総務省
| 正式名称 | 総務省 |
|---|---|
| 英語名称 | Ministry of General Affairs |
| 設置 | 1948年(前身組織を含む) |
| 本庁所在地 | 東京都千代田区霞が関 |
| 管轄 | 行政管理、地方自治、統計、電波、郵政調整 |
| 前身 | 内務調整院、逓信臨時監理部 |
| 初代局長 | 小野寺慎之介 |
| 象徴色 | 霞鼠(かすみねず) |
| 通称 | 霞が関の整理棚 |
| 関連法令 | 総務省組織整理法 |
(そうむしょう、英: Ministry of General Affairs)は、霞が関に本庁を置く、国の行政機関である。元来は期の「戸籍・電信・祭祀」を一括管理するために設けられた仮設的な調整室を起源とし、のちに・・を束ねる中枢として発展したとされる[1]。
概要[編集]
は、のうち「どこにも属しきらないが、どこにも関わる」分野を集中的に扱う省庁として知られている。制度上はなどを所管するが、実務上は各省庁の間で宙に浮いた案件を一時的に収容する“受け皿”として機能してきたとされる。
その成立には、末から初期にかけての官庁再編が深く関わったとされ、特にの霞が関一帯で行われた「文書仕分け会議」が起源であったという説が有力である。会議では、残った書類をどう扱うかが問題となり、最終的にそれらを保管・調整する常設組織が設けられたことが、のちの総務省の原型になったと伝えられている[2]。
歴史[編集]
前史[編集]
起源はの系統の雑務整理部署にさかのぼるとされる。当時、、、、といった性質の異なる案件が一本化され、書記官の机の上に積み上がった結果、物理的にこれ以上増やせない状態になったため、臨時に「総務箱」と呼ばれる木箱が設置されたという。これが後の省名に影響したとの説がある。
には、の前身に当たる「臨時総務係」が発足し、帳簿の綴じ紐の色まで規格化された。なお、このとき用いられた「霞鼠」の綴じ紐は、官庁内で“見失っても見つかる色”として重宝されたとされる[3]。
再編と独立[編集]
後、占領下の行政整理により、旧来の系統は分解されたが、その後も「総務」の機能だけは消えずに残った。とくにの省庁再編では、関連の通信調整と監督を同居させる必要が生じ、これを処理するためにが一時設置された。
しかし、同庁は発足から3か月で“調整だけして結論を出さない”と批判され、には現在のへ改組された。この改組では、旧部門から「はがきの差出人欄の標準寸法」まで引き継がれたとされるほか、の初期予算として実際には机20台しか買えなかったことが、後年の質素な官庁文化を形成したとする研究もある[4]。
情報通信と電波行政[編集]
に入ると、の管理が重要課題となり、の上空で発生した“受信できるのに意味がわからない”という現象を契機に、同省は電波の分類表を作成した。ここで導入された「透明電波帯」という概念は、放送局が使っていないのに会議だけが長引く帯域を半ば比喩的に指したものとされる。
には、の臨時会議室で、テレビの映像に行政文書を重ねる実験が行われたという記録がある。結果として画面の右下に“事務連絡”が常時表示されるようになり、視聴者からは「ニュースより注意書きのほうが多い」と苦情が寄せられた。これが後のの慎重化につながったとされる[5]。
地方自治との関係[編集]
総務省の特徴として、との距離の近さが挙げられる。各都道府県に対し、交付税や行政手続の標準化を通じて影響力を持つ一方で、現場では“中央の顔をした相談窓口”として受け止められてきた。
期のある年には、からまでの47自治体を対象に「最も見やすい通知書」の調査が行われ、最終的にの縦書き様式が1位になったとされる。もっとも、この調査は採点者の8割が封筒の開封方法でつまずいたため、統計学上の妥当性には疑義があると指摘されている[6]。
組織と所掌[編集]
総務省は、表向きには複数の局・庁を束ねる巨大官庁であるが、内部では「とりあえず総務」「それは総務」「最後は総務」の三段階で案件が整理されるとされる。特に、、、、などは、互いに別系統でありながら、年末の会計締めだけは同じ紙束に綴じられる習慣がある。
また、同省には“説明しすぎるほどわからなくなる”という内部文化があるとされ、文書には必ず注釈が付く。ある行政文書では、本文23行に対して注釈が41個付され、最終的に「要するに確認中」とだけ書かれた版が最もわかりやすいと評された。こうした文書美学は、霞が関の他省庁にも一定の影響を与えたとみられる。
社会的影響[編集]
の影響は、制度だけでなく日常生活にも及ぶとされる。の桁数、の境界線、の電波の入りやすさまで、生活者が「省の存在を意識しない形」で広く浸透しているのが特徴である。
一方で、同省が関わる通知や指針はしばしば“丁寧すぎる”として話題になる。たとえばのある通知では、冒頭の挨拶が本文の半分を占め、実質的な指示は末尾の1行だけであった。このため、自治体職員の間では「総務の文章は最後まで読め」という格言が残ったとされる。
なお、の一環として、調査票に“回答しない自由”欄を設けたところ、3,200件中2件だけがその欄を埋めて返送したという逸話がある。もっとも、その2件はいずれも同一人物によるものだったと後年判明し、以後は本人確認が厳格化された[7]。
批判と論争[編集]
総務省に対する批判として最も多いのは、守備範囲が広すぎるために「何でもできるが、何でも説明が必要になる」という点である。特に、、の3領域が同時に報じられると、記者会見の所要時間が平均で72分延びるとされる。
また、には、庁内に存在すると噂された「書類を片付けるほど増える棚」がメディアで取り上げられた。この棚は、正式にはと呼ばれ、1日で片付いた案件が翌週には“確認済みの確認”として戻ってくる現象を引き起こしたという。これについて省側は「運用上の誤差である」と説明したが、外部有識者からは“省の個性”として半ば容認されている。
さらに、関連のシステム更新時には、試験環境と本番環境を取り違えたまま会議が進行し、3時間後に誰も気づかなかった事例があるとされる。もっとも、この件は記録が残っておらず、当時の議事録には単に「静かに再検討」とのみ記されていたため、真相は不明である[8]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 小野寺慎之介『総務整理史序説』霞文社, 1962年.
- ^ 田中みどり「霞が関における文書分配の制度化」『行政史研究』Vol. 18, No. 3, pp. 44-68, 1987年.
- ^ Margaret A. Thornton, 'Administrative Residue and the Birth of General Affairs', Journal of Bureaucratic Studies, Vol. 7, Issue 2, pp. 101-129, 1994.
- ^ 佐伯龍一『電波と机:戦後総務機構の再編』日本官僚文化刊, 2001年.
- ^ Hiroshi Watanabe, 'The Transparent Band: Mythologies of Spectrum Control', Tokyo Policy Review, Vol. 12, No. 1, pp. 5-22, 2008.
- ^ 総務省史料編纂委員会『総務省五十年史』官報資料出版, 2005年.
- ^ 中村礼子「自治体通知書の可読性に関する一考察」『地方行政学会誌』第24巻第4号, pp. 77-93, 2011年.
- ^ Kenji S. Arai, 'On the Rebound Effect of Filing Cabinets', Public Administration Quarterly, Vol. 31, No. 4, pp. 211-230, 2016.
- ^ 島田啓介『選挙システムと静かな再検討』ぎょうせい, 2019年.
- ^ Patricia L. Green, 'Ministries of Everything: Coordination in the Japanese State', East Asian Governance Review, Vol. 9, No. 3, pp. 15-39, 2020.
- ^ 総務省総合政策研究会『通知文の末尾にある真実』霞会出版, 2022年.
外部リンク
- 総務史料アーカイブ
- 霞が関文書館
- 全国自治調整研究所
- 電波と統計の博物誌
- 総務官庁年表データベース