縦読み恐怖症
| 名称 | 縦読み恐怖症 |
|---|---|
| 英名 | Vertical Reading Phobia |
| 分類 | 文字配列関連不安反応 |
| 初出 | 1898年ごろ |
| 提唱者 | 渡辺精一郎(東京文字符号研究会) |
| 主な発生地 | 東京都神田区・大阪市船場 |
| 関連施設 | 帝国印刷局試験棟 |
| 代表的症状 | 行頭回避、段組み凝視、縦書き看板の迂回 |
| 研究史上の論争 | 新聞の縦割り広告配置との関連 |
| 現代の扱い | 一部の校正現場で俗称として残存 |
縦読み恐怖症(たてよみきょうふしょう、英: Vertical Reading Phobia)は、文章や掲示物の縦方向の配列に対して強い不安や回避行動を示す現象である。一般にはの圏で知られているが、その成立には末期の印刷規格統一と、ある私設通信網の事故が関係したとされる[1]。
概要[編集]
縦読み恐怖症は、縦方向に並んだ文字列を目にした際、読者が理由なく肩をすくめたり、視線を斜めに逸らしたりする状態を指すとされる。特にの標語、駅構内の吊り広告、あるいは新聞の細い縦組み欄で症状が強まるという[2]。
名称は病名のように見えるが、初期にはとの境界に置かれた半ば風俗的な用語であった。なお、1920年代の記録では「縦に並んだ助詞を見ると、妙に人生が細く感じられる」との証言があり、当時の学者はこれを比喩ではなく実測値として扱った節がある[3]。
起源[編集]
帝国印刷局の試験事故[編集]
起源として最も広く流布しているのは、にの試験棟で起きた活字配置事故である。試験用に作成された縦組み見本が、誤って反転したままの配達網に流れ、受け取った職工の約17.4%が「紙面が上から迫ってくる」と訴えたことから、この反応が観察されたという[4]。
記録によれば、当時の所長であったは、事故を「組版上の災難ではなく視覚習慣の逸脱」と解釈し、以後の研究費として年間3,800円を内規で捻出した。もっとも、この予算の半分は見本帳の作り直しに消えたとされる。
東京文字符号研究会の介入[編集]
になると、の若手研究員がこの現象を「縦方向への過剰敬意」と呼び、恐怖症という語を半ば便宜的に導入した。渡辺は、縦書きに対する不快を単なる癖ではなく、紙面の重力感を脳が誤認する反応とみなし、の小学校12校で予備調査を行った。
ただし調査票の設問が「縦に読むと胸が苦しいか」「横に読むと近代的か」と二択になっていたため、統計的にはかなり偏っていたとの指摘がある。にもかかわらず、この簡便な設問が後の新聞社アンケートに流用され、縦読み恐怖症の流行を逆に広げた。
診断と症状[編集]
縦読み恐怖症の典型症状は、縦書きの案内板を前にすると一旦横倒しに想像し、首を回してでも行頭を避けようとする行動である。軽症では、句読点の位置だけを確認して安心する傾向があり、重症になると雑誌の目次でさえ横から覗き込む。
にで行われた観察では、被験者48名のうち31名が、縦組みの社説を2分以上読むと「自分の考えまで上から下に落ちていく気がする」と答えた。研究班はこれを「下降錯視」と名づけたが、実際には昼食後の眠気との区別がついていなかった可能性がある[5]。
一方で、症状が完全に否定されることは少なく、校正者や看板職人の間では、縦組み原稿を見た直後に妙に背筋が伸びる現象も併発するとされた。このため、治療よりも姿勢矯正の問題として扱われることが多かった。
社会的影響[編集]
新聞と広告業界[編集]
縦読み恐怖症が社会に最も大きな影響を与えたのは、と広告業界である。1920年代後半、系の編集部の一部では、縦組み広告の隣に横組みの見出しを置くと購買率が0.8%上がるとの社内報告が出され、以後「恐怖症対策レイアウト」が定着した[6]。
これに対し、広告代理店側は「不安を和らげるために文字を寝かせる」という方針を採用したが、結果として今度は商品名がやけに横長に見える問題が発生した。特に石鹸と時計の広告は、横にしすぎたため用途が不明瞭になったとされる。
学校教育への波及[編集]
初期の国語教育では、縦書きを怖がる児童への配慮として、教科書の1章だけを斜め組みにする試みが行われた。これはの極めて短命な実験で、全国7県・計214校で導入されたものの、児童よりも教員が先に目を回したため中止された。
なお、実験校のうちの1校では、縦読み恐怖症の予防として毎朝『楷書体に慣れるための深呼吸』が実施され、校庭の掲示板にまで縦書きの訓示が貼られた。結果として「怖いものを見せないはずが、毎日見せる」という逆説が生じた。
研究史[編集]
戦後になると、この現象はの周辺で再定義され、視覚様式への適応差として扱われるようになった。研究は主にからにかけて進み、紙面の縦横比、行間、活字の向きが情動に与える影響が検討された[7]。
とりわけらによる『縦線錯誤と被読感覚』は、縦書きの文章が「読まれる」のではなく「見下ろされる」と感じられる場合があると論じ、学会で賛否を呼んだ。もっとも、彼女の実験室は建物の都合で地下1階にあり、どの被験者も照明不足による不快を縦組みのせいだと誤認していた可能性が高い。
にはの民間出版社が、縦書きを克服するための訓練帳『たてよみ慣化ノート』を発行した。累計12万部を超えたが、付属の練習欄がすべて縦書きだったため、かえって返品が増えたという。
批判と論争[編集]
縦読み恐怖症をめぐっては、そもそも症状の実在性を疑う立場が早くから存在した。特にの一部会員は、これは本来の恐怖症ではなく、縦書き文化への好悪を誇張した新聞用語にすぎないと批判した[8]。
また、の書店主たちの間では、「縦書きが怖いのではなく、値札が見にくいだけではないか」という実務的な反論も出た。これに対し擁護派は、恐怖症の本質は文字そのものではなく、縦に流れる視線の途中で思考が落下する感覚にあると主張した。理屈としてはかなりそれらしかったが、会議の最後にはたいてい筆記具の配置の話に戻った。
なお、の公開講座では、講師が縦書きの黒板を使った瞬間に聴衆の一部が笑いをこらえきれず、講座名が「文字列と笑いの境界領域」と変更された事件がある。これは後年、縦読み恐怖症が「恐怖」であると同時に「過剰な緊張の反動」であることを示す逸話として引用される。
現代の扱い[編集]
21世紀に入ると、縦読み恐怖症は正式な診断名というより、や校正の現場で使われる俗称として残った。電子書籍の普及によって縦書き表示が自由に切り替えられるようになったため、症状はむしろ「設定画面で縦横を何度も往復する人」として可視化された。
には内のデザイン会社5社が共同で、縦組みレイアウトを怖がるクライアント向けに「横書き優先提案書」を作成したが、実際には役員会で最も怖がられたのは金額欄の縦合計であったという。現代では、縦読み恐怖症は半ば冗談のように扱われる一方、古い公共看板を前にしたときだけ本当に息苦しくなるという声もあり、完全な消滅には至っていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『縦方向読解における不安反応の初期形態』東京文字符号研究会紀要 第3巻第2号, 1907, pp. 14-39.
- ^ 松井久太郎『帝国印刷局試験棟における組版事故報告』帝国印刷局月報 Vol. 12, 1899, pp. 201-218.
- ^ 田島美沙子『縦線錯誤と被読感覚』国立精神衛生研究所報告 第8巻第1号, 1961, pp. 55-77.
- ^ Harold M. Wexler, 'Vertical Scripts and Minor Panic States', Journal of Comparative Typography, Vol. 4, No. 3, 1938, pp. 112-131.
- ^ Eleanor P. Grant, 'The Fear of Descending Text: A Social Reading', University of London Press, 1954, pp. 9-46.
- ^ 佐伯一郎『新聞縦組広告の心理的受容に関する実地調査』日本広告学会誌 第21巻第4号, 1929, pp. 88-103.
- ^ Margaret A. Thornton, 'On the Angled Panic of Printed Matter', Proceedings of the Royal Institute of Paper Arts, Vol. 17, 1971, pp. 3-29.
- ^ 『たてよみ慣化ノート 研究版』京都視読社, 1974.
- ^ 日本心理学会編『視覚様式と不安表現の系譜』北星館, 1983, pp. 144-168.
- ^ 中村亮介『縦書き嫌悪症の社会史――看板・広告・教室』青磁社, 2011, pp. 201-240.
- ^ Clive R. Benson, 'Why the Page Looks Like a Ladder', Typography Review, Vol. 9, No. 1, 1989, pp. 1-17.
外部リンク
- 東京文字符号研究会アーカイブ
- 帝国印刷局資料室
- 日本視読史データベース
- 縦組み文化研究フォーラム
- 校正者協会デジタル年報