縁海
| 名称 | 縁海(えんかい) |
|---|---|
| 種類 | 潮縁回廊(潮海を模した環状歩廊) |
| 所在地 | 海岸区・潮縁地区 |
| 設立 | 大正11年(1912年) |
| 高さ | 海面上 6.4 m(平均) |
| 構造 | 花崗石基壇+海中免震杭(模擬)+木調合材フレーム |
| 設計者 | 縁浜港湾局技師・渡辺精一郎 |
縁海(えんかい、英: Enkai)は、にある[1]。
概要[編集]
現在ではの海岸区に所在する縁海は、潮風を「聞く」ことを目的に設計された環状回廊として知られている[1]。建物の要点は、海面へ向けて一定角度で穿たれた石孔(せっこう)群にあり、通行人の足音と風圧が共鳴して、遠方からも「潮縁の音」が届くとされる。
また、縁海は観光施設としてだけでなく、地域の漁村共同体が寄り合いを続けるための「公共の縁(ゆかり)」を象徴するものとして語られてきた。とくに大正期の防潮事業が行き詰まった際、港の人々が“海そのものを安心させる施設”を求めたことが、名称の成立に由来するとされる[2]。
名称[編集]
名称の「縁海」は、海と人のあいだに生まれる縁を意味し、海難・出稼ぎ・帰郷を繰り返した地域史に由来する呼称とされる[3]。縁海を「えんかい」と読むのは、古い潮汐記録の誤読が定着した結果である、という説がある[4]。
当初の仮称は「潮縁通廊(ちょうえんつうろう)」であったが、が住民公募を行った際に、漁師のが提出した短歌「海へ縁を結ぶ道」にちなみ、議会で「縁海」へ改められたとされる[5]。この際、条例の条文整合のために「縁」の字面が墨で滲みにくい書体指定も行われたという逸話が残っている。
なお、現地では「縁海は“終点ではない”から縁海である」と説明する案内員もいる。ただし、これは後世の観光パンフレットに強く依存した解釈であると指摘されている[6]。
沿革/歴史[編集]
着想と建設の経緯[編集]
大正9年(1910年)、では台風後の漂着物処理が遅延し、港周辺の“歩くための空間”が恒常的に不足したとされる。当時のは、単純な防潮壁では観光客が増えない一方、港の人々は「海を避けるより、海と歩幅を合わせたい」と訴えたと記録されている[7]。
この空気を受けて、技師の渡辺精一郎は、海面近くで反響を得るために石孔を「24分割」し、季節ごとの風向に合わせて通路幅を微調整する案を提出したとされる。建設中は石孔の寸法が合わず、作業員が夜間に潮位だけを計測する徹夜を繰り返し、最終的に“満潮時のみ音が丸く聞こえる”寸法を見つけたという[8]。このエピソードは、のちの修理記録にも「音の丸み」を条件として残したため、資料の読解が難しい部類に入っている。
ただし、同時期の都市計画文書では孔数が「26」とも記載されており、当初案から変更があった可能性がある。つまり、縁海の歴史は“音響の設計”と“行政の帳簿”が少しずつ擦れたところに成立したと見られている[9]。
改修と音の制度化[編集]
竣工後大正12年(1913年)には、住民の間で「朝の縁海は誓いがよく聞こえる」とする習俗が広まり、各家が交代で“鈴を鳴らさない日”を作ったとされる[10]。この習俗を制度として支えるため、は昭和初期に「縁海音度(おんど)規定」を設け、風が強い日は通路の立ち入りを制限した。
また、戦時期には通路板が一部供出され、石孔だけが残った時期があったとされる。ところが、戦後の復旧計画では“音が欠けたぶん、縁が増える”という意見が出て、欠損部に布を張って風切り音を調整したという。これにより、縁海は完全に元通りには戻らず、音の性格が変化したと説明されている[11]。
近年では、縁海の音響特性がスマートフォンの環境騒音アプリで可視化され、観光客が「自分の歩幅で音が変わる」ことを確認する光景が日常化している。ただし、音度規定に基づく立ち入り制御が完全には守られていないとする批判も存在する[12]。
施設[編集]
縁海は環状のであり、海岸線に沿って緩い楕円形を描く。回廊の基壇は花崗石で築かれ、海面からの高さは平均6.4 mとされる[13]。回廊床面は、木調合材フレームに薄い板を重ねた構造で、雨水が溜まらないよう排水溝が“3秒で引く”設計思想で施工されたと記されている[14]。
回廊の壁面には石孔が穿たれ、孔は「風向に合わせて鳴る」と説明される。ただし、石孔の配置図が工区ごとに一部異なり、現地説明では“気分で選んでよい孔”があると紹介されることがある。この点は、修理時の現場判断が残ったためだと推測されている[15]。
さらに、縁海には中央に小広場「縁結坪(えんむすびつぼ)」が設けられ、直径は9.3 mとされる。広場の周囲には石の手すりがあり、触れると冷たいが耳を近づけると暖かく聞こえる、といった体感説明が観光パンフレットに載っている[16]。一方で、音と触覚が混同されやすいとする研究者もおり、体感は個人差が大きいとされる[17]。
交通アクセス[編集]
中心部から縁海までは徒歩で約18分、海岸区のバス停からは約6分と案内される[18]。最寄りの駅はので、そこから回廊入口までは坂道を含めて400 m程度とされる。
また、団体向けには臨時シャトルが運行されることがあり、運行日は「縁海音度」が安定する日(風が概ね秒速3〜5 m)とされる[19]。ただし、これは運行担当者の経験則をもとにした運用であり、公式な気象閾値としては明文化されていないとされる[20]。
なお、海岸線は強風で通行規制が出ることがある。雨天時は石孔の付近が滑りやすく、立入注意が掲示される。縁海は“歩きながら音を聞く”施設であるため、転倒事故を抑えるための安全誘導が最優先とされている[21]。
文化財[編集]
縁海は現在ではの「音響景観重要施設」として登録されている[22]。登録区分は景観型であり、外観だけでなく、通行時の反響が地域の記憶装置として機能する点が評価されたと説明される。
また、回廊基壇の花崗石の一部は“鉱脈由来”が確認されたため、県の資料では「縁浜沿岸花崗石」として別項目で言及されている[23]。ただし、石の由来を確定させるための成分分析が公表されていないため、同定には検討の余地があるとも指摘されている。
縁海の中でも渡辺精一郎が図面に残したとされる石孔の配列(孔番号 1〜24)は、後世の修理で“完全一致が困難”と判断されたため、部分的に復元された。県の公開資料では「復元率 72%」とされるが[24]、別の報告書では「75%」とされており、測定基準の違いが原因とされている[25]。
脚注[編集]
脚注
- ^ 縁浜港湾局『縁浜沿岸公共歩廊計画報告書』縁浜港湾局, 1912年.
- ^ 青潮県文化課『音響景観登録の手引(第3版)』青潮県文化課, 1997年.
- ^ 渡辺精一郎『潮縁回廊の音響設計』縁浜技術協会講演録, 1913年.
- ^ 鵜原三蔵「縁海命名の経緯に関する口述」『縁浜郷土史資料集』第6巻第1号, 縁浜郷土史編纂所, 1938年, pp.11-29.
- ^ 佐伯みね「石孔配列と風向の相関(仮説)」『土木音響学会誌』Vol.12 No.4, 土木音響学会, 2004年, pp.77-92.
- ^ Margaret A. Thornton, “Civic Reverberation and Coastal Memory,” Journal of Maritime Aesthetics, Vol.5 No.2, 2016, pp.210-233.
- ^ 伊藤玲「音度規定の運用実態と住民習俗」『公共芸術研究』第9巻第2号, 公共芸術研究会, 2011年, pp.45-63.
- ^ 鈴木康成『戦後沿岸施設の復元と記憶』青潮大学出版部, 1989年, pp.134-158.
- ^ Hiroshi Tanaka, “Pseudo-Seismic Foundations in Early Coastal Walkways,” Proceedings of the Coastal Structures Conference, 第18回, 1978年, pp.301-312.
- ^ 『縁海工区別図面(複製)』縁浜市史編集室, 1956年.
外部リンク
- 縁浜市 観光案内(縁海)
- 青潮県 音響景観ポータル
- 縁浜港湾局 旧資料デジタルアーカイブ
- 潮縁回廊ユーザーガイド(現地配布)
- 縁海音度レポート倉庫