭和財政官僚の系譜』岩波書店, 1987年.
- ^ Margaret L. Thornton, Fiscal Cabinets of Prewar Japan, University of California Press, 1994, pp. 211-246.
- ^ 細田朋宏記念会編『細田朋宏全集』第3巻, 日本評論社, 1962年.
- ^ 山岸修『戦時統制と議会政治』東京大学出版会, 2001年.
- ^ Samuel J. Wainwright, The Ledger and the Empire, Vol. 8, No. 2, Cambridge Historical Review, 2008, pp. 45-79.
- ^ 佐伯啓介『首相官邸の会計術』中央公論新社, 2010年.
- ^ K. Mori, "Budgetary Minimalism in Imperial Japan", Journal of Asian Political History, Vol. 12, No. 4, 2015, pp. 301-339.
- ^ 『細田朋宏とその時代』沼津郷土出版, 1979年.
- ^ 小笠原真一『官房長官の言葉学』講談社, 1998年.
- ^ Eleanor P. Hughes, "The Politics of Paper Weight", Public Administration Quarterly, Vol. 19, No. 1, 1971, pp. 88-113.
外部リンク
- 細田朋宏記念デジタルアーカイブ
- 国立細田資料館
- 昭和政治人物研究所
- 沼津近代史ネットワーク
- 首相官邸歴史人物コーナー