終活解禁
| 名称 | 終活解禁 |
|---|---|
| 分類 | 高齢者政策・家族法・生活設計 |
| 発祥 | 1978年頃、神奈川県横浜市の試験事業 |
| 主導機関 | 生活終末設計推進協議会 |
| 対象 | 本人・家族・介護事業者・葬送関連業者 |
| 主要文書 | 終活解禁実施要綱(改訂第4版) |
| 普及地域 | 首都圏、近畿圏、北海道南部 |
| 関連法令 | 個人意思記録促進指針 |
終活解禁(しゅうかつかいきん)とは、の終末設計を事前に公開・共有することを制度的に認めるとされるの社会慣行である。もともとは後期の自治体実験から始まり、のちに系の研究会を経て全国へ広まったとされる[1]。
概要[編集]
終活解禁は、本人が生前に葬送、財産整理、デジタル遺品、墓所の選定などをあらかじめ申告し、それを家族や自治体が閲覧できるようにする制度的枠組みである。一般には「死の準備を早く始める運動」と誤解されるが、実際には、遺族間の揉め事を減らすためにの補助的制度として設計されたとされる[2]。
この慣行は、で行われた高齢者向け生活相談事業の一環として始まったとされ、当初は「終活」ではなく「後始末登録」と呼ばれていた。ところが、1981年の広報誌『よこはま暮らし通信』第7号に掲載された特集記事が反響を呼び、やや刺激的な呼称として「解禁」の語が採用されたという。なお、当時の担当課長であったが、会議で「死後のことを生前に決めるのは、ある意味で禁を解くことだ」と発言したのが語源とされるが、裏取りの難しい逸話でもある[3]。
定義の揺れ[編集]
このため、1986年には「本人の意思を、死後ではなく生前に、しかも可視化すること」を定義として整理した。しかし実務上は、本人が希望する葬送BGM、戒名候補、遺影の色味まで含める場合があり、職員の間では『人生の仕様書』と呼ばれていたという。
制度の性格[編集]
もっとも、後年の研究では、こうした過剰な詳細化がかえって家族間の意思疎通を促したとの指摘もある。『先に決めておくことで、逆に生き方が整理される』という標語は、この時期にの市民講座で生まれたと伝えられている。
歴史[編集]
萌芽期(1970年代後半)[編集]
1980年にはの庁内プロジェクトとして『終末情報の事前共有に関する試験』が始まり、窓口で配布された冊子は1万2,400部を刷ったにもかかわらず、実際に返送された登録票は317件にとどまった。理由は、書式の最後にあった「遺品のうち、後輩に譲るべきもの」に関する欄が妙に重かったためだとされる。
普及期(1980年代)[編集]
このころから、葬祭業界では「生前見積り」という商慣行が急増した。都内の大手葬儀社の社内報によれば、1989年度の終活解禁関連相談は前年の3.6倍に増え、うち7割が『自分のときだけは派手にしてほしい』という、制度趣旨とは微妙にずれた内容だったとされる。
制度化と反発(1990年代以降)[編集]
一方で、「死の準備を制度が後押しするのは不気味である」とする批判も出た。とくにの新聞投書欄では、東京都内の主婦が『まだ生きているのに遺影の明るさを選ばされるのは落ち着かない』と投稿し、これが大きな議論を呼んだ。これに対し、協議会側は『明るい遺影は長寿の象徴である』と反論したが、説得力は今ひとつであった。
運用[編集]
終活解禁の運用は、本人申請、家族同意、第三者照合の三層構造を基本とする。申請書は自治体の窓口、郵送、または一部の信用組合で取り扱われ、記入後は「終末意思保管箱」に封入される。保管箱は温度管理こそ必要ないが、湿気による封緘不良がしばしば問題となり、では茶箱を流用した保管法が採用されたこともある。
社会的影響[編集]
終活解禁は、高齢者福祉の文脈だけでなく、消費文化にも影響を与えた。たとえばでは「終活解禁フェア」が季節催事として定着し、遺影用の額縁、簡易仏壇、本人の好きだった味を再現する『最期の晩餐セット』が売られた。1997年のでは、初日の来場者が2,300人に達し、うち約18%が『まだ早いが情報だけ欲しい』という理由で訪れていた。
また、家族関係にも微妙な変化が生じたとされる。解禁帳票をめぐっては、子や孫が本人の希望を先回りして読み取るケースが増え、『葬儀前会議』が正月の親族会議より長くなる家庭もあった。特に遺骨の分骨比率を巡る項目は揉めやすく、ある家では0.5%単位で議論され、最終的に公認会計士を同席させたという記録が残る。
文化面への波及[編集]
なお、若年層への波及も無視できず、2000年代後半には大学のゼミで「自分の終活解禁案」を発表する課題が流行した。これにより、履歴書より先に墓石の書体を決める学生が出たともされるが、さすがに逸話の真偽は定かではない。
経済効果[編集]
総務研究所の試算によれば、終活解禁関連市場は時点で年間約4,860億円に達したとされる。内訳は、葬祭、保険、整理収納、写真修整、ペット継承、そして『本人の最終希望を丁寧に聞くサービス』が中心である。
一方で、この市場拡大により、あえて希望を多く書かせることで追加契約を誘発する業者も現れた。消費者庁の注意喚起資料では、ある事業者が『解禁しないと家族が困る』と不安を煽った例が紹介されているが、資料の末尾はなぜか筆が滑ったように『最終的には気持ちの問題』で締めくくられていた。
批判と論争[編集]
終活解禁には、制度が本人の意思を尊重する一方で、死や老いを早くから商品化するとの批判がある。とくに宗教界からは、『生前に結末を固定することは、無常観を損なう』という指摘が繰り返された。これに対して推進側は、『あらかじめ決めることと、意味を失うことは同義ではない』と反論している。
また、には、の施設で利用者の終活解禁情報が誤って地域広報紙に掲載される事故が起きた。掲載内容には「好きな花は菊」「会食は寿司より煮物を希望」など生活情報が含まれ、当事者が『自分の好みが町内に丸見えになった』と抗議したため、翌月からは色分けされた封筒方式が導入された。この件は、プライバシーと家族共有の線引きをめぐる象徴的事件として扱われている。
法制度上のあいまいさ[編集]
なお、2016年に検討された全国統一案は、条文が長すぎるとしてパブリックコメントで多数の要約希望が寄せられた。なかには『結局、誰が最終的に決めるのかを一文で書いてほしい』という意見もあり、制度の難しさが浮き彫りになった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『終活解禁の社会史』生活終末研究叢書, 1994.
- ^ 小田切宗一『人生終末設計論』中央福祉出版社, 1988.
- ^ 佐伯美奈子『解禁される死生観』新曜社, 2006.
- ^ 高橋亮介『準法的行為としての終活解禁』法政評論, Vol. 14, 第2号, pp. 33-61, 2011.
- ^ M. A. Thornton, “Pre-Disclosure Rituals in Late-Life Planning,” Journal of Civic Mortality Studies, Vol. 9, No. 3, pp. 112-140, 1999.
- ^ K. Yamashita and R. Feldman, “Administrative Release of Posthumous Preferences,” Urban Welfare Review, Vol. 21, No. 1, pp. 5-29, 2008.
- ^ 『よこはま暮らし通信』第7号, 横浜市生活局, 1981.
- ^ 厚生省高齢者対策室『終活解禁モデル市町村報告書』第4集, 1989.
- ^ 白菊セレモニー社内報編集部『生前見積りの現在』白菊セレモニー出版部, 1990.
- ^ 生活終末設計推進協議会『終活解禁標準帳票第1版』, 1993.
- ^ 中村志朗『終活解禁と家族会議の変容』家庭文化研究, 第18巻第4号, pp. 77-103, 2017.
- ^ Margaret H. Ellis, “The Brightness of Posthumous Portraits,” International Journal of Thanatic Policy, Vol. 2, No. 4, pp. 1-18, 2014.
外部リンク
- 生活終末設計推進協議会アーカイブ
- 横浜市終活解禁資料室
- 終末意思保管箱研究センター
- 市民葬送文化フォーラム
- 全国事前共有推進ネットワーク