給食の為替レート
| 名称 | 給食の為替レート |
|---|---|
| 分野 | 学校給食学・食糧行政・栄養経済 |
| 提唱 | 1938年頃 |
| 普及 | 1952年以降 |
| 主な適用対象 | 小学校・中学校の献立編成 |
| 基準単位 | ミルク1本相当値 |
| 関連機関 | 全国学校給食会議、旧食糧庁給食調整班 |
| 現在の扱い | 非公式指標として存続 |
給食の為替レート(きゅうしょくのかわせレート、英: School Lunch Exchange Rate)は、学校給食における主食・副食・牛乳・デザートなどの相対的な交換価値を示す指標である。戦後のと周辺で独自に発達したとされ、のちにとは別系統の実務慣行として全国の栄養教諭に共有された[1]。
概要[編集]
給食の為替レートとは、学校給食において、ある品目を別の品目に置き換える際の価値差を数値化したものである。たとえば、半分と一杯が等価と見なされる地域があった一方、の箱数を基軸通貨のように扱う自治体も存在したとされる。
この指標は、食材不足が慢性化した昭和前期に、献立の公平性を確保するための「便宜上の計算式」として生まれた。もっとも、現場ではしばしば児童の人気や教職員の好みが介入し、理論上のレートがそのまま運用されることは少なかったとされている[2]。
歴史[編集]
戦前の試算と「一汁一菜単位」[編集]
起源は頃、内の臨時給食研究会で作成された「一汁一菜単位表」に求められる。これは、の影響で主食量が日々変動したため、、、、を相互に換算するための簡易表であった。
この時期のレートは、主に「満腹感の持続時間」を基準にしていたとされる。なお、当時の試算では1個は2個分とされていたが、実際には校庭での人気が高すぎて、職員室で勝手に1.6個分へと改定されたという記録が残る[3]。
戦後復興期の標準化[編集]
、との間で行われた連絡会議により、給食の為替レートは「栄養価だけではなく、配膳速度と残食率も加味すべき」と整理された。これを受け、の複数自治体では、を「油脂系」と「副菜系」に二重計上する方式が採用された。
また、の一部学校では、雨天時に牛乳の到着が遅れるとレートが自動的に1.08倍になる「遅延補正係数」が使われた。給食主任のは、この仕組みを「子どもの空腹は市場を動かす」と説明したが、同僚からは「かなり乱暴な金融理論である」と記録されている[4]。
高度成長期の相場変動[編集]
の東京五輪前後になると、給食の為替レートは食材輸送の効率化に伴って一時的に安定した。しかしの世界的な穀物価格高騰により、の価値が急騰し、1杯と引き換えにを2皿要求する学校が現れた。
この混乱を受け、は「主食ペッグ制」を導入し、を基準通貨に据えた。だが、実際の現場ではパン派の学校が「パン・フロート制」を主張し、ではを準備金扱いする奇妙な運用が併存したとされる[5]。
制度の仕組み[編集]
基準通貨としての牛乳[編集]
給食の為替レートにおいて最も安定した基準は、長らく紙パックのであった。これは、季節を問わず出荷量が比較的一定で、かつ児童が「何となく損をした気がしない」ためであると説明された。
一部の学校では、牛乳1本を「1.00ミルク」と定義し、は0.83ミルク、は0.47ミルクとして換算された。もっとも、給食委員会の児童がゼリーの小ささに不満を示すと、翌週から0.52ミルクへ改定された例がある[6]。
季節調整と「寒冷地スプレッド」[編集]
寒冷地では食材の保温コストが高いため、やの一部自治体では、冬季に「寒冷地スプレッド」と呼ばれる上乗せ率が設定された。たとえば、は通常期の1.00に対し、2月のみ1.14へ上昇し、これは運搬車両のアイドリング時間を反映したものとされる。
逆にでは、夏場の食欲低下を補うため、やのレートが意図的に割高に設定され、配膳係が「南方平衡」と呼ぶ独自調整が行われていた。これが児童の人気投票を歪めたとの指摘もある[7]。
主要な換算表[編集]
以下は、版「標準給食換算表」に基づくとされる代表的なレートである。実務では学校ごとに微修正が加えられたが、全国的にはこの表が最も広く参照された。
・1個 = 0.92ミルク
・1皿 = 1.13ミルク
・1個 = 1.41ミルク
・1杯 = 0.38ミルク
・1個 = 0.29ミルク
・1個 = 0.76ミルク
・1袋 = 1.07ミルク
・1人前 = 0.64ミルク
・1切れ = 1.22ミルク
・1個 = 1.66ミルク
・1個 = 0.58ミルク
・1食 = 1.19ミルク
・1杯 = 0.97ミルク
・1個 = 0.21ミルク
なお、の値が高いのは、製造コストだけでなく「昇降口での人気が高く、残食ゼロになりやすい」ことが反映されているためである。逆にが妙に安いのは、汁気による持ち運びリスクが割引されたからだと説明されることが多い[8]。
社会的影響[編集]
給食の為替レートは、単なる献立管理を超えて、児童同士の交渉文化にも影響を与えた。たとえばのある小学校では、人気メニューが出た日に「交換屋台」が自然発生し、2口と半分の交換が成立していたという。
また、教員側では、年度末に余った食材をどの献立へ振り分けるかを巡って、校内で半ば市場のような議論が行われた。のは「レートは教育的でもあり、政治的でもある」と述べたとされるが、同時に「子どもが最も厳しい為替監視員である」とも記している[9]。
一方で、過度な数値化は「食べ物を点数化しすぎる」との批判も招いた。特にのの事例では、が低レートであることに保護者会が抗議し、説明会が3時間半に及んだ。最終的に校長が「これは文化である」と発言し、会場が静まり返ったという逸話が残る。
批判と論争[編集]
この概念は、あくまで学校現場の便宜的な指標にすぎないにもかかわらず、ある時期には「給食経済学」として半ば独立した学問のように扱われた。そのため、の一部では「児童の満足度を市場原理に委ねるべきではない」とする批判があった。
また、にが発表した「レート変動と箸の持ち方の相関」という報告書は、統計処理の妥当性に疑義があるとして要出典扱いとなったが、なぜか現場では頻繁に引用された。さらに、ある研究者はの価値が高すぎると主張し、逆に別の研究者は「主菜を優遇すると野菜が市場から消える」と反論したため、会議はしばしば停滞した。
なお、の改訂で「牛乳基準」は一旦廃止されたが、実務上はやが準基軸として使われ続けたため、完全な撤廃には至らなかったとされる[10]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯千鶴『学校給食換算表の理論と実務』全国学校給食会議, 1954年.
- ^ 田村久美子『ミルク単位と児童満足度』日本栄養経済学会誌 Vol.12, No.3, pp. 41-58, 1979年.
- ^ Harold W. Benton, "Rations and Lunch Prices in Postwar School Systems," Journal of Educational Food Policy, Vol. 8, No. 2, pp. 113-129, 1961.
- ^ 渡辺精一郎『一汁一菜単位表の成立』文部省食育資料集, 第4巻第1号, pp. 7-22, 1940年.
- ^ 加藤由紀子『寒冷地スプレッドの季節補正に関する研究』北海道学校給食研究, Vol. 5, No. 1, pp. 3-19, 1983年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Milk as a Base Currency in Classroom Economics," The Pedagogical Quarterly, Vol. 14, No. 4, pp. 201-219, 1976.
- ^ 『標準給食換算表 昭和53年度版』東京都給食調整委員会, 1978年.
- ^ 小林俊介『揚げパン1.66ミルク説の再検討』食と教育, 第9巻第2号, pp. 88-97, 1987年.
- ^ Elizabeth R. Moore, "The Politics of Soup in Elementary Lunchrooms," Public Nutrition Review, Vol. 3, No. 1, pp. 1-14, 1990.
- ^ 『給食レート改訂要覧 1998』全国学校給食会議資料室, 1998年.
- ^ 中村房枝『ココア牛乳の準基軸通貨化について』学校保健と栄養, Vol. 17, No. 2, pp. 55-63, 2001年.
外部リンク
- 全国学校給食会議アーカイブ
- 東京都給食調整委員会デジタル資料室
- 食糧と教育の交差点研究会
- ミルク単位史料館
- 学校給食レート年鑑